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誰がために鐘は鳴る。

なんぴとも一島嶼にてはあらず
なんぴともみずからにして全きはなし

人はみな大陸の一塊
本土のひとひら 
そのひとひらの土くれを
波の来たりて洗いゆけば
洗われしだけ欧州の土の失せるは
さながらに岬の失せるなり
汝が友どちやなれみずからの荘園の失せるなり

なんぴとのみまかりゆくもこれに似て
みずからを殺ぐに ひとし
そはわれもまた人類の一部なれば

ゆえに問うなかれ
誰がために鐘は鳴るやと

そは汝がために鳴るなれば

大学の頃受講したイギリス文学史の授業を思い出す。

ヘミングウェイの著、「誰がために鐘は鳴る」の引用元となったジョン・ダンによる詩「瞑想」の一節。

スゴく噛み砕いて言えば、
世界のあらゆるコト、モノは全て私たちに関わりを持っている。

だから誰かが死んでしまったことも、我が身の死と捉え重く受け止めよう。

遠い彼の地で鳴った弔いの鐘は、誰かのためのものではない、
他ならぬ、私にも向けられたものなのだ、と。

今、世界は危機に瀕している。
私一人一人にできることは何か。
それは、延いては私たちに、そしてすべての人にできることは何かに繋がる。

地球の裏側で苦しんでいる人たちのことを想おう。それだけでもいいのだ。

一人一人ができることは少ない。
けれども、私たちは他ならぬ人類の一員である。

私たち一人一人の意思が、想いが、誰かを苦しめもし、救いもする。

誰かの死を知らせる鐘が、私に向けられたものであるのなら、

私の喜びを知らせる鐘もまた、誰かの為にきっと鳴るだろう。


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