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AIの知性ーAIはコミュニケーションをデザインできるのか

最近、小さい文字を見るとき、目を離さないとぼやけるようになってきました。
老眼の兆しでしょう。
ある日、SNSでそのことを投稿したのです。
「とうとう老眼が始まったわ」と少しの自虐とともに、中年である自らを受け入れたい心情も一緒に。

翌朝、Youtubeを開きました。
そこにはなんと、「老眼鏡」のCMが。

なんとも言えない気持ちです。
自分の顔を鏡で見てはいませんが、もしかしたら「苦虫をかみつぶした」ような表情をしていたかもしれません。

言葉にならない違和感

日常生活のあらゆるところに、AIが活用されて、それによって不便が解消されていることはわかります。そして、不便が解消される過程というのは、将来的にフェアな世界を生み出すためのものであって、そういう世界を私は見たいと思っています。
イノベーションによって、AIが不便を解消するために役立てられる場面は、ますます増えるはずですし、そのためのAIの進化は止まることはないでしょう。

とはいえ、私が「老眼鏡」のCMを見た時に最初に感じたのは、AIによるコミュニケーション活動に対する、言葉にならない違和感でした。

「わあ、私の困っていることに気づいてくれた!便利!」

とは、まったく思わなかったですし、クリックしてLPを見に行こうとは、もちろん思いませんでした。

病院でのできごと

少し話が変わりますが、私は、2週間ほど前に、胃腸炎にかかりました。
その時にかかった病院の看護士さんがとても親切な方で、診察後にもわざわざ私のところへ来て、食生活のアドバイスをくれました。
ちょうどその時、仕事の面接を控えていたので、その面接に行くのは大丈夫か、というような質問もして、それにも簡単だけれど、心のこもった助言をしてくれました。

つい最近、新型コロナワクチン接種の予約案内があり、先日かかったこちらの病院で接種することにしたのです。
接種の時間になり、診察室に入ったら、前回の看護士さんがいらっしゃいました。
「こないだはアドバイスをありがとうございました。」とお礼を伝えるとその方は、前回のやりとりを覚えていて、「面接はどうでした?」と声をかけてくださったのです。

2週間前のこととはいえ、毎日多くの人と接している中、私とのちょっとしたやりとりのことを覚えていたことに、驚きました。
仕事が決まったことを伝えると大変喜んでくださり、「よかったよかった!何か仕事で困る時には、ちゃんと上の方に話して、相談するのよ~」と言ってくださいました。
余談ですが、私は人に相談することが少し苦手です。もちろん、この看護士さんは、そんなことは知りません。でも、私にとって大事なメッセージを伝えてもらえたのです。

消費において、本当に得たいものは何だろう。


私たちがモノを買うとき、「ここで買ってよかったな」と思うシーンには、この病院での出来事で私が感じたものが、遠からずあるのではないでしょうか。
それは、「思いもよらなかったけれど、大切なものを得た」という感覚。
意図された過剰なサプライズ演出でもなく、入念に用意されたホスピタリティなどとも全く異なる、日常にありそうで、実はなかなか感じられにくいもの。
そういうものを思いがけずに受け取った時、「ここで買ってよかった」という充足感があり、「またここに行きたい」という意欲促進があるのでは。

「老眼鏡」のCMが現れた時、私はこう感じたのです。

SNSという「道端」で、知り合いにちょっと話しかけた。その会話を聞きつけた眼鏡屋さんが、「ちょっとそこのあなた!」と藪から棒にでかい声で話しかけてきた。「うちにいい老眼鏡ありまっせ~!」と。

どうですか。
「自虐でちょっという分には面白いと思っただけなのに、そんな大仰な」と私は思いました。
そして、「なんだかなあ・・・」という気分になったのです。

AIのコミュニケーション・デザイン

今、AIがマーケティング領域、もっと言えばコミュニケーションにおいて可能なのは、ある種「直線的」なアプローチなのでしょう。
私たちのつぶやきや、何の気なしに発言したことを拾い集め、全体の中から傾向として表れる、消費者の潜在ニーズを把握することは可能でしょう。
しかし、そういったニーズは、全体の総和の中から導かれた、ある種カテゴライズされた範囲にとどまるのが、現状なのではないでしょうか。
「文脈」としての意味ではなく、「文字」としての意味をとらえるには、非常に優秀なツールとして機能しています。

ただ、私たちは、生活の中で、また消費行動においても、前後のつながりの中に生きています。そこには、はっきりと文脈があり、個別の願いや想いがあり、その上で、私たちはあらゆる行為を選択しています。
現状のAIによるコミュニケーションは、私たちの「文脈」を弾力的に把握するに至っていない。
人それぞれに異なる文脈を、どのようにすくいとるのか、AIを活用したコミュニケーションにおける知性が問われると感じています。
そして、このようにも思います。
「文脈」を理解することが、人間とAIとのの違いであるとするなら、AIを作り出している今の私たちは、人間の「文脈」を本当に理解できているのでしょうか。

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