海底みたいなライブハウス

153センチ。ぺたんこのスニーカー。スタンディングライブ。アーティストの顔なんて、一度も見えたことがなかった。25歳。去年は11個のライブに行った。ほとんどが座席付。スタンディングでステージが見えるなんて、無数の偶然が掛け合わさって生まれる奇跡。目の前のニット帽が数センチ高かったら、3列先の肩がほんの1ミリ右にずれたら、女の髪がくせの強い天然パーマだったら。ステージを見るのを諦め、その日のライブは汗と熱の匂いのしみついたラジオと化す。生温い、ネオンライトの光が一筋射し込むトンネルの黒のような空間を自由なテンポに揺られて右に、左。漂いながら、真夏の海底はこんな感じ?と想像する。浅いヤツ。目を閉じて、今度は足裏に意識を集める。ダンスの重心移動と足裏の使い方を反芻しながら、下半身と重心の在処が表に出てくるその動きとは微妙に拍をずらして流れていくのを感じる。地面から、背筋の高さまで意識が浮かび上がっていく。大学生の頃、背中で斜め後方に向かって空気を掻くように踊るのが好きだったし、特に女性ダンサーの背中を面で捉えた踊り方を見るのが好きだった。枕元で見た動画のシルエットとライブの空間が融合する。右、左、ななめ。舐めとるように、会場内に漂う一つの個体。

25歳、冬。初めて、スタンディングで歌い手の表情を初めから最後まで見ることができた。ステージ上の全身が沸騰していた。人間の凄さを見た。三時間半。世間に対峙する人間から、じっくり時間をかけて、彼は生まれたばかりの命に戻っていく表情をしていた。「人」という名のつく前の生き物。ナマモノだった。ギターもドラムのスティックも全てがバタン、と壊れて音が止まり、照明が落ちる。瞬間、これまで会場で起こっていたことが幻となり、全て人の記憶から無くなっていてもおかしくない。そのくらい、その瞬間だけを生きる命の顔付を目の当たりにした。

壁にもたれかかって重心をかける。一瞬だけ目を閉じる。壁に触れている部分から重力にひっ張られ、そのままごそっと抜け落ちブラックホールのような暗闇に解き放たれる。一つだけわかること。その世界には、「目的」という名の綺麗ごとが存在しなかった。ステージ上の声が聞こえる。「エッセイを書いた。売り出すために清書をしたら、編集者から『下書きの時の荒い文章が好きだった』と言われた。結局、元のまま世に出した。」

歩きながら、街を見る。人を聞く。足音を食べる。側道を走る車のエンジン音。クラクション。信号が黄から赤に変わるテンポ。点字ブロック上に置かれた民家のゴミ袋。コンクリートに転がる煙草の痕跡。人の悪口。シャッターの半分降りた珈琲店。落がき。折れ曲がったガードレールと花。

目的と呼ばれたものの全部が結果で、生き物ひとつの存在証明。社会を救うってなに?結果は命についてくるんだと知った記念日。そのライブハウスは、海底みたいだった。

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