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ろまん灯籠を読んで

お久しぶりです。
今年受験がありますが、この時期は過去に色々あったからか確実に精神がおかしくなります。
こういうときは太宰治の小説をオーバードーズするかのように貪るのが好きです。

今日は桜桃忌ですね。🍒
この日にnoteを出そうと決めておりましたが、果たして書き終えられるのでしょうか。

先ずは1番気に入ったものから。
「散華」という作品です。
わたしの今の精神状態は健康とはかけ離れているので、もしかしたらその影響もあってかもしれませんが、「散華」、この作品の一節が脳にこびりつきました。
「大いなる文学のために、死んで下さい。
自分も死にます、この戦争のために。」
はっとしました。わたしは生きる理由じゃなくて死ぬ理由がほしい。
何かに熱中して一番美しいときにばたりと倒れる死に方がわたしの望むものだと解りました。

先ずは華やかになるところから始めねばなりませんね。

二つめは「東京だより」でしょうか。
わたしは奇抜な人になりたい一般人にすぎないですし、最近はもはや奇抜になりたいくせに普通に生きたいなどと訳の分からない戯言を宣っております。
ただ懸命に生きていたいと、自分を救うために懸命に生きていたいと思いました。

上記の二つは物語として印象に残ったものなのですが、「小さいアルバム」は別の観点から気になりました。
過去の自らの写真を自分自身で揶揄する姿勢が何処か「人間失格」に繋がっているような気がしてならないからです。この形式が好きなのですかね。

また、「新郎」や他のエッセイも印象に残ったのですが、これに関してはあまり感想という感想が生まれなくてなにもかけません。作家としてではなくて、お父さんとして、夫として、津島修治としての一面が垣間見できたような"気がしました"が、なんだか気がしているだけのような心地がします。太宰治という殻を抜け出せないまま、太宰治の多面性を描写したところで、己の全ての葛藤を出し切れるわけじゃないし.....
no-comment。


わたしは「いつかしぬこと」を目的に生きていたけれど、
この小説をきっかけに

いつか「華やかなまま散る」ということを目的に生きることにしました。

蒸し暑い夏がそろそろやってきますね、
みなさん心身共にどうかご無事で。
おやすみなさい。

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