好き嫌い地球


数年前、私が憧れている人と色々なお話しをしている際「今自分の事大好きって言える?」と言われ、すぐに大好きと言おうとしても声が詰まり中々言えず、大号泣した事がある。
今思うと本当におかしな話しだ。
自分の人生の主役は自分だと思ってたし、そんな自分を大好きって当然じゃん。と思って生きてきたはず。
だけど、いざ自分の事を大好きって言おうと思っても言えない自分が居た事にとても驚いた。
本当にびっくりした。(今思うと私面白い。)
そんな、私に憧れの人は優しく微笑みながらある話しをしてくれた。
地球と言うのはプラスの極とマイナスの極があるよね。2極性のある世界である。その両極共に受け入れられる、大事にできる。調子がいい自分は好きだけど、調子の悪い自分は嫌いだーってなりやすいけど、物事全てにリズムがある。音楽だってリズムがあるでしょ?音楽のリズムの上の方はいいけど、下のは嫌だ!って言ったら変な話しになっちゃうでしょ?だから、自分の人生の曲も同じでプラスな自分もマイナスな自分もひっくるめて大好き〜と愛してあげる事が私は大事だと思うよ。
「嫌い人いる?」「うん。(即答)」
きょーちゃんの嫌いな人は、ある意味自分のShadow=影を生きている。光の部分があれば影の部分があるじゃない?この光の部分に対して影の部分をShadowと言う。実はそれは自分の中でね。大事にできていない世界でもあるんだって。妙に嫌な人っているじゃない?っていうのは、自分の中でその自分を嫌ったり、切り捨てたりしているそういう自分なんだって。
「えー!」
自分の中にも平気で人を騙したり、嘘をついたり、自分勝手だったりする自分も実はいるそんな自分をも愛してあげる。大事にしてあげる事ができたらいいねぇ。
「めっちゃ難しい。。」「難しいね笑」
といった話をしてくれた。
その時は、音楽は音楽じゃん。そんな訳あるか!私は人に対して簡単に残酷な事はしないし、そもそもそんな考えすらないわ!と否定的な考えだったのだれど、最近は(調子がいい時によるけど)「もしかしたらそうかも〜」「いや、きっとそうだ!」と思える様になってきた。
それに、なぜこの世に必ずといって嫌な奴が存在するのか少しだけわかってきた気がする。
でも、理解するまでには、何回も繰り返しその言葉を脳内再生していた。
小説、ドラマ、映画などにも、本当にどうしようもないクズ人間やダメ人間が出てこないと物語が面白くない様に、現実世界の人生もまた嫌な奴がいないと面白くないし、自分自身の人生の幅が狭まるのかなと。
あと、まるっきり自分と同じ考えを持った人達がいたら世の中成り立たないとも思う。
プラス極もマイナス極も全て楽しみ、味わいたいと思えた反面、できることならこれからの人生は嫌な奴には二度と出会いたくないと切実に祈る自分もいる。
また、一体どれだけの人がどんな時の自分も愛し、大好き!!といえるのか気になる今日この頃です。

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