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さようなら。ファイターズと札幌ドームへ。長い長い思い出話をしてみようーその4  2007年、激闘!マリーンズとのクライマックスシリーズ。その時、わたしは、スタンドの椅子から転げ落ちていたー

  2007年、9月29日。ファイターズのパ・リーグ連覇。一つのチームを最初から最後まで全試合見届けるのは、人生初の体験だった。

 というか、CSチャンネル、スカパー、J-comといった、デジタルチャンネルがなかった時代、テレビでプロ野球全試合を見る可能性があったとしたら読売ジャイアンツのファンだけだったのではないだろうか…(それだってまあせいぜい昭和までだし?)

 北海道は、前年のファイターズの日本一、さらに駒大苫小牧高校、夏の甲子園2連覇および3年連続決勝進出と空前の野球ブームで、地上波の放送も頻繁にあり、高視聴率だったが、それでも全試合を映す状況ではなかった。
(ファイターズが北海道にもたらしたもう一つの功績として、「ラジオの復権」がある。テレビ中継がない時、途中で終わってしまう時、ラジオ中継は抜群の役目を果たす。地元のHBCラジオ、STVラジオにとっては、起死回生の「ドル箱中継」(死語も復活😀)となった。HBC「ファイターズdeナイト」は、ここ10数年はぶっちぎりの「同時間帯聴視率1位」の座についているように、道民ファンとラジオ中継は、親密な関係にある。)

 本当にたまたま偶然に、J-comというデジダルチャンネルに入ったからこそ、わたしとファイターズの蜜月は生まれた。未だブラウン管で、録画もVHSだったけど、連日試合はあるし、GAORAは再放送までするし、録画も見るしで、とにかく毎日、野球漬けのファイターズ漬けでいられたのだから。(以降、2010年代に起きるプロ野球の盛り上がり、球場での集客増加の一端は、おそらくこの中継手段の多様化、スマートフォンの普及と相まって「毎日、好きなだけ、好きな時にいつでも見られる」状況があるんだと思う。って話がどんどん逸れていく)

 一試合も漏らさず、見通して応援し続けた、チームが優勝するー
毎日野球を見てるけど、だからといって毎日野球だけを見て生きているわけではない。子どもはまだ高校生と中学生で不登校やら病気やらもう色々色々色々大変過ぎたし、レジの仕事と宅配弁当の仕事、Wワークもしていた。肉体労働でいつもくたくたで。
だけど帰る頃には、野球があるから、ナイターを見られるから。
ファイターズが在ることが、すなわち「楽しみ」そのもので。
わたしは、なんとか生きていた。
 
毎日、顔を見て、プレーに一喜一憂していたチームのみんなが、マウンドに集まる。もみくちゃになって抱き合う中心にいたのは、ダルビッシュ有。
遠い記憶で、てっきりダルが先発だったと思い込んでいたら、スウイーニーだった。大好きな投手だったのに、うっかり忘れてごめん。

 何度も何度も見返したはずの優勝シーンだったけど、わたしの心に強く残っているのは、日本シリーズ挑戦権を得るための、クライマックスシリーズの方だった。優勝して、札幌ドームで、待ち受ける第二ステージ(当時はそう呼んでいた)

 5試合形式で(優勝チームのアドバンテージ1勝はまだない)ファイターズは3勝すれば勝ち抜けだった。1戦目をダルで勝ち、2戦目の先発武田勝、2回途中4失点で降板…。3戦目を取り、勝負が決まる4戦目。

2対1で先行する5回表、先発スウイーニーがピンチを招き、そこになんと2日前に先発した武田勝が中継ぎ登板する。テレビの前の我が家は騒然。
勝さんのリベンジなるか?
バッターは、誰だったかもう覚えてない。
とにかく抑えて〜〜抑えて〜〜〜と必死の祈り。勝さんは抑えた。
「空振り三振!」だったと思う。
テレビ画面には、可憐すぎるドアップが写っていた。
ドキドキしすぎて心臓が爆発しそうだった。

 勝さんもきっとそうだったはずだ。アドレナリンがドバッとでた場面、解説は岩ちゃん(注4)だったかもしれない いやCSだからもっと大物解説だったかな…「回跨ぎは厳しい」的なことを話していた。
いやな予感がして、別の投手に変わって欲しいと願ったけれど。
6回表のマウンドにも勝さんは上がった。
珍しくもフォアボールのランナーを出してしまう。打席には、天敵里崎智也。こういうチャンスには滅法強い打者である。嫌な予感は絶頂に湧き上がる…燃え上がるライトスタンド、マリサポの大音量応援歌も絶頂だ。

