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夢と人種と好き嫌い。日本時代の恩師とアメリカ時代のクレイジー先生と・・・


#忘れられない先生  がどれほどいるかと思い返すと、中・高時代の先生やアメリカ時代のいろんな先生を思い出す。

先生というか、先生の言葉というか。

この機会に思い出せるだけ、思い出してみようかと。

「夢は逃げない、逃げるのはいつも自分。」

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まずは中学、高校時代の恩師。

多分私の同級生たちはみんなそろって、なんだかんだ彼のことを恩師?忘れられない先生、と言うだろう。

めちゃくちゃに怖かったけど、ものすごく力のあった英語の先生。

彼のスパルタのおかげで私の学年は全国模試でベスト5に入るほどの英語の偏差値を叩き出した。(確かそんくらいすごかった・・・)


私はその中でも落ちこぼれの中の落ちこぼれ。

いっつも再テストに追試に補習。

そんな学年一の落ちこぼれがたったひとり、卒業と同時に渡米するとは・・・笑

まあ渡米は誰だってできることなので、それ自体がすごいことでもなんでもないんですが。

本当に厳しい先生だったけど、渡米してから本当に彼の英語を6年も学んでこられたことに感謝した。


そして、アメリカへ行って半年くらいの頃かな。

先生にメールをしたら、(当時はようやくiPhone3Gが普及しはじめた頃。wi-fiも不安定でスカイプはしょっちゅう途切れるような環境でした)

返信メールに書かれていた言葉が、これ。

夢は逃げない、逃げるのはいつも自分。

私はそれなりに大口叩いて渡米したのですが、笑

この言葉には奮い立たせられたなあ。

彼はいくつになっても、私にとって、忘れられない先生です。

「実力と虚栄の世界。弱みを見せてはいけない。」

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この言葉を私にくれたのは、先生ではないけれど、友達の父親。

彼はジャーナリストで世界中を飛び回る人だった。

そんな彼にもらった言葉。

アメリカは実力と虚栄の世界。弱みを見せたらいけない。そして、アメリカでは浮遊者ですら英語を当たり前に話す。英語が話せるだけでは何にもならない。逆に、英語ができなくても通用するのがプロフェッショナルの世界。欧米人は人より良い物を持つ事より彼等が出来ない事をできる人に対して敬意を払いまた尊敬もする高級な服を着る人より、高級と呼ばれる服をデザインする人の方が評価される。

私は、高級な服を着て威張る人ではなく、高級と呼ばれる服を、信念を持って作る人間を目指そうと思った。

彼も間違いなく、渡米当初の私にとって、大切な師だった。

「白人である私が、黒人の歴史を伝えなくてはならない。」「アメリカ人である私は、戦争をしたことは仕方のないことだったと思うが、ヒロシマに原爆を落としたことだけは大きな間違いだった。」

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これはサンフランシスコ時代の、英語の先生と西洋史の先生の言葉。

頑張ることを諦め、すっかり頑張りかたを忘れていた私は、必修科目は特にやる気もなく過ごしていたけれど、昔から民俗学や歴史、文化などには興味があってこの二つの授業は特に記憶にある。

まずは英語の先生。

誰もが想像できるようなスーツの似合う白人系アメリカ人の紳士な先生だった。英語の授業は基本的に大嫌いだったけど(日本でいうところの国語にあたる)この期の英語クラスは本当に勉強になった。

テーマは一貫して、アメリカにおける黒人差別の歴史についてだった。

この話を掘り下げると永遠に止まらなくなるので、一旦置いておくけど・・・その英語の先生が、授業中に言った言葉が忘れられない。

白人である私が、黒人の歴史を伝えなくてはならない。

彼は、白人として生まれ育って、教師をしている。

差別や偏見の恐ろしいところは、年月を経ると当人同士で何があったわけではなくても脈々と続く歴史の中でどうだった、ああだった、こうだ、そうだ、という理由だけで無視をしたり、罵声を浴びせたり、暴力をふるう。

彼も当たり前に白人として不自由ない家庭でアメリカで育って、当たり前にそれはアメリカ社会では特権的なことで、肌の色で、出身で、差別をされる立場にはなかった。

そんな彼こそが、声に出して生まれ育った国で先人たちがしてきた黒人差別のことを未来に伝えていく必要があると言っていた。

確かに差別をされる側の人間が訴えるのは当たり前で、それはそれでとても心に刺さる。

けれど、差別をしてきた側の立場が、真実を伝えることもものすごく意義があると思った。

先生は、基本的には真実を話すのみでそれが間違いだった、いけないことだ、ひどい話だ、などの感想は言わなかった。

差別が間違いなのは当たり前の大前提。多分先生は、「差別はいけないこと」という当たり前なことを伝えたいんじゃなくて、こんな歴史があったことを、今もあることを、知って考えて無関心であってはいけないということを伝えたかったんじゃないかなと思う。



