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【part11】朝10分間のドライブデート

ワーゲンバスを運転したい。
60年代洋ロックをカセットで聴きながら、ガタガタする田舎道を思いっきり走りたい。

そんな夢を見て18のときマニュアルの免許を取得したけど、私はそれを失効させた。引っ越しをして住所変更届けを出さないまま、さらにそのタイミンングで免許証の入った財布をスラれ、免許更新のことなど忘れて過ごしていたら、このザマだ。

色々言い訳はあるけれど、簡単に言うとただの更新忘れである。
勿体無いことこの上ない。

これを乗るためだけにマニュアル免許を取ったのに。


そんな私の怠慢話はさておき。


ツレはよく、自分の家から私の会社までの約10分間の距離を、車で送ってくれた。「送ってくれた」と過去形なのは、もう今後は、送る機会がないからだ。

私は今月末で、約6年お世話になった会社を退職する。
その後は実家からリモートワークで業務委託をすることに決めている。少なくとも、あの道をツレと一緒に通ることはほぼなくなるだろう。

あの10分間がどれだけ、仕事に行く前の私を勇気付けてくれていたかを、多分ツレは知らない。


流れる景色

朝の時間はあっという間だ。

ゴミ捨てする主婦。
人工的な桜並木。
2軒並んでも不思議とカニバらないコンビニ。
日当たりが良すぎて反射が眩しい道路。
制服を着た小学生。
バスを待つおばあさん。
高速道路の下の交差点。
カーナビの「ヒアリハット地点です」のアナウンス。
白くて無機質な電飾。
黄色い看板。
坂の上の、坂本龍馬と勝海舟。
白いお城みたいな建物。
曲がった先が、すぐに私の会社。

会社に行くまでのルーティンと同じ、これから戦いに行く私、になるための準備運動の10分間。
それが心地良くて、ツレが車で送ってくれる日は、不思議と頑張れる気がした。


なくなる間際で大事さを思い出す

退職間近になって、この時間がなくなるのだと思うと、なんだか少し変な感覚を持つ。
寂しいわけではない。一緒に車に乗る機会はこれから別で作ればいい。
「ただそこにある」ものがなくなって、そしてそれが当たり前になるということは、きっとこれまでもあったし、これからもあるだろうこと。

決して、寂しいわけではない。


「いいよ私、電車で行くよ。」
「いいんだよ送らせろよ。電車より安くて早いんだから。」
「あなただってすぐ仕事でしょ。」
「時間が間に合うから言ってるんだよ。」
「でも…。」
「車の方がギリギリまで一緒に居られるだろう。」
「それは、ずるいなあ。」


寂しくなんてないから、そんな毎回のやりとりも含めて、可能なら、私が助手席に座った時にはそっと「そういえばあの道どうなってるかな」と、一緒に思いを寄せてほしい。

私は助手席から見える景色とツレの横顔を、ツレは運転席から見える景色と私の横顔を。

あなたが運転できなくなるころには、きっと私は運転免許を復活させているだろうから。
その時は、ワーゲンバスにあなたを乗せて、新しい景色をまた2人の定番にしよう。




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