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利他的なパリピは「ポスト平成」を救うのか


突然ですが、皆さんにとって「パリピ」はどういうイメージですか?

パリピ(Wikipediaより引用)
パーティ・ピープルは、英語で「パーティー好きな人々」を意味する語句「party people」の音写。日本語では、長音符、中黒の有無による表記の揺れがあるほか、「パーリーピーポー」としたり、さらに「パリピ」と略されることもある。単にパーティーを好むだけでなく、より広く様々な機会に集まって楽しそうに騒ぐ若者たちという含意がある表現であり、否定的に言及される場合には、騒いで周囲に迷惑をかけるという意味合いで用いられる。

「騒いで周囲に迷惑をかけるという意味合い」

最後のここ、めっちゃ悪口www

というツッコミもありつつも。

でも、みんな「パリピ」「パリピ」って、本心ではパリピのことをうらやましがってるが故に皮肉を込めて言ってるんじゃないか!?とも思う昨今。

ちなみに、私は声を大にして言える。パリピは憧れ!!!

だってパリピってめっちゃ楽しそうじゃないですか!?!?お酒さえ飲めばみんな友達!みたいな。めっちゃ世界平和、人類皆兄弟。もはやノーベル平和賞に最も近い存在=パリピ

パリピへの憧れが強みに強まっちゃって、先日六本木のバー借りて風船でデコって「#セルフ送別会」まで開催しちゃったもんね。


さて、自分がこれほどまでパリピに憧れている理由。改めて考えてみると「楽しそうでうらやましい」という表面的な憧れだけでなく、実はパリピこそがポスト平成時代を担うリーダー的存在なのでは!?もしやメシア!?とまで思い至った。

パリピが最強である3つの理由

なぜ、私がパリピに憧れるのか。主な理由は以下の3点。

1)パリピは場を作り、ハブとなれる存在
2)パリピは人の喜ばせ方を熟知する、極めて利他的な存在

3)パリピは自分の機嫌を自分で取れる存在

パリピは、その名の通りパーティーによくいる人々。たくさんのパーティーに出てウェイウェイできるってそれだけ人脈が多い証拠。つまり、パリピは人が集まる場を作ることができる「ハブ」的人材。パリピの友達になればだいたいの人と友達になれるポテンシャルができる。パリピ、すごい!

また、自分が送別会を主催して実感したのは、パーティーを開催する時って「どうしたら皆に楽しんでもらえるだろうか?」についてめちゃくちゃ考えるということ。

そういう意味でもパリピって他者のことを尊重できる、極めて利他的な存在じゃないですか!!??

上記の「利他的」については幹事系パリピにのみ当てはまる点かもしれないけど、ただウェイウェイしてるだけの「受け身パリピ」にも長けている点がある。それが(3)の「自分の機嫌を自分で取れる。」いや〜酔って人に迷惑かけるぐらいウェイウェイできるってそれ逆に才能!!普通の人が7くらいしか楽しめなくても、10くらいかそれ以上にもっと楽しめるってことだからね。


そして自分の機嫌を自分で取るって簡単なようで難しい。これができたらどんな仕事でもやっていけると私は思う。一億総パリピ社会になれば、「上司の不機嫌で理不尽な八つ当たりをされた」なんてこともなくなるのでは!?そうすれば、みんな自分と自分の仕事のことだけ考えてれば良くて極めて生産的な世の中が実現できる!パリピ、えらい!

パリピは「ポスト平成」を救うのか

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ここで表題に戻りますが、(特に幹事系の)パリピは今後の時代のリーダーを担っていく存在になるんじゃないかと

先日話題になった、岡山さんのnote「ドア型人材」にもパリピは近いのでは?と思ったり。


歴史上、どの時代においても「人が集まる」ことは全ての起点と言える。どんなビジネスでもどんな宗教でもどんな文化でも、それが隆盛するのは人が集まっているから。人を集めることができるパリピは、やっぱりノーベル平和賞でナポレオンでイエス・キリストなんだ。


そうした歴史的背景も鑑みても(勝手な推測だけど)、私は正々堂々と誓いたい。パリピ王に私はなる!!

偉そうに考察しているフリして至極当たり前のことを言い、結果として自分の正当化を図るnoteがここに爆誕。とにかくみんなでパーティーがしたいです。

ご覧いただきありがとうございます!調子の良い不器用な人間が、自分の言葉で生きることだけは続けようと書き綴っています。素直さだけが取り柄なので単刀直入に、サポートいただければすっごく嬉しいです!