それからもう一人の先生。

彼も白人系アメリカ人の西洋史の先生。基本的に西洋近代史のクラスだったので、世界大戦中のヨーロッパでの戦いが中心だったけど、その時に広島の原爆の話が出た。

クラスに日本人は一人、私だけだった。

彼は話し始める前に、「日本人はrireeだけか?」と聞いてきた。

そして私に広島へいったことはあるか?と聞いてきた。私は当時いったことがなかった。先生は、来日した時に行ったらしい。

帰国したら、必ずいくべきだと私に言った。そして、

アメリカ人である私は、戦争をしたことは仕方のないことだったと思うが、ヒロシマに原爆を落としたことだけは大きな間違いだった。

と話した。

国際問題やいろんなことが絡まり合って引き起きる戦争。

戦争は良くないと言うのは簡単だけど、戦争を避けることが難しいことはよくわかる。

原爆が投下されなくても、戦争をすると多くの人が命の危険に晒される。

それでも、先生は、たった一つの爆弾でたくさんの命とまちが一瞬で吹き飛ぶ原爆を、投下したことは間違いだったと言っていた。

先生は、広島を訪れた時から、絶対にそれだけは間違いだったと思うようになったそうだ。

私は日本人として、母国のことを語れるほど知らないことに、この時すごくすごく恥ずかしく思った。

「私が嫌いだから、やり直し。」

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話は一転して、今度はファッションイラストレーションの先生。

101匹わんちゃんのクルエラを太らせたような派手で豪快なおばちゃん先生。

いっつも派手なネイルとギラッギラのごっついアクセサリーを身にまとって、魔女のような先生。


先生の好き嫌いがそのまま課題に反映される。それに対抗できる意見が無ければ、やり直し。


あるとき、課題で描いたコレクションを想定したデザイン画。

クラスメートには評判が良かったけど、先生からの一言。

私が嫌いだから、やり直し。

自分の好きなものを作る。こだわりを持って作る。

もちろんそれって絶対大切なこと。だけど、ビジネスとして回していく上で、それが自分一人で食べていける分だけならなんとかなるかもしれないけど、それだけじゃ生きていけないことも事実。

たとえ自分が100%好きじゃないものでも、上に立って意思決定をする人やお金を払う人がYESならYESになるのも事実。

先生はあまりにも豪快だったけど、アメリカという実力主義・結果主義のシビアな世界で生き残ってきた彼女なりの教えだと思った。

ちなみにどんだけ対抗して言っても、

「あ、そう。でも私はそれが嫌いだから。」と言う。笑 

ただ、だからと言って成績を悪くつけないのが、私があの先生を大好きになったところ。

学校というところで、好き嫌いはあれど、ちゃんと課題をしてちゃんと出席して、きちんと意見を述べる生徒を、しっかり評価してくれる、豪快でクレイジーで愛のある先生だった。

"Variety is the spice of my life."

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最後はこの言葉。これは私の座右の銘?にもなっている言葉の一つ。

18の時、初めて渡米して入った語学学校の先生がくれた言葉。

語学学校という場所は、世界中からその言語を学びにいろんな人がやってくる。私は他人種、他民族が入り乱れる場所が大好きだ。

自分の価値観というものがどれだけ偏ったちっぽけなものだったか、いろんなものの見方があることや、本当にいろんなことを知れる。

私が悩んでいたことが一瞬で吹き飛ばされてしまったり、私がこだわってきたことをぐちゃぐちゃにつぶされたり、それがたまらなく好きだった。

ただ、語学学校へやってくる人たちだけが全てではないこともよくよく感じる。例えば、日本は比較的一般家庭と呼ばれるサラリーマンの子どもでも短期留学などはできることが多い。(経済的に)

でもお隣韓国や、中国から留学へやってくる人たちは、ごく一部の富裕層だ。さらに言えば南米やインド、タイなど東南アジアの人たちはもっと家庭的に余裕のある子どもたちばかり。

いろんな国のいろんな人に会えば会うほど、私はもっともっと・・・と欲が出てきた。

その場所へ行って、目で見て、感じ取るまで、それはいくら本やビデオで見てもリアルではない。


先生が教えてくれた、Variety is the spice of my life.

これは直訳すると「多様性は人生の薬味(スパイス)である。」ということ。

イギリスの詩人William Cowper(ウイリアム・クーパー1731年~1800年)の詩の一部らしい。(ネット情報なので違うかも笑)

Varietyはそのままバラエティ。多様性、変化、違うもの。スパイスは薬味ということで、スパイスがないカレーは美味しくないし、味気ない。

私は18歳の時、この言葉を私の3倍くらいあるふくよかなおばちゃん先生が教えてくれたこの言葉は、今も私がずっと大事にしている言葉で、これこそが私の人生と言えるような生き方をしたい。

忘れられない先生たちのお話

もっともっといたような気もするけど、パッと考えた時に思い出せたこの方々が、やっぱり本当に心に残っているんだろうなあと。

まだまだいろんなことが道半ば?だけども、久しぶりに振り返ってみて良かった。

初心にかえってまた頑張ろう。

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