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本に愛される人になりたい(50) 「プラグマティズム古典集成」

 学生時代に言語学と哲学にハマりました。人知れず、あれこれ本を読んでいるうちに、その裾野は広く深くなり、現在もその裾野を広げ深める日々が続いています。
 このように書くと、眉間に皺をよせ苦悶していると思われがちですが、本人はいたってカジュアルに、「そうだよな」とか「おー、なるほどな」などと、いたって明るくやっています。昔から思うに、考えを広げ深めることと、見た目苦悩したフリをすることとは、まったく関係ないのに…。大学院でジャーナリズムを学んでいるときも、周りは生真面目な顔の人物が多くて、不思議な思いをしていました。
 言語学はフェルディナン・ド・ソシュールから、哲学はエドムント・フッサールから、それぞれ派生する考え方を追っているうちに、気づけば学際的な広がりを見せてゆき、宇宙物理学、芸術、美学、さらに仏教まで幅広くあれこれ勉強して楽しみ学んできました。ちなみに学際的(interdisciplimary)であることは、例えばアメリカ東部のボストンのボーディング・スクールでは基本になっており、たまたまですが、一人ボーディング・スクール状態です。
 日本では、中学高校では卒業する為の勉強と、受験用のお勉強が主体で、記憶と試験対応力が求められる趨勢がこの何十年も続き(たぶん1970年代中期の共通一次試験あたりから)、そうした知識への取り組み方に疑いを持たぬ人々が、今や、祖父祖母の年齢になり、アメリカ東部のボーディング・スクールの学際的な教育とは真反対に、日本の教育や知識への取り組み方があるような気がしています。
 さて、プラグマティズムです。
 最初の出会いはG.H.ミードの「精神・自我・社会」で、読み進めるうちに、彼が関わっていたシカゴ学派関連をさらに学び広げ、その頃にたまたま鶴見俊輔「アメリカ哲学」に出会い、アメリカのプラグマティズムという哲学の流れに大いに興味を持ったのが発端だったと思います。
 本書では、チャールズ・サンダース・パース、ウィリアム・ジェームズ、そしてジョン・デューイの主要な論文を掲載しているので、ご興味ある方はぜひ。
 さて、パースの記号論に興味を持ち始めると、言語学者ソシュールの言語学へと繋がり、そこからフランス構造主義へとさらに興味が広がり、ロラン…バルトらの哲学だけでなく、クロード・レヴィ=ストロースらの文化人類学などへも知の地平が広がり、現代の学際的な知を追い求めているうちに、さらにさらに過去へと遡り(ジャンバッティスタ・ヴィーコやさらにアリストテレスまで)ました。20歳ごろに出会ったG.H.ミードから、よくぞここまで、あれこれと楽しんできたものだと思います。
 ここ20年ほどは、ブルーバックスを中心に生命科学と宇宙物理学の本を集中して読んでいますが、過去の哲学者が考えていた、人が物事をとらえること(認識論)を生物科学的な視点から読み解くと、あれこれ納得したり、違っていたなという発見があり、楽しいものです。中嶋雷太

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