見出し画像

本当の私?

近代ヨーロッパで中世以降にできた習慣に
I am a boy
がある。

この英文、Iは確実にいらない。
なぜなら、be動詞「am」はIしかつかないのだから。

例えば日本でご飯をいただくとき、「いただきまーす、私が」という人はいるのだろうか?
それを、わざわざやっているのがこの文章なのだ。

西洋にいくと「お茶にしますか?それともコーヒーにしますか?」と問われることがあるだろう。

この問いに対して日本人は
「ああ、私の好みを聞いてくださっているんだな。優しい。」
と解釈するかもしれないが、問うている本人は違う。
「お茶かコーヒーか、決めるのはお前だ」
と解釈するのだ。

I am a boyも「お茶にしますか、コーヒーにしますか」も、「自我の存在を強調している」という点で全て繋がっているのだ。

それがいきすぎているのがアメリカ。
アメリカ人はよく「選択」という言葉を使うそうだ。

選択をするのはお前であり、私である。
善を選ぶも悪を選ぶもお前次第であり、自己責任である。

この個人主義の行き過ぎと共同体の崩壊が、アメリカの若者の間でうつ病が蔓延している原因だと、ポジティブ心理学の第一人者であるマーティンセリグマン氏はいう。

養老孟司さんから学んだ上の事情を、あなたはどう解釈する。


ご支援ありがとうございます!!これからも皆様をワクワクさせられるような記事を書いていきます!!