打球は、センター方向に消えた。逆転2ラン……。
打たれた方向を振り返る勝さんの横顔は、美しかった。
悔しさに歪んだ目元すら。

テレビの前で、衝撃のあまり絶句する。胸が潰れそうーとはあのことだ。
試合は、そのまま負けてしまった。武田勝に2敗目の黒星がついた…。

シリーズは、最終戦までもつれ込む。
始まる前、なにしろ初体験の認知不足で、チケット争奪戦に敗れ、あるかないかわからない5戦目のチケットだけを持っていた。
偉いじゃん自分!?

公式発表4222人。満員の札幌ドーム。娘と二人、外野席に座る。センターよりのライト側、前の方だった。ピッチャーは、ダルビッシュ。相手は、成瀬善久。この年16勝1敗、防御率1.81。パ・リーグでは無敗の左腕エースだった。

https://npb.jp/bis/2007/games/s2007101801661.html

0対0の3回裏、ランナーは二人。バッター4番、フェルナンド・セギノール。外野席からバッターボックスは、遠く遠く見えるけど、この時のセギは大きく見えた。粘った挙句に、やや体勢を崩したように見えたスイングは、大きく振り抜かれ、打球は飛んでくる!

飛んでくる! こっちに飛んでくる〜〜〜〜〜〜!!!!!

センターよりのスタンドに落ちた、ように見えた。
ボールを追っかけて首をよじったわたしは、椅子から転げ落ちていた。

「お母さん、大丈夫!?」
娘が叫ぶ。
「入った?入ったよね?」
「入った!入った!」

スタンドは爆発している。
ダイアモンドを回る、セギは、興奮してダンスを踊るようにガッツポーズを繰り返す。

3塁側ベンチの横から、普段開かないドアが開き、なぜか中からスクランブル登板に備えているはずのライアン・グリンが飛び出してくる。興奮しきってセギに抱きつき、がおーがおーと吠えている。
慌てたようにすぐに引っ込められた(控え投手が、ダグアウトから出てくるのは、本来は禁止だそうです。)

決定的な先行3ランで、勝負の行方は、ほぼ見えていた。
9回表をマイケル中村が抑える。

色とりどりの紙テープが舞い落ちる。
スタジアムのビジョンには、マリーンズベンチで顔を覆って泣いている成瀬投手が、先輩の清水投手に肩を抱かれて慰められる様子が、映されていた。

 この時の千葉ロッテマリーンズも強くて大変に魅力的なチームであった。
サブロー 西岡剛、早川さん、大松尚逸、里崎、渡辺俊介、小林宏之…タレントは、いっぱい。

敗れて終了、マリーンズ巨大応援団、マリサポの待つライトスタンドへ、ボビイ・バレンタイン監督に率いられ、ナインが最後の挨拶に歩み寄ってくる。そこへレフトスタンドに挨拶を済ませた、ヒルマン監督率いるファイターズの面々が合流していく。

ラグビーで使われる「ノーサイド」という言葉が、翌日のスポーツ新聞を飾ったように、「激戦」に相応しい五試合を戦い抜いた、シーズンを競いあったチームが、握手を交わす。

レフトの応援団からは、マリーンズへのエールが。
ライトの応援団からは、ファイターズへのエールが。

それから数年は、そういう交流が、千葉でも札幌でもあったと思う。
最近は、どうなんだろ…わたしが知らないだけだろうか…。

初めてのクライマックスシリーズは、そんな風に、パ・リーグ史上に残るだろう素晴らしいゲーム体験、だったのである。


次回、この流れだと2008年CS になるのかな…。

(注4) 岩ちゃん=岩本勉 野球解説者。東京時代からの日本ハムファイターズの看板投手であり、移転後の2005年まで北海道にファイターズを根付かせるべく影に日向に孤軍奮闘したといえる「エース」だった。解説に転向後は、声が大きいというより「口うるさい」のが球に傷😀 おっとっと。軽妙な語り口と厳しい辛口解説がファンには人気の功労者である。

文中敬称略







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