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家族とは呼べなかった家族

~1章~

デッサンの音しか聞こえない美術室
大きな窓は解放されていて、カーテンがパタパタとなびいて
気持ちのいい風が私の髪を通り過ぎる

外では、まだかすかに蝉のなき声が聞こえる
夏の終わりの午後。この静かな時間をかみしめていた。

30代半ばであろう、若めの美術講師は
「自由に描け」と言わんばかりに、黙って読書をしている。

私は、キャンバスに向かって、熟考したのち油絵具を重ねはじめた。

立体感を出すために試行錯誤していた時、
さっきまで読書をしていた講師が、こわばった大きい声で私を呼んだ。

教室の生徒が全員私を見る。
何事かとざわつく生徒たちを横目に、私は教室の外に出た

何か呼び出されるようなことをしたのか?と不安になったが、
講師は、「工藤さん。すぐに帰れますか?」と私に聞いてきた。

「どういう事ですか?」

「いや、なんといったらいいか…
あの、お父さんから学校にお電話がありまして…
電話越しに何を言っているかわからないくらい怒鳴っているんだけど、
とりあえず、娘に帰れと伝えろってことなんだけど

これ帰って大丈夫なやつ?」


「あーーーーーーーーーーーー。はい。
大丈夫です。帰ります。ご迷惑おかけしてすみませんでした」

「いや、全然大丈夫だけど、とにかく気を付けてね、
何かあれば、僕でも担任の先生でもいいから相談してね」



――――――――――――

気分は最悪。まただ。

私の父は、今でいうDV・モラハラのデパートみたいな人。
自分の機嫌が悪く、瞬間湯沸かし器みたいに、キレると手が付けられない。

こうやって、なりふり構わず他人も巻き込んで、
暴力や恫喝で人を支配しようとする、まるで独裁者だ。

教室に戻り、画材を片付けていると
隣でデッサンしていた友人のミズキが、

(大丈夫?)

と声に出さず気にかけてくれ、片づけを手伝ってくれた。
ミズキは私の家の事情をある程度知ってくれている数少ない友人だ。

帰れば殴られることも察してくれている。

(明日学校きなね。話聞くから)

といって、見送ってくれた。


いつもの通学路も、地獄への道に見える。
日差しはまぶしく、空は青く、まだ夏の気配が残っているのに、
私には、全部灰色に見えた。

どんな言葉でののしられるのか
どれくらいなぐられるのか

想像して、覚悟して家の玄関を開ける



【ドドドドドドドドドドドドドドド】

2階から父が猛ダッシュで降りてくる音が聞こえる。

この音、相当怒っているな。
今、家には父しかいない。
かばってくれる家族もいないから、
今日は、骨折するかもな…


と思った瞬間、私の視界はゆがんだ。





何が起きたのか一瞬わからなかったが、
体を蹴り飛ばされ吹っ飛んだのち、、家の外壁に打ち付けられたらしい。

一瞬意識がなかったと思う。

気づいたときは父にむなぐらをつかまれ、
鬼みたいな形相の父の醜い顔が目の前にあった。


相変わらず怒鳴りすぎて
何を言っているかわからない。

というか痛すぎて、話が入ってこない。
こんな無抵抗な娘に追い打ちをかけるように、
お腹や背中を何度も蹴ってくる

髪の毛をつかまれ、2階まで引きずられて
今度は木刀を振りかざしてくる

急所を守るため、ダンゴムシのようにまるまり、
「ごめんなさい。ごめんなさい」と何度も謝って
事態が収まることを願った。


(私は何に対して謝っているんだろう……)


