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あの頃の残照に焼かれて

『潮が舞い子が舞い』 阿部共実 読了レビューです。
ネタバレ:一部あり 文字数:約2,200文字

・あらすじ

 とある海辺の田舎町にて、高校2年生の男女たち+α がいた。

 特別な能力は持っておらず、世界を変えたいだとかの大きな夢があるわけでもない。

 それでも日々を生きる彼、彼女らの姿が、どうしようもなく愛おしい。

 もしも海辺の香りを鼻先で感じるようになったら、あの町にいつかのあなたがいるのかもしれない──。

・レビュー

青春群像コメディ?

 50人を超える登場人物が存在する本作の裏表紙には、次のような紹介文が書かれています。

海辺の田舎町。
高校2年生の男女が織りなす青春群像コメディ

 ヘッダー画像の左上、1巻の表紙に描かれた百々瀬ももせ(左)と水木みずき(右)がよく登場するものの、2人が主役というわけではありません。

 掃除の時間に仲良しグループ5人が、掃除をせずにノリで喋り続け、そのうち絵を描いて見せっこをする話があるかと思えば、なんやかんやでコスプレ自撮りをする2人の話があったりと、自由そのものです。

 そうかと思えば休日を一緒に過ごす2人のやりとりに、次のようなセリフがあります。

生きるということは素晴らしいのでしょうか

この問いはペシミズムのつもりではありません

生きるということは生きるということだと思うんです

素晴らしくなくたって

引用:6巻 第66話

※ ペシミズム pessimism:厭世論、厭世主義、悲観論の意

 紹介文の通りコメディ寄りの話が多い気もしますけれど、登場人物たちがさほど意図せず放ったであろう言葉に、こうした凶器に近い鋭いものが混じっているのです。

似ているけれど同じでない日々

 作中で描かれるのは学校、町中、海沿いの公園、ファミレスなど、最新7巻に収録された話を含めても「普通」の場所です。

 定期試験や修学旅行、文化祭に体育祭といった明快なイベントは登場せず、学校生活の大半を占める日々の1コマが描かれます。

 それらの記憶はイベントと比べれば埋没しがちですが、すべてを録画して数年後に観返したなら、きっと輝くものがあるように思います。

 私自身も部活で遅くなった学校帰り、コンビニで買ったフランクフルトなどのホットスナックを分け合いながら、どうでもいい話をした出来事が今だからこそ光を放っているように感じるのです。

 始めに書いた百々瀬と水木が話している場面で、次のようなセリフがあります。

楽しかった記憶 嫌だった記憶

みんなが履いてた流行りの運動靴

放課後の教室

昔死んだ近所の犬

今思い出せることも 思い出せなくなるのかな

引用:1巻 第11話

 このセリフに本作で描こうとしているものが、おそらく凝縮されているように思います。

たぶん舞台は作者の出身地

 作中で明示されていないのですが、舞台となる海辺の田舎町とは兵庫県の神戸市および明石市かと思われます。

 けっこうな頻度で登場する海沿いの公園には、明石海峡大橋らしき橋が描かれています。

 そして明石海峡大橋の兵庫県側には「兵庫県立舞子公園」という場所があり、『潮が舞い子が舞い』のタイトル元になった可能性が高いです。

 作者の阿部共実さんの出身地も兵庫県とのことで、多感な10代を過ごした土地を舞台にしているとするのは、いささか考え過ぎでしょうか。

光は影によって存在する

 本作から少し離れ、作者の阿部共実さんの過去作に『月曜日の友達』という作品があります。

 2人の中学生を中心とした物語で、amazarashiこと秋田ひろむさんとのコラボ楽曲「月曜日」が作られました。

 これは秋田ひろむさんが阿部共実さんの過去作、『ちーちゃんはちょっと足りない』のファンだった縁から実現した企画とのこと。

 『月曜日の友達』から受ける印象との親和性は、同作より少し前の過去作からも感じられます。

 その過去作とは

『死にたくなるしょうもない日々が死にたくなるくらいしょうもなくて死ぬほど死にたくない日々』

 というもので、私は勝手に『四死』と呼んでいます。ちなみに野球の「四球」はフォアボール、「死球」はデッドボールのことです。

 『四死』、『月曜日の友達』、『潮が舞い子が舞い』の刊行順に漂う絶望感は薄まっていますが、根底には切なさや寂寞せきばくが共有されているように思います。

 潜れるところまで行ったからこそ、海辺の田舎町という場所に差す光が強くなったのだとしたら、影もまた大切な存在と言えるのでしょう。

おわりに

 本作の登場人物たちの造形は、現実のままを描く写実表現とは反対の位置にあります。

 つまり人物というより「キャラクター」と呼ぶのが正しいのです。

 これは初期作『空が灰色だから』より続いており、その傾向は本作において、さらに強くなった印象を受けます。

 代わりに町並みなどの風景が細部まで描かれ、そこに単純化された人物が小さく配置される構図が生まれます。

 ときに人物をないがしろにする描き方は、むしろ私には現実に忠実であるように思えます。

 非力で矮小わいしょうな人間は、同じ姿を長く留める風景に比べれば、常に変わり続ける存在です。

 寿命の違うネズミと人間では体感速度も異なると聞きますけれど、それを風景と人間との関係に当てはめているように感じられるのです。

 だからこそ本作で描かれる彼、彼女らの輝きは強くなり、読む者の心を焼くのかもしれません。


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