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娘と私の3年生④

 話の続きになります。お付き合い頂きましてありがとうございます。
 私は教頭先生にお任せすると決めただけで心がとてもとても軽くなりました。問題が解決したわけではなく、まだまだ不安要素だらけでした。でも本当のことを初めて主人、両親以外の誰かに話せたこと、私の気持ちを汲んでくださったこと。心から感謝の気持ちでいっぱいでした。
私がこのことを記事に書けるのは、私がどこの誰なのか皆さんには分からないから本当の事が書けるのだと思います。そしてもし今、学校へ教室へ向かうことのできないお子さんをお持ちの方のどなたかのヒントになればと思い書いています。
 教頭先生とお話をした次の日学校へ迎えに行くと娘が笑顔で
「お母さん今日、教室に入ったよ。椅子に少しだけ座れたよ。」
と教えてくれました。私は娘をぎゅっと抱きしめて一緒に喜びました。
帰り道
「どうやって教室に行ったの?」
と聞くと
「保健室で女の教頭先生とお話ししてたら、先生も知っておきたいから意地悪な子がどの子なのか教えて。と言ったから、教頭先生が一緒なら行けるかもしれないと思って一緒に教室に行ったら、クラスのお友達が席替えがあったと教えてくれて、教頭先生が新しい席に座ってみたら?と言ったから少しだけすわったらドキドキした。」
と言いました。わたしはびっくりして
「すごいね」
と言う言葉しか出てきませんでした。すると娘は大笑いしながら
「教室から保健室にもどるときに、意地悪そうな顔だったねって教頭先生が言ったんだよ。教頭先生なのにそんなこと言っていいのかなぁ。」
と私も娘がこんなに嬉しそうに学校の話をするのは久しぶりだったので笑いながら
「大丈夫だよ。おかあさんと教頭先生と○○ちゃんの秘密だよ。」
と言うと
「保健の先生にも言っちゃった。」
と笑いながら言いました。
 教頭先生のあたたかさと、スピードの速さにおどろきました。一気に娘の心をつかみ、行動へ移すパワーに、感謝しかありませんでした。
 次の日もその次の日も教頭先生は、連れて行って下さいました。そして娘に学校での役割を与えて下さいました。
 図書の先生のお手伝いです。朝保健室に登校をして支度ができたら、図書室に行きお手伝いをして自習をするという学校らしい生活を準備して下さいました。
 学校らしい生活がスタートすると、私は朝保健室まで一緒に着いて行かなくても校門から1人で行けるようになりました。帰りのお迎えも私ではなく、夫でも私の両親でも大丈夫になりました。

 その頃私は朝学校へ一緒に行き、その後、仕事へいき、途中で仕事を抜けさして頂きお迎えに行き、両親に預け仕事に戻るという生活をしていました。
 本当は、すぐに辞めて娘に寄り添うことをえらびましたが、職場の上司が有給を使わせて下さり、ご厚意でこのような生活をさせて頂きました。色々あり、自分の心が保てなくなりそうで、それから半年後退職いたしましたが、私が仕事をしていて、時間をやりくりしていたのをみていたからこそ娘も頑張ってくれたのかな?と思うこともあり、色々ありましたが今でもとても感謝しています。
 理科の授業は、専科の先生が、して下さるので、理科の授業には1人で行けるようになりました。(1学期から理科の先生は、だいすきです)そこからは、教室に何時間行くと自分で目標を決めて行くようになりました。
 4時間目まで頑張って保健室にお迎えに行くという日々が2学期の終業式の2日前まで続きました。
 終業式の2日前は保健室で給食を食べ、午後を保健室で過ごし、終業式の1日前の日は保健室に登校せず教室に1日いることができました。その日は久しぶりにクラスのお友達と帰ってきました。
 帰ってくると
「お母さん今日は一日中クラスで過ごせたよ。帰りに保健の先生が見てて保健室から大きな声で『○○ちゃん教室にかえれて先生とっても嬉しいよー』って大きな声で手を振りながら叫んでくれだだよ。だからわたしも大きく手を振ったよ」
と嬉しそうに帰ってきました。私は嬉しくて嬉しくて涙が止まりませんでした。先生方のあたたかさが心にしみました。そして娘の頑張りに感動しました。
 担任の先生も学校での娘の様子をこまかく教えて下さったり、娘がクラスでお友達が作りやすいように声かけをして下さったりと本当に助けて下さいました。
 私は娘に、担任の先生は○○ちゃんの思うとおりのこと、お母さんがのぞむことをして下さるわけではなかったけど、○○ちゃんが学校へ行くためにはどうしたらいいか?どうやったらクラスで過ごしやすいかを全力でサポートしてくださったね。と話をしました。娘もそんな先生のあたたかさを感じて過ごせていました。
 人間は、みんな考え方も感じ方も違うからこれじゃないなこれは違うなと思うことはたくさんあるけど、こんなに全力でして下さったことは忘れないでおこうね。先生に感謝をしようねと話をしました。
 3学期からは娘とクラスは違いましたが、一番信頼している友達にお迎えを頼み、毎朝一緒に登校してもらいました。娘は卒業式の前日まで保健室にお世話になることなく、学校へ。通ってくれました。
これが娘が学校へ行けるようになるまでの娘と助けてくださったすべての方々とのスモールステップです。

あと少し後日談がありますがまた次の記事で書かせて頂こうと思います。
よろしければお付き合い下さい。
最後までお読み頂きましてありがとうございました。

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