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「雑草のように強い」は褒め言葉だけど、雑草はやはり邪魔

明日明後日で玄関脇の雑草を抜く予定です。頼みもしないのに、この季節になってもよく生えてくるものだと感心しています。

さて、……

「雑草のように強く生きろ」と人に向かって言う例は少なくない。雑草魂という言葉もある。しかし、雑草そのものに「強く生きろ」と言う人はまずいないのではなかろうか?

そんなことを考えたのは、この週末に草抜きをするからである。雑草は、僅かな隙を突いて根を生やし芽を出してくる。先週、軽く見て回った時にはなかったはずのところから緑の葉が出ているのを見ると、ガッカリしてしまう。

元々、わが家の通路部分は小砂利を敷いており、それだけでも草は生えにくいはず。しかし、それでも芽を出してくるのだからイヤになる。

今の時期は、雑草も「実りの季節」である。どこからか種が飛んできて、狭いわが家の砂利敷き部分に着地して発芽、何とか根を伸ばすのだろう。その努力は認めるものの、だからと言ってそのまま育つことまで認める訳にはいかない。

かくて、しゃがみ込んでプチプチと抜いていくことになるのだけど、結構面倒臭いだろうなあ。根っこの伸びている方向とは真逆に引っ張らないと、根が切れて土中に残る。そうなると、翌週またそこから芽が……ということになってしまう。

いつも織田信長のように「根絶やしにするのじゃ!」と自分に言い聞かせて抜いていくのだけど、週末に雨が降るとこれができない。それで翌週になると、増える増えるw

ただこの草抜きも、他にやらなければならない作業があってそれで疲れた時やテレビで観るものがない時にやると、それなりに息抜きになる。加えて若干ではあるけれど運動にもなる。そう思いながら地道にやってきている。

勢いよく除草剤を撒きたい欲求も時に頭をもたげるのだけど、それは自然の摂理に反するように感じるし、万一隣家の木が弱ったり枯れたりしたら困るので、思いとどまっている。

邪魔だと感じるのは人間の側の一方的な都合で、雑草にしてみれば自分が必死に子孫を残そうとしているのを妨げる私の方が邪魔だろうと思う。それは認めるものの、新型コロナのように「with 雑草」という考えには至らない。

かくて週末も同じ作業をするのだろう。

今回は、普段に増してあまりあなたのお役に立たない記事でしたが、お読み頂き、ありがとうございました。



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