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『神無月のじかん』~秋散歩~

秋の向こう側が
微かに感じられる風
僅かな変化が肌に染む

顎を少し上げて
キャスケットのつばも上げて
彩りの変化を愉しむ

このあとまた
景色を溶かす雨が降り
流れる空気を冷やしていく

感傷的な旋律に乗せて
秋を仕舞い込まないで

いま視える空を受けとめ
いま感じる風に身を委ね

凛と澄む秋空へと
願いをかけてゆく
大好きな季節のじかん

そっと樹々の袂に佇み
話し声に耳を澄ませる
風に揺られる一員のふりをして


陽射しを受け 風に身を委ね


ここを始めた当初に書いたプロフィールには、好きなもののひとつにウオーキングが入っている。暇さえあれば歩いていた時期があった。何も持たずに歩く、が信条だった。歩くためだけに歩く。目的も持たない、行き先も決めない、時々写真のためにスマホは取り出すけれど基本手にも何も持たない。


最近歩くといえば、通勤時間に余裕があれば一駅分歩くくらい。今でも歩くのは好きだけれど、ここ数年は時間を作って歩くことをしていない。休日自分に使える時間があれば、ヘッドホンをしてPCに向かっていることが多い。何か創っていないと、時間がもったいない病を発症してしまう。脳が凝り固まっている。よくないな、とふと思う。


ゆららゆららと銀杏は揺れる
ナナカマドへ話しかけるように


歩いてこよう。
久しぶりに目的を持たずに、歩くためだけに歩こう。
そう思って家を出たのが先週の日曜日。

北の街の紅葉は着々と進んでいて、
空気も凛と澄んでいて、
足は軽やかに前へ前へと進む。
歩くにはちょうど良い時季。
気の向くまま歩みを進めていくと、自然と樹々の多い散歩道へと足が向いた。排気ガスのない道はやっぱり気持ちがいいなあ、と深呼吸を繰り返しながら歩く。

良いことがあった。
エゾリスとの遭遇。リスに会えるかな、とか少しでも思うと大抵会えない。真っ白、無目的がキモなのだ。

目的がないからこそ、何か新しいことや、些細な景色の変化や、いつもは通り過ぎてしまうことに、目が向くのかもしれない。
そんなことを思いながら、時間がもったいない病はどこかへ飛んでしまうくらいに、ぼんやりぼんやり飽きもせず、見失うまでエゾリスを見ていた。


余白のじかん

影絵のようだけれど輪郭がキレイに撮れた一枚に満足してスマホを仕舞う。
木の上でずっと何かを食べていてくれたので、長い間、飽きることなく見惚れていた。
あの人間、まだいるよ、とか思われていたかもしれない。

この帰宅後、PCに向かったあとの集中力たるや、自分でも驚くほどだった。
目的もなく歩く大切さ、しばらく忘れていた感覚を取り戻した気分。

やたらと歩いていたあの頃、娘に「健康とかダイエットとかの目的もなく、何のために時間をかけて歩くの?」とよく聞かれた。目的は「歩くために歩く」と返答をして、娘はよく首をかしげていたけれど、この日、余白を敢えて作り出すため、という答えを見つけた気がした。

そう思ってからのここ一週間は、やたらと歩いている。勤務終わりは既に真っ暗で疲労も蓄積しているけれど、意味もなく遠回りをして歩いてみる。夜の幹線道路の喧騒や、脇道の静かな店先での光景に目を留めたりして。
通り過がりに聞こえてくる人たちの会話の切れはし。リードに繋がれて歩いてくる犬と交わす視線。なかなか面白い。ああ、あの頃こんなふうによく歩いていたなと色んなことも思い出したりして。

今日の予報は雨だったけれど、起床時には東の空がまだ青かったので、朝一番、家を出て東のほうを歩いてきた。
雨粒が落ちる気配と、急降下する気温と、雪虫を横目に見ながら。
感じる短すぎる秋の空気。大好きな時季を、深呼吸を繰り返しながら肺胞へと取り込んでいく。ことしの神無月にみつけた、余白のじかん。

微かな陽射しを大切に感じとって






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