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脳内出血に選ばれた/片麻痺起業家

自己紹介

初めまして松川 力也と申します。
今日から私が障害者起業家としてノートを更新していきます。
暇つぶしに読んで頂けると嬉しいです。


プロフィール

名前:松川力也(23)
夢:『障害と生きる方の人生の選択肢を増やす』
職業:言語聴覚士→就労指導員→起業(現在準備中)
活動:障害者団体運営・福祉特化イベント主催・障害特化メディア代表
特徴:左半身が麻痺している(脳動脈奇形)*10万人に1人

病気について

私が、病気を発症したのは14歳(中学3年生)の時です。

病気は突然訪れ、私から『当たり前の生活』を奪っていきました。

その日は、自宅で兄と2人で夕飯の鍋を食べていました。食事を楽しんでいる時、左の口角から麺が落ちてきました。その後も何回も麺が口から落ちてきました。イライラして食器を片付け始めた時に私は倒れました。そうです。この時に脳内出血が起きたのです。

倒れた数分後に左手が動かない事に気づき沢山泣きました。次に目が覚めたのは、1週間後でした。起きたら点滴が自分の体に4本付いていました。起きた直後は夢の中にいるのだと。現実を理解することが出来ませんでした。意識がまだ完全に戻っていなかったので、数分後に寝てしまいました。次に目を覚ました時は、今起きている事は、現実である事を理解し自分の将来の事を考え、明るい未来が想像出来なくて『死にたい』と心から思いました。

この時から私の第2の人生が始まりました。

当時は本当に生きているのが苦しくて毎日死ぬ事を考えていました。両親に『殺してほしい』と伝えてしまいました。これは、本当に後悔しています。

高校受験という新たな壁

壁身体が不自由になったこと以外にも沢山の壁が私の前に現れました。

それは、高校受験です。病気を発症したのが中学3年の12月、高校受験まで残り50日程。私は、小学生の時から小さな目標がありました。

それは、高校に入学後バイクの面鏡を取得し友人と遠出をする事です。病気を発症した後もその目標を諦めませんでした。

意地でも高校に入学すると決心し受験勉強を病院のベットの上で小論文・面接練習を両親・学校の先生を相手に行いました。気がつけば高校受験当日になり、病院から車椅子にのり高校の保健室で人生初めての高校受験を行いました。当時は、1人で立ち座りが出来なかったので尿瓶を常備していました。何事もなく人生初めての高校受験は終了しました。無事第一志望の高校に合格する事が出来ました。この結果を出せるまで支えてくれた家族や周りの方に感謝です。

今日はここまでにしておきます!
次回は転院と新たな夢について書いていきます。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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