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青年団若手自主企画vol.85 近藤企画 『更地の隣人』の感想メモ

2011年3月31日夜に観た近藤企画『更地の隣人』の感想メモ。
会場はアトリエ春風舎。

観終わって、ドライマティーニのようなラブストーリーだと思った。

始まってしばらくは世界観が捉えられず、でも短いシーンのいろんな寓意の気配を感じる言葉たちに繋がれ、一方でそのひとつずつのシーンが端正に思える。やがてルーズに世界が現れ、その脈絡を追いかけ気がつけば作り手の世界の中にいる。中央には鉄パイプで線描のように組まれた美術、近未来的な設定がありつつ、短波無線機や「い号室」とか「は号室」といった部屋の古風な名称が重ねられ、観る側に今と昔を混在させたような、シンプルで透過性をもった古びたアパートの風貌が浮かび上がる。そして男女の会話が始まる。
世界のありようや妻の記憶、男の昔の解け方。崩れた土を掘り返し、無線機に向かう日常。柴犬の気配。男の仕事場での会話や精度を欠いた地崩れの予報などは丁寧で淡々とした大雑把さで描かれ、男と女のモノローグには個性がよく作り込まれ、ふたりの会話にはシーンごとに少しずつ解けていく中でのためらいや心の移ろいの襞がある。俳優たちの所作のひとつずつから逡巡を伴って満ち干する距離の変化も細微に伝わってくる。ルーチンのように崩れた場所から探し出した骨の鑑定、女の呼びかけと夫の存在、どこかランダムに蘇る記憶。男が抱えるものや妻への想いがとても自然に晒され、揺蕩い、呼吸をし、揺らぎ、あからさまにされていく。

様々な企みや質感をもった道具だて、崩れる地面、オセロ、形が歪んだ傘に編み込まれた寓意が男の妻や女の心のありようを観る側の視覚に晒す。会話に仕掛けられたことばの解けもあざとくなることなく、語られないなにかを観る側の第六感的なところに紡ぎこむ。確たる質量のない異なった表現の重なりに、あるいは日々を想起させる同じようなシーンの重なりに、男と女の閉塞が削ぎ出される。そして妻を亡くした男と夫に出て行かれた女の全てが解けたその先で、出来事に崩れはて更地になったその先で、ふたりの心がふれあう姿が描かれる。そのラストは、思考を痺れさせるような強さと透明感を持ったドライジンのテイストで描かれたそれぞれの現実に、想いの共振するぬくもりとなるベルモットの甘さがステアされたような、奇跡のようなレシピのバランスで作られたドライマティーニから訪れる慰安のようにも感じられた。

俳優達は、それぞれにロールのエッジをきっちり研いで舞台の切れを作り上げていたように思う。女には静かなときも心乱れる時にも変わらない想いの純真さを感じたし、男には崩れない律儀さや実直さがあった。それらは近未来に残るどこか古びた二人の暮らすアパートの風情をうまく醸し出す力にもなっていた。また男の妻の行き場のない寂しさも、女の夫が離れていく想いの理も、断片でありながら俳優によって曖昧にならずしっかりと描かれていたように思う。舞台の中での力加減ということでは、男の上司の女も鑑定を受け付ける男にも舞台のトーンへのバランス感覚を感じさせる好演があった。あと、あの柴犬のムーヴメントでの質量の作り方には痺れた。最初はうわぁと想い、その後の登場には唯々見入った。

観終わって、この舞台、ベタな言い方だけれど編まれる物語の質感にぞくっとくるような新しさを感じ、実に面白いと思った。これまでに体験したことのない世界の訪れ方で、終演後には二度観の予約をしなかったことを後悔したりも。でも、それも叶わなかったので、せめて作り手のこれからの作品も観たいと思った。
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青年団若手自主企画vol.85
近藤企画
『更地の隣人』
2021年3月31日(水)-4月4日(日)@アトリエ春風舎
企画:
近藤 強
作・演出:
平松れい子(ミズノオト・シアターカンパニー)
出演:
折笠富美子 近藤 強* 根本江理 海津 忠 伊藤昌子 石垣 直

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