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生活を楽しむことに罪悪感があるわたしの話。

リモートワークが始まってもうすぐ3ヶ月。
ネガティブ思考がふつふつと湧いてきていたけれど、自分の中でひとつ、心が整理できたことがあった。
罪悪感とか、自粛警察とか、そんな話。

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わたしはどちらかというとインドア派で、おうち大好き、だらだらゴロゴロ大好き界の人間だ。ひとりで過ごす時間を愛し、週末になんの予定もないとき、喜びを感じることさえある。

それでもこの数ヶ月ひきこもり生活をしていて、気づいたことがある。

自分で思っていたよりも、人と会って話すのが好きだったこと。
料理がめんどくさいとか出張が多いという実務的な理由だけではなく、外食することそのものがもはや趣味になっていたこと。
失われて初めてその大切さに......というやつだ。

友達や同僚に会えない、おいしいものを食べにいけない、そのことがどうやら、自分を少なからず消耗させているらしい。
睡眠時間は増え、お酒は2ヶ月間飲んでいない。身体的にはいたって健康。
でもなんだか、ネガティブな思考が増えた気がしている。

もちろんオンラインでいろんな人とおしゃべりをしたり、飲み会を企画したり、珍しく自炊にチャレンジしたりと、自分の機嫌はうまくコントロールしているつもり。
実際、こんな状況でも楽しいことはたくさんある。あー今日はおもしろかったな、明日もがんばろう、と思いながらふとんに包まる日もいっぱいある。

でもそれをTwitterにたくさん投稿するのは控えようかな、という気持ちが出てきているのだ。

罪悪感というべきか、なんなのか。

家でこんなものつくりました、通販で素敵なもの買いました、見ようによってはのんきな生活だよなって。
10万円もらったらなにを買おうっていうのは、生活に余裕がある人の言葉だし。

自分なりにリモートワーク生活楽しんでますよ、と発言することが、誰かをすごく不愉快にさせているんじゃないか。そんな考えが浮かんでしまう。

わたしはインフルエンサーでもなんでもないし、Twitterのフォロワーもせいぜい300人弱しかいないから、そんなことは気にしなくてもいいのかもしれない。
わたしが家の中で楽しそうにしたところで、勤務先が炎上するようなこともないだろう。
それで炎上するような世の中になったら、辛すぎるよ。

それでもなんとなく心にひっかかりを覚えて、ツイートをやめることが増えた。
それがネガティブ思考から回復しきれない一因かもしれない、と思う。
いまの生活を少しでも楽しもうとする自分を全肯定できない、この感じが。

***

最近、「自粛警察」という言葉をよく見かける。世の中の人間がちゃんと自粛をしているか、警察よろしくSNS上や近所をパトロールしているような人のこと、かな。

他人に対して、いろいろ言いたくなる気持ち自体はわかる。
でもその一方で、この「自粛警察」を内面化して、自分自身に向けている人もいるんじゃないだろうか。
そしてこれが、わたしの罪悪感の原因である気がしている。

近所のカフェが時間を短縮しつつも毎日開店していて、ちょっと行きたい気持ちがあるけれど我慢する。

それは「みんなで協力して新型コロナの感染拡大を防ぐため」とか「同居する家族のため」という前向きな理由よりも、「わたしの中の自粛警察がホイッスルを鳴らしてるから」。

もちろん、そもそも外出自粛が大事であることは認識している。
でもわたしの心の中を占領する自粛警察は、まあまあ厳しい。
家にいろというだけではなくて、日々の楽しみにも睨みをきかせてくる。

通販でちょっと嬉しくなる日用品を買ったけれど、そんなもの不要不急だと言われればたしかにそんな気がして、こそこそと使用してしまう。

世の中が大変なのに、こんなにのんびり過ごしていていいの?と自問自答してしまう。

この内省パトロールは、強化すればするほど自分が辛くなる。なかば無意識にやっていたからやっかいだ。

***

でもこのnoteを書きながら、自分の中の自粛警察の存在に気が付いた。すごいことだ。
たぶん、一度認識してしまえば、こちらのものなんじゃないだろうか。

わたしの心の中に住まうということは、この警察は相当てきとうに違いない。
とりあえず監視をしているだけで、何も考えていない可能性がある......!

いまの生活を楽しむことに罪悪感をいだくのは、SNSを見すぎて、いろいろな人のことを考えてしまうからだと思っていた。でも、そうではなかったのかも。

想像力をはたらかせているから、罪悪感が生まれているのではない。
むしろ目にするものを鵜呑みにして、想像力から逃げているからそういう気持ちになっているのだろう。

家で楽しそうに過ごす姿を見せる人たちだって、自分を含め、なーーんにも問題がないわけじゃない。
まわりには見せない悩みがあったり、うっすらとした不安を抱えていたりするはずなのだ。

なぜか、このことを見落としていた。
なんでだろう。
気づかぬうちに心が疲弊して、考えることをサボっていたのかな。

もちろん、自分の発信がどう受け止められるのか、配慮の気持ちは忘れないようにしたい。そのうえで、独りよがりの罪悪感に振り回されないようにもなりたい。

自分に「自粛警察の目」を向けることは、人にも向けうることの裏返しだ。
そのうち人に対しても、「なんでこの人はこんなにのんきに過ごしているんだ」と思うようになっていたかもしれない。
ギリギリのところで踏みとどまった感じがある。
わたし、気付いてよかったね。

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自分のいまできることを考える。
生活を大切にする。
感情をごまかさない。
考えることをやめない。

環境は新しく変わっていくけれど、翻弄されない自分をつくっていく。

今日はnoteを久しぶりに書いた。
これも自分をつくるための、営みのひとつになっていますように。

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