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うるう うれう うつる

【文字数:約1,200文字】

 うるう年ということで珍しく29日のある2月の終わり。

 フォローしている方が次の記事を投稿していた。

 内容としては昔に華道をしており、その際に活けた花をスケッチするなどしていたけれど、今はスマートフォンで済んでしまう。便利である一方、大事なものが抜け落ちているのではと続く。

 そして次の言葉で前半を締めている。

スマホの出現、進化により、わたしたちの生活は劇的に変わった。

 後半では3年目に入ったウクライナ戦争について特集した、とある番組内で語られた兵士の言葉を引用している。

「わたしの価値観は劇的に変わりました」


 華道と戦争という、日常から非日常を接続する手法に上手いなぁと感心しつつ、イスラエルで起きていることに絡めてコメントを書いた。

 すると返信で「茶道をなさっていたような…?」と書かれており、こんなことがあるのだなと驚いた。

 こちらがコメントをするとき、いったん茶道をやっていたと書こうとして考え直し、華道のことを掘り下げるような文章にした。

 それを見透かされたわけではなく、前に私が書いたのを覚えていてくださり、そういえばと返信してくださったのだろう。

 閏年に憂う日、離れた人に意識が移るような出来事があって、なんとも不思議な心持ちになった。


 私が茶道をやっていたのは大学生のときで、それもたった数ヵ月で辞めてしまったので、いわば長めの体験入部だった。

 茶をてる亭主と飾られた掛け軸や花、使われている茶器などについてやり取りをするのは楽しかった。

 ただ、私には正座がツラすぎた。

 高校のときは弓道部だったので、その感覚でいたら弓道の起坐きざと正座は別の座り方であり、残念ながら長く座るということができない。

 やっていればそのうち慣れるのかもしれないけれど、バイトが必須だったので疲れすぎるのは困る、ということで区切りよく辞めたのだった。

 お茶のように苦い経験をしたとはいえ、和の芸事には変わらず興味があり、ことや三味線、能や歌舞伎をいつか劇場で鑑賞してみたいとは思っている。

 茶道についてもNHK教育で講座をやっていると知り、それを観ていたら急に懐かしくなって、基本の道具がどこかにあると探してみた。

 するとブックカバーの列に紛れこむ形で、懐紙入かいしいれと袱紗ふくさがあった。

 懐紙は菓子を受け取るための紙皿みたいなもので、袱紗は茶道用のハンカチといったところか。

 これに涼むためでない小さな扇で道具一式となり、服装は普段どおりであっても、道具に関しては個人持ちだった。

 私は持っていないけれど練り菓子を食べるための黒文字、つまり楊枝を合わせて一式とする場合もあるそうな。

 お茶と菓子代は部の持ち出しだったと記憶しているので、いちおう道具代の元は取ったと言えるだろうか。

 正直ふたたび茶道をやってみようという気にはならない。

 ただ、見聞きするだけよりも実際にやってみると価値観は変わるわけで、ひとまず挑戦してみるのも人生には必要なのかもしれない。


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