そんなことを考えながら、とにかく暴力が収まるのを待った。

時間にして1時間くらいだろうか。やっと父が落ち着いてきたのか、
言葉が聞き取れるようになった。

「朝のお前の態度が気に入らなかった」

これが理由だ。
娘を強制早退させ、1時間の暴行・暴言を浴びせるほどの理由なのだろうか。

一言注意すればいいだけなのでは?
と私の中に正論がうかぶが、飲み込んだ。

とにかく痛い。全身が痛すぎる。
これ以上殴られたら死んでしまうかもしれない。
こういう時は、とにかく謝り倒すのが一番早く終わるのを知っている。

幼少期からこの繰り返し。

これがのちに大人になって
非常に生きにくくさせる原因になることはまだ知らない。



一通り発散した父は冷静さをとりもどしたのか、
部屋にもどっていいと私を解放した。

でも、私はまた殴られる恐怖から、この家にはいたくなかったので、
痛いからだを我慢して、犬の散歩に行った。


悔しくて、理不尽で、恐怖で涙が止まらなかった。

犬が心配して何度も振り返ってくる。
この時間だけが救いでもあった。

犬を抱きしめて、ひとしきり泣いた。




1時間くらい散歩して、帰宅すると

妙に優しい態度の父が待っていた。

「体痛いか?お前の性格を直そうと思ってやったんだ
ケガしてるなら手当しろよ」と。

典型的なDV男である。

まずは謝れよと心で思いながら、
これ以上関わりたくないので「…大丈夫です」とだけ言って
部屋にもどった。

自分の部屋で座った瞬間、父への嫌悪感が噴出した。

気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
体痛いかだと?痛いに決まってんだろ。
どれだけ殴ってんだよ。

あれだけ狂ったように暴れ散らかしたくせに
外傷が目立つ場所は攻撃してこないところもむかつく。

いっそ、全身血まみれになって入院でもすれば、
周りはわかってくれるだろうか。

などと、考えた後
怒りと絶望が混じった深く重い感情が私の内側を駆け巡る。

いますぐここではないどこかに飛んでいきたい。
最初から私はここにいなかったんだということにして、
安心して生きることが出来る世界に行きたい。

毎日何度も思う現実逃避敵は感情をグッと抑えたとき、
叫びたい衝動に駆られて、
隣の部屋にいる父に聞こえないようにクッションに向かって泣き叫んだ。



――――――――――――――――――――――

私が3歳の時に、両親は離婚した。
私を生んだ母は、育児ノイローゼになってしまい、
娘を渡す代わりに、50万を要求して去っていったと聞いている。

後に、母方の祖父母に会い話を聞いたことがあるが、
残念ながらこれは事実だった。

その後、父は再婚して継母との間に弟が生まれる。
小学6年生までは、継母が本当の母親だと疑わずに生きてきた。

私にだけ当たりが強いのも、
私にだけおやつがないのも、
それはお姉ちゃんなんだから
我慢しないといけない事だと教えられてきたから、

そういうものなんだなと思っていた。

中学生になる時に、祖母から初めて私の生い立ちを聞いた。

正直びっくりするよりも、納得がいった。

お母さんだと思っていた人は、父の再婚相手で、私を生んでいない。
弟は実の子供なわけだから、差が出て当たりまえだと妙に納得した。
目の前いる祖母は泣きながらこう言う。

