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混濁

家族がいない2泊3日で、わたしは時間と物事の関係がわからなくなり始めている。今日のことだったのか、昨日のことだったのか。それが曖昧になって来ている。たった2日でこれだ。

夢を見た。わたしはどこかへ旅行している。オットと一緒だ。旅行ではありながら、同行するオットは仕事だ。同じバスには乗らない。オットは仕事仲間と一緒に移動する。

宿泊地はホテルのような旅館のような場所だが、わたしたちは病室のようなところで寝る。ベッドが等間隔に10台は並んでいる。雑談をしながらみんなが絵を描いている。今日あった出来事を記録するためだ。そこにスタイリストの若い男性がいた。「ぼくのオットが」と言うので、ああ、同性婚かと思って、「あなたの旦那さんは今日は来ていないの?」と訊く。その言葉を言い終わらないうちに、オットがわたしを制す。そこに触れちゃダメだ、と言わんばかりの圧力だ。しかし、わたしが言い終わる方が早かった。オットの顔に怒りのような後悔のような色が見え、「余計なことを」と呟いたのが聞こえた。当のスタイリストは「ええ。今日は留守番です」と言った。わたしは「そうなの」とだけ答えて、部屋を見回す。病室のように等間隔に並んだベッドは、男女関係なく振り分けられており、わたしは自分のベッドに潜る。みんなスケッチブックに絵を描き終わったら、それぞれに就寝する。

翌日、わたしは屋外で食事をしていた。そこは何かのフェスのような場所で、いろんな屋台が出ていた。わたしは友だちと一緒に、バイキング料理の列に並んだ。友だちが先に食べ物を選び、列から外れた。わたしがようやく選び終えたら、どういうわけかわたしの皿にだけ、お店の人がラップをかけた。その皿を両手で持って、みんなのいるところへ急ぐ。バサッ、と何かが皿の上に落ちて来た。全長30センチはあるカタツムリだ。うわっ。と思ったが、両手がふさがっているため、払いおとすことができない。まずい。カタツムリは生きている。動く。そして重い。指におかしな感覚があり、吸着感だと気づいた時には、左手の人差し指はカタツムリの中に第2関節まで吸い込まれていた。思いっきり抜き取ると、カタツムリは向きを変え、今度は手の甲に這い上がって来た。うわあああ。と声をあげるも、誰も気づいてくれない。わたしは持った皿の上に乗ったカタツムリに襲われている。そして、その光景を客観的に見ている自分もいる。自分から意識が離脱したのか。わたしは料理とカタツムリの乗った皿をよろよろしながら運んでいる。頭の中では、「この料理を失うと、食事はもうもらえない。ラップの上に乗っているうちはいいが、この隙間から料理の上にカタツムリが乗ってしまうと、衛生的に考えても、もう食べられない」と慌てていた。カタツムリはのろりのろりと動くが、その吸着力がハンパなく、また別の指が吸い込まれていく。

という夢を見ていた。目が覚めても、現実がどこまでで、夢だったのかどうなのかも曖昧なエピソードが頭の中を行ったり来たりしている。

これはまずいのではないか。現実とそうじゃないものがごっちゃになり始めている。たった2日で。自分以外の人と過ごさないでいることで、社会性から大きく乖離し始めているのか。目が覚めてからも夢と現実が入り混じっていて、どうしたらいいのかがよくわからないままだ。

今もまだ、頭の中がふわふわして、収まりが悪い。伴侶をなくして一人暮らしをする高齢者とか、子どもを失って家に引きこもる人とか、こういう感じなのかもしれない。いつまでも夢の世界に引きずられて、現実が現実として、実感できないでいる。

幸い、今日は夕方から文章教室の子どもたちと会う。現実と夢の曖昧さをリセットできることを期待して、準備をしよう。

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