「離」

私を表す漢字は「離」。24歳の秋、四柱推命の占い師にそう言い渡された。

離婚、別離、離散、乖離、離職… 冗談じゃないぜ。散々じゃないか。「離」の付く言葉を想像して、まだ経験してもいない今後の人生にうんざりした。ただでさえ最初の就職先を一年で退職し、将来を悲観していた頃だった。

それでもなんとか、その年の冬には再就職が叶い、今日で4年勤めたことになる。最初はどうなることかと思ったが、続けてくることが出来た。しかし、30歳を目前にして再び「離」の性質が頭をもたげてきた。ここではないどこかへ出て行きたい気持ちなのだ。

最初の「離」は、今年の4月。7年間の恋愛が終了した。どうしようもない現状維持を断ち切る決断をし、それを実行することは相当な苦痛だったが、今となっては憑きものが落ちたような気持ちだ。自分では気がついていなかったが、どうもこの恋愛は常に微量の苦痛を伴っていたらしい。(念のために、不倫等の公序良俗に反する恋愛ではなかったと申し添えておく)

もちろん、楽しいことばかりが恋愛だとは思わないが、少なくとも私の自己犠牲や献身が、ただの自己満足だったということは理解した。なんとなくいつも苦しかったのは、私の独り善がりのせいだ。自分の気持ちは自分のもの。言わなきゃ分からんのだ。

別れた後の二日間は泣いて暮らしたが、それも一時のことで、その後の私に確かな経験値を残した。「離」も悪くない。「離」の苦しみよりも、怠惰な現状維持で堆積していく柔らかで穏やかな苦しみのほうが、質が悪い。決して現実逃避としてではなく、無理だと感じたら離れて良い。恐れる必要はない。

「離」によって恋愛を手放した分だけ身軽になった私は、次の職場を探すことにした。人生は流れるのだ。「離」の人生で何が悪い。新陳代謝の良い人生でいいじゃないか、と今は思っている。


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