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暴言戯言、直言に怒言(6)「日本の伝統文化」

 宮城谷昌光さんの「風は山河より」(全6巻)を久しぶりに読み終え、続けて「新・三河物語」(全3巻)に移りました。(何度も何度も良き物語をあれこれ読むのが、私の読書スタイルです)この二作品から、東三河の土豪たちの泥沼のような精神性を学ぶことができます。現在放送されている「鎌倉殿の13人」や、北条家を倒した足利尊氏たちを描いた「太平記」などにも、泥沼のような人々の精神性が描かれています。裏切り、豹変、虚言……現代にも繋がる泥沼のような精神性は、この島国に存在する日本という国の伝統文化の一部だと、私は思っています。そして、そうした泥沼のような精神性もまた、ヒトの文化には必要なのではないかと思っている私もいます。何故なら、ヒトとはそんなものだからです。
 ただ、泥沼のような精神性を持つ大人が増えれば増えるほど、子供たちは真似をし始め、この日本という国のリテラシーや考え方(英語ではThought、日本語では思想なのかもしれません)の平均値は、泥沼のような精神性を良しとするかもしれません。
 そして、改めて、鎌倉時代→室町時代→戦国時代の小説などを読むにつけ、現代もあまり変わり映えしないなぁと思っています。その当時の考え方の平均値は、おそらく泥沼のような精神性だったのだと思います。
 京都の言葉で「品がない」というのがあります。これは、貧しいとか、学歴に乏しいとかを意味してはいません。たとえお金を持っていても、高学歴であっても、「品がない」人が多々います。「そうですねぇ…」と笑顔を返し、お代を払ってもらい…心のなかでは「この人、品がない人やなぁ」という話は、よく聴こえてきます。
 さて、日本の伝統文化を褒め称えるならば、心から、この泥沼のような精神性も褒め称えれば良いのではと、考えています。茶道、華道……華やかな日本の伝統文化もありますし、「源氏物語」や「枕草子」など素晴らしい物語もありますが、綺麗な部分だけではなく、泥沼のような精神性もまた、私たちの伝統文化なのだと、昨今のテレビ報道を見聞きして、深く頷いてしまう私です。衿を正すこともない、辛い時代になったもんです。中嶋雷太

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