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畑耕一『笑ひきれぬ話』「探偵小説家と黑猫」 【小説書き起こし】

 本日、8月17日は、アメリカではBlack Cat Appreciation Dayなのだそうです。


 サムネはスタジオジブリさまのフリー素材です。ありがとうございます。黒猫ということで、ジジさまです。かわいいですね。


 本日は、畑耕一『笑ひきれぬ話』から「探偵小説家と黑猫」を書き起こしてみました。国立国会図書館デジタルコレクションを参照しました。古い漢字は常用漢字にさせていただいた箇所があります。誤字・脱字があるやもしれません。あしからず。



 
  探偵小説家と黑猫

 探偵小説家が、ある日、ぎつしり本のつまつた書斎の中で、ひどくむづかしい顔をして、しきりに考へこんでゐた。
 暖爐(ストーブ)に石炭が快い爆音をたてゝ、萌えくずれてゐた。
 彼は「奇想天外」を、唯一のmottoとしてゐるだけに、奇態な鼻をもってゐた。
 大きな、ぶつきらぼうな、圑子鼻だ。「茄子のやうに垂れてる」といふ、アラビアン・ナイトにある鼻だ。
 彼はその鼻を、無性にくんくん鳴らした。──室内に残ってゐるなにかの臭味からでも、嗅ぎ嗅ぎ嗅ぎ寄つて、みんごと犯人をたぐり出してしまふ、彼の小説のなかの、敏腕な名探偵の鼻を鳴らす癖は、つまり彼自身の癖だつたのだ。
 彼はいま、その名探偵が、神出鬼没の巨盜を、最後の逃げ場へ追ひこんだといふ。英雄的な光景を、どう描こうかと一生懸命に考へてゐるのだつた。
 ──はて、まさかこゝで、へんてこなoccult scienceを、ひねくるでもあるまいからな。
 その時、彼の椅子からなげ出した足さきに、まるくなつて居眠りしてゐた、黑猫が眼をさまして、前脚をふんばりながら、あくびをした。
 小説家は、手をのばして猫のちりげをつまむと、ひょいと自分の膝にのせた。
 ──あひかはらず、まつ黑なやつだ。
 猫はイエイツの“black as black”といつた言葉どほりの、黑い顔をあげて、喉をごろご鳴した。
 彼は、また考へ込んだ。
 彼が得意とする慣用手段は、主人公の行方を、犯罪事件の第一原因の中に、ひらりと晦まさせることだつた。第一原因が、稀有な奇怪なものであるほど、その小説は興味津々として、讀者の喝采を傳するに足り、そしてそれの千に一つといふ、不思議な第一原因のうしろに、主人公の姿をかくすことが、九天直下に、讀者を愉快な昏迷の中へ突つ放す譚であるからだ。讀者の好奇心の、眞直中へ巨盜を逃げ込ませば、だしぬけに自分の懐中(フトコロ)へ鼠が飛び込んだやうに、讀者にまつたく度を失つて、唖然呆然とする──といふのだ。
 ──さて、どうやるかな? がんどう返への壁もめづらしくないし、電氣仕掛けの床板(フロアボールド)も、新手じやないな。ふんおれ見たいに毎日毎日人間事實に相尅する、びつくり敗亡の特別の場合を、むやみに考へ込んでゐる者もすくなからうよ。いや、おれのやうに、自分の智惠を、覿面に自分の智惠で、追つかけまはしてゐる、變な商売の男も、すくなからうよ・・・・・・
 黑猫は、ごろごろ喉を鳴らしはじめた。
 彼はなんと思つたのか指を輪にして、黑猫の耳をぴしりと弾いた。
 黑猫はびつくりして、両耳をひつたりうしろに寄せ、眼をつぶつて首をすくませた。
 ──だが、こんどの、おれの覆面の汽車強盜は、若い美しい男爵夫人がその正體だけに、どこまでも女性の弱點を見とほした、思ひ切つて大膽な女性心理の解剖をやらねばらなぬ。さて、どうするかな?
 彼はもう、夢中になつて、奇抜な筋(プロット)を考へた。
 ──ふん。まづ、河馬のやうなでく肥りの賓石商が、一等寝臺車に乗り込んでゐると、そこへその女強盜が、覆面のまゝ腰掛の下から現はれて、だしぬけにピストルを鼻先につきつけ、『手をおあげ!』とやるかな。ちと、平凡かな。・・・・・・が、こゝでひとつ、奇想天外な女性心理の解剖を見せたいな。
 彼は、黑猫の頭を、うんと押へつけた。まるで、この猫からも、智惠を絞り出さうとするやうに。
 ──奇想天外な、女性の心理の解剖と・・・・・・うむ、そのピストルの臺尻に、大きな金剛石(ダイヤモンド)をはめこんであることにする。それだけで、女強盜實は男爵夫人の性格を、ちやんと判断させるのだね。そして、この見得つ張りの強盜は自分の「仕事」をしてゐる間にも、臺尻の金剛石を、なるべく見せびらかせることにするんだね。ふん、ちょっと面白いぞ。
 彼は、黑猫をぎゆうぎゆう押へつけた。
 ──そこで、更に奇想天外、讀者の意表に出て、あつと眼をまるくさせる場面をつくりたいな。発砲させては平凡に堕するな。そうだ。その金剛石に、賓石商人が、思はず見惚れることにするかな。『やあ、素晴らしい逸品だ尤物だ。』と、商人は、我を忘れて感嘆する。・・・・・・ふゝ、皮肉で面白いぞ。
 彼は、黑猫がすこし怒り出したのも知らなかった。
 ──『ほんとうに素敵だ。滅法界な代物だ。』と、商人は、夢中に熱心になる。『このピストルなら、五萬圓まで出しますな。』とやる。ふゝ、奇妙々々!・・・・・・そこで奇妙ついでに、女強盜が、ピストルを投げ出して、『その價ならお賣りしてもいゝわ!』とやる。ふゝどんなもんだい!』
 彼は、力まかせに、黑猫を床の上に、敲きつけた。
 ──ぎやつ! ふつ!
 黑猫は叫んだ。そして肩を聳して怒つた。
 ──や、お前だつたか、こいつはあやまつた。
 探偵小説家は、こゝで、またちよつと首をひねつた。
 ──ふん、こいつは奇想天外すぎたかな!



 畑耕一「探偵小説家と黑猫」、『笑ひきれぬ話』、大阪屋号書店、1925年。




 わがやにも黒猫がおります。愛してやまない ♡ クロくんです。

クロ:「どこ?」


 ↑ クロくんのおでこについているのは、CIAOちゅ〜るです。大好きなチュールの匂いがすぐそばでしているのに見当たらないと戸惑っておられる様子です。クロくんはチュールが大好きでして、目の色変えてむさぼりつくものですから、しばしこんなふうにお顔についてしまうときがありますw。かわいいです。


 


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