あおの話

「ねぇねぇ、梨花さんはどの あお が好き?」

美術部顧問の 通称«まりちゃん»は中学生の私にこう聞いた。まりちゃんは50代(多分)で、もう何十年とこの美術室を自らの城にしている。

まりちゃんのすごいところは、誰と話す時も態度が同じであることだ。同僚も生徒も、父兄も大体同じ態度。上司には腰が低いとか、父兄には愛想がいい、とかそういうことではない。みんなに平等。みんなに普通。まりちゃんは、実に飄々としている。私はそんなまりちゃんが、好きでも嫌いでもなかった。

私は、見栄張りな子供だった。いつも誰かから褒められたかった。「梨花ちゃんすごいね」の一言が大好物だった。だから、よく褒めてくれる先生が好きだったし、厳しい先生の授業では褒めてもらえるように頑張った。おかげで成績はそんなに悪くなかったし、先生たちからの覚えもよかった。学級委員に選ばれたりして、私は本気で自分は特別な存在なのだと思っていた。

でも、まりちゃんは平等で、フラットで、平常運転だった。

私は、そんなまりちゃんが好きでも嫌いでもなかった。

中学・高校時代の私はどこかで疲れていた。いい顔をしていると人から感謝されるし、何かの目立つ役をもらえる。そんなに嫌でもないし、うまいこと役を果たせばまた褒められる。でも、それがなんだというのか。なにが残るというのか。

そう。なにも、残らなかったような気がする。


美術室の壁には、モネの「睡蓮」のコピーが数枚飾ってあった。部活動中のある日、その「睡蓮」を指さして、まりちゃんは私に話しかけた。

「ねぇねぇ、梨花さんはどの あお が好き?」

先生という立場のまりちゃんに、まるで友達みたいに「好きなあお」を聞かれたことに、私は内心驚いた。しかし、嬉しかったというのが本心だ。私の見栄張り部分ではなく、私そのものに話かけてくれたような気がしたからだ。私は、自分の好きなあおの場所を指さし、まりちゃんとぼんやりと「睡蓮」を眺めた。

モネの描いた睡蓮の池は、それはもう複雑な色彩で構成されている。色と色は画面上で重なりあい、その重なりは風景として目に映る。何気なく目で見る風景からは想像もつかない色が、画面上にはある。うかつにまばたきをしたら失われてしまいそうなその瞬間の、その色。

あのとき、私はどの「あお」を指さしただろうか。

あれから15年が経った。

私は、まりちゃんに会いたくなった。




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