『今まで黙っていてごめんね。
  でももう大人になるから伝えておこうと思って』

『りっちゃんの本当のお母さんは、 
   りっちゃんを要らないといって捨てていった人だから、
                今のお母さんと仲良くしてね』

私の家は、やっぱりちょっとゆがんでいる。

中学生になりたての孫に、〝もう大人″という言葉をつかってしまうことや、本当の母親だけを悪ものに見えるような言い方をしてしまうところ。

父や母だけじゃない、祖母も少しゆがんでいたのだ。

・なぜ、今いる両親ではなく祖母から聞く事になったのか
・なぜ、母は50万という金額だったのか

   (もっともらえそうじゃないかな?とも思う)
・なぜ、中学生に上がる子に、大人を課すのか。

聞きたいことはいっぱいあったが、
まずは目の前で号泣する祖母をなだめることが先だった。

そんなカミングアウトをされたあと、家に帰ると
両親は揃っていたが、声をかけてくることはなかった。

気まずそうな重い空気だけが漂っていたので、
「話聞いてきた」とだけ言って自分の部屋に戻った。

部屋に戻って自分の置かれている状況を私なりに整理した。

今ままで母親だと思っていた人とは血がつながっていなかった。

でも、本当の母親を私は覚えていない。
3歳ごろの記憶がある人もいるというが、私は全くなかった。
顔もしゃべり方も、髪型も覚えている事は何もない。

もともと何も記憶がないと、辛いとか悲しいとかないんだな。

それが感想だった。
会いたいという気持ちも特に芽生えなかった。

それよりも、黙ったまま自分の子ではない子供を
育ってくれた継母に感謝した。
と同時に、実子である弟との扱いの差は
これからも続くと思い、ちょっと絶望した。

父はわかりやすく暴れて、殴って怒鳴るから、
それが収まるまで待てばいいけど、

継母の場合は、陰湿さがあった。
見えないところでじわじわと精神に来る。

父がいない時に、ねちねちと責めてきたり、

バツとして、10歳前後だった娘をむりやり私を全裸にし、
昼間外に締め出したりした。

近所の人が来たらどうしようとおもい、
大きな声も出せず庭でうずくまっていたことは、
今でも継母以外は知らない。

私だけおやつを買ってもらえないのも日常的だった。
不思議に思った弟が、スーパーで、
「なんでお姉ちゃんだけお菓子買わないの?」と母に聞いていたが、

「お姉ちゃんはいいの!」とだけいってレジに向かっていった。

本当の子供じゃないから、
冷たくされて当たり前なんだと思うようになった。

父の暴力は、私にだけではなく、家族全員に及んでいたが、

父と母から多角的に追い詰められていた幼少期の私は、
次第に、私が我慢すればこの家はまるくおさまるんだ 
とおもうようになった。

これが、私の大きなゆがみの始まりだった。

誰かに助けをもとめなかったのかといわれる事もあるが、

そんなことは何百回も考えた。

一番近くにいた祖母に相談したこともあったが、
「おばあちゃんから話しておいて上げる」
と、そのまま親に話がいって終わった。

似たような境遇にいた人はわかるかもしれないが、
これが最悪な結果を招く。

暴力、モラハラ、いじめをする人は、
自分が外からどう見られているのかにものすごく反応する。

案の定、家のことを外に話すな!と

両親から3時間ほど説教をされ、私に対する当たりがとても強くなった。

このころから、なんとなく両親には評価基準があって、
その点数が一定を下回ると、怒られる事がわかった。

身内に頼る道は希望が薄いので、

次殴られたら、警察に駆け込むことも考えたけど、
報復がこわくてためらってしまった。

映画やドラマなら、誰か助けがきたり
親が改心したり、ハッピーエンドに向かっていくが、

現実はちょっとずつ悪化しながら進行するだけだ。
私が高校生になるまでこれは続いていく。



家の中は、こんなに荒れているのに、
親族に会うときは、幸せな家庭である演技をしなければらなかった。

これも評価対象案件だ。

でも、心は複雑だった。
良い親とは口が裂けてもいいたくないのに、
口を裂く思いで、良い親であるという嘘をつく。

本当は親族もうっすら気づいてはいたとおもう。

父はキレると手が付けられないのは、みんな知っていたので、
あまり関わりたくないといったところだ。

母は、良き妻、実の子ではない娘も育てている良き母を演じている。

子供がここまで気を使っているのに、
親は平気で子供のダメな部分を親族にネタのように話して笑っている。

聞くに堪えなかった。

身内をけなして、笑いを取るという行為は、
このころから虫唾が走るほど嫌いだった。

どんどん親から心が離れていく。
自分がどんどん孤立していくのが怖くなった。

続く


#創作大賞2022


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