旅行記『イスラエル編〜パート3〜』
エルサレム旧市街ツアー
ガイドブックや地図を片手に回っても良かったけど、知っている・分かっている事よりも圧倒的に知らない・分からない事の方が多いから、初日に現地ガイドツアーを付けた。それも日本語のガイドで。だって英語で説明されてもさ、半分もわかんないと思うんだよね(まあ日本語ガイドにしたのに半分くらいしか意味わかんなかったけど笑)。
スタート地点はダマスカス門
ダマスカス門に着く前に園の墓とゼデキアの洞窟もチラ見したけど、園の墓は園内の写真撮り忘れてたしゼデキアはそもそも閉鎖中で中の写真ないので割愛(ちなみにゼデキアの洞窟の説明の時にフリーメイソンの話が出てきて、まさかここでこの名を聞くとは、ってなった)。
で、ダマスカス門はダマスカスの方向だからダマスカスって名前が付いてるってことらしいんだけど、写真の中心に見えてる門の左下にも実はもう一つ門があって、そっちは前時代の門。つまり遥か昔は今よりも数メートル下に街があって、その昔の街の上に今の街が作られてるってこと。その結果、下の写真みたいに「掘ったらなんか出てきちゃったよ…駐車場にしたかったのに…」ってな感じで掘ると前時代の遺跡が出てくる。まあ、日本でも宅地造成工事してたら遺跡っぽいの出てきちゃった、ってことがあるから歴史ある街なら当然だよね、って感じではある。
ヴィア・ドロローサ
ちょっと脱線したけど、ダマスカス門から入った現地ツアーはヴィアドロローサ(十字架を背負ったイエスが歩いた道)へと突入し、歩いてたら十字架持って練り歩いてる巡礼者というか観光客に遭遇。
巡礼者ではない我々は彼らを横目にしながらAustrian Hospiceっていう屋上からの眺めが良いという場所へ移動。屋上への登上は有料だけど、ツアー代に含まれてるのかガイドが受付で「ちょっと上開けてくれない?」とか言ったら開けてくれて無料で入った。まあツアー代めちゃくちゃ高かったんで、ここ有料だから払ってね、とか言われたらキレてたかもしれない。
墓の数と時代の移り変わり
旧市街の街並みを堪能した後は、旧市街の周囲をオリーブ山というかユダヤ人墓地を眺めながら歩いたり、城壁の作りが違うのを見て「本当に前時代の上に造られてるんだ」と実感したりなどなど。
この後ダビデの町もチラ見したけど、本当にチラ見しただけだから特に何もない。強いて言うなら修学旅行っぽい学生で溢れかえっててすごかった、以上。
嘆きの壁
エルサレムといえばここなんじゃないかな、っていうスポット。来るまで知らなかったんだけど、嘆きの壁は男女で場所が分かれてる。正面から左側半分が男性、右側半分が女性が入れるところになっていて、皆壁に手を当てて祈ってたり、願い事を書いた紙を壁の隙間に入れたりなんかしてた。宗教感無さ過ぎて、壁を見ても、壁を触ってみても、何も感じなかったけど、熱心に祈ってる人たちを見て宗教の偉大さと怖さを感じた。
聖墳墓教会
ユダヤ教の後はキリスト教の聖地な聖墳墓教会。写真はイエスの墓で中に入るために人がめちゃくちゃ並んでた。聖墳墓教会は修繕中で入れない場所以外は一応入ったはずなんだけど、人が多かったのとサクサク進んでいくのと、興味が…本当にわかなくて…あまり写真も撮ってないのでこんな感じで終了。この後、ダビデ王の墓と最後の晩餐の部屋とされるところにも行ったけど、まあ、もういっか。
行けなかったシンドラーの墓
ツアーの最後に、「まだ開いてるかもしれないのでオスカー・シンドラーのお墓にも行ってみますか」と言われたので、それは是非とも行きたいと行ったものの、既に閉門時間過ぎてて入れず。最終日にリベンジしようと思ってたけど、それも出来なかったので次回のイスラエル渡航時には行こうと思う。
と、こんな感じで朝から夕方までひたすらエルサレム旧市街を歩き回るツアー終了。なお、一日歩き回ってここが1番好きだったわー、っていう場所はこちら↓
こういう日常が垣間見えるところが好き。
そんな感じでパート4に続く
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