「10年間の整理整頓」30歳になったので改めて。
10月12日、30歳の誕生日を迎えました。
私にとっての20代は不器用で、とっても濃厚で特殊で恵まれた10年間でした。
子どもの頃イメージしていた20代でもなかったし、30歳という実感もあまりないけど。
ずーっと新しい物事とぶつかっていく人生は、結構気に入っています。
そういうことで、自己紹介を改めてみます。
ちょっと思い返すだけでも、noteをはじめてすぐに書いたプロフィールから進展と変化があっておもしろい。
基本情報
簡単に
澁谷 里穂(しぶや りほ)
1993年10月生まれ。
生粋の大阪人ですがイタリア文化が大好きです。
凸凹人生で泥まみれになりながら自由に生きてます。
職業
いろいろしている人
フリーランスが何基準なのかわかりませんが、いろいろな仕事をしている人です。
メインはベンチャー企業のセールスチームでアシスタントとして委託中。
都内で行われるパーティやショールームなどのイベント業にも時々携わっています。
依頼やご縁に応じてモデル業も続けています。
あくまで2023年10月現在の情報です。
経歴
流石に散らかっているので整理整頓してみます。
20歳〜25歳
ー人生の基盤となる、モデル業。
専門学校卒業後、2週間で上京。
都内でヘアショーやファッションショー、撮影の経験を積みました。
現場やSNSで知り合ったメイクさん、フォトグラファーさん、ヘアサロンさんや服飾学生さんにいろいろな現場へお繋ぎいただきました。
23歳でイタリア・ミラノのモデル事務所へ所属。
策の甘い私は常にめちゃくちゃでサバイバルで、とにかく刺激的。
単身でロンドン、バルセロナ、シンガポールのモデル事務所へも訪問していました。
25歳頃にニューヨークや香港へ視野を広げていたところ、コロナ禍。
国内で模索しながら海外へはオンラインでアプローチを続けていました。
幸運にもカナダのモデル事務所とご縁があり、遠隔で所属が決まりました。
20代前半はとにかく“モデル”というワードが大きな軸で脳内の9割を占めていましたね。
ー暮らしと渡航費のため、アルバイト生活。
当時はアルバイトもたくさんしていました。
本業で得る収入は“経験”だと思い込んでいたので、生計を立てながら海外で挑戦する資金までは、全く余裕がない日々でした。
今となれば、アルバイト先で質の高い人たちと出会えたことで、接客や料理のスキルを活用できているので、欠かせない道だったかな。
26歳〜27歳
ー言葉の発信を始める。
Webサイトに興味を持ち独学でWordpressを立ち上げました。
ライティングを始めたのはアフィリエイトや広告収入が目的だったけど、不向きだったので1年くらいでシフトチェンジ。
委託先のメディアにモデル業の経験を提供したり、モデルとして培った情報や知識を自分なりの言葉で発信するようになりました。
(文章に慣れていない記事が多くて恥ずかしいので、リライトしていきたい所存。)
ー「都内で身軽に住む方法」をきっかけに。
賃貸以外で都内に住む方法を探していた頃、大型シェアハウスという新たなコミュニティと出会いました。
(賃貸を避けた理由は、いつでも海外へ飛び立てるように重荷を持ちたくなかったからです。)
そして本当に奇跡みたいなことで、自分の人好きな性格が仕事となりました。
1軒目を3ヶ月で卒業し、次の暮らしが始まるまでの半年間、Airbnb・ホテル・友人宅を住み渡っていました。
28歳
ーモデル業から離れ、分野を広げる決意。
人々との暮らしでコミュニケーション能力を発揮できた頃、モデル業から一旦離れようと決意。
素の自分にある可能性をもっともっと広げてみたいと思うようになりました。
紹介いただいた2軒目の大型シェアレジデンスでは、心のままに人々がつながり、賑わう仕組みづくりをしながらも物件のルール改正やさまざまな取り組みを担っていました。
同時にデジタルマーケティングのアシスタント業を始め、独学だったWebサイトまわりやデジタル広告関連を広く浅く学びました。
デジタルリテラシーがそれなりに高いのは、小学生の頃からPCを触っていたからかな。
ひっそり準備していたインタビュー記事も同時期に開始。
人々の魅力をシェアする架け橋になるための活動として書かせていただいています。
29歳
とにかく人に恵まれ生きてきて、根底にある“楽しいことが好き”を最大に活かせる環境に在りついていました。
その反面、自分は何者なのかを見失ってきて。(笑)
「自由でいることに疲れたし、日本社会を知るために正社員を目指してみよう」と1ヶ月だけコミットしたこともあった。
が、心中で明確だった“しないこと”の一つが正社員だったので、それ以上は頑張らなかった。
ーモヤモヤを吹き飛ばしたのが2023年2月に旅したニューヨーク。
とにかく心が解放された。
好きで続けていること、興味があって始めていることが積み重なっている人生は素敵だと思えた。
挑戦したいことに素直に向き合い、行きたいところへ行けば、想像を超える価値があると改めて確信した。
コロナ禍で気持ちがモデル以外のことへ向いていた頃、不器用な私はモデルから一旦離れたかったんだと思う。
モデル業で埋もれていた脳内にスペースができて、本当にいろいろな経験ができた。
だからこそ今のように「いろいろしている人」になれた。
ー帰国後から転々とし今に至る
ニューヨークから帰国後、仕事も家も0になり行き着いた先が今の環境です。
要は、落ち着くことを知らないまま20代を駆け抜けてきた人です。
本当に多くの人たちに救われ、導かれてきました。
人々へのシェアやサポートが大好きな理由はそこでしかなくて、人々が与えてくれたことを私は私に出来る形で回していきたいというだけなのです。
この先1年間の目標
整理整頓といいながら、散らかりようが公になっているだけでした。
現在と未来思考なので、過去の思い出はここまでにしておきます。
・海外活動を復活させる。
・インタビュー記事をnoteのみで終わらせない方法を考える。
・人々のポジティブ思考のサポート。
・痩せすぎ文化に対する、心身の健康へアプローチ。
・唯一無二の価値を見出す。
かなりざっくりしていますが、この先1年で叶えたい。
言いよう、やりようによってはすぐに叶うことだけど。
失敗・成功の線引きはハッキリしないけど、まずは挑んでみる。
余談
ーSNSを続ける理由
余談ですが、思想・思考やSNS全般の発信を本名でしているのには理由があります。
もちろん魅せる活動が好きだというのもずっと変わらないのですが、SNSはデジタルタトゥーとも言われるほど簡単には消えないツールです。
明日、突然何もできない身体になったり、人生が強制終了することだってあります。
だから、自分が何をして生きたのか、どんな思いだったかを出しておいてしまえ。
知ってることを自分だけのものにせず、なるべく出しておきたい。
誰かが前向きになったり、おもしろい気持ちになる材料になったら嬉しい。
残せなくて後悔するような人生になりたくない。
本来は鉛筆と紙でやるようなことで、かなり子どもっぽいですが割と本心です。
ということで、2022年ver.よりもさらに自分を曝け出すプロフィールとなりました。(笑)
どうか、「こんなやつでも生きていけるなら人生easyだな」と思っていただけると幸いです。
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