【ありのままの自分を受け入れられないまま、 ありのままの自分を受け入れてくれる人を外側に探している】
では、昨日の後編で終わるつもりが終わらなかったので、最終編。
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人間関係について。
今、人は、
自分に繋がれないまま、
人と繋がろうとしている。
「ありのままの自分を愛されたい。」
と、人間誰もがみんな持っている。
(気づいているかいないかはそれぞれ)
あるがままを受け入れられたい、根元にあるもの。生きていく上で失望していく。これが「痛み」になる。
ありのままの自分を受け入れられないまま、
ありのままの自分を受け入れてくれる人を外側に探している。
それは、家族とパートナーに一番出る。
外側を叩く、批判する、攻撃する、
というものを止められな状態になっていて、
人間と人間の分離はどんどん進んでいく。
ありのままを自分が受け入れない、
外にも受け入れられない、
そしてそれは「怒り」になる。
ニーズにつながれていないので、
その怒りはエスカレートしていく。
それをわからせようとして、
攻撃する、迫害する、差別をする、
社会から追いやろうとする。
では、NVCはどういう可能性を持っているんだろう?
どんなに残虐で、卑劣で、どんなに悲しくて、人を傷つけているとしても、人はニーズを満たしている。
その命の衝動、ニーズは美しいっていうことを、NVCの創始者マーシャルは残してくれた。
ただ、今の人たちはそのニーズを満たす方法(手段)が、もうめちゃくちゃなのです。
人間は自分が体験した痛みを感じて欲しい。
本当は、誰よりも自分自身で感じて欲しいのに、それが痛すぎて、自分で感じられず頭で思考でなんとかしてやろうとする。
だからその痛みを感じ切ることができず、
何十年も抱えたまま生きている。
疼く痛みを内側に抱えて毎日毎日歩いている。
そして、この痛みを周りにわからせようとする。
同じ痛みを味合わせようとする。
そうしたらわかってもらえたって本能的に思っている。
だから傷つける。
そして、それを裁く。
善悪を裁き、悪を叩く。
でもそれは、自己嫌悪、自己憎悪になるだけ。
これが今のシステム。
そんな社会のシステムで、命に繋がれるなんてないんじゃないの?
それでも、人間をニーズから理解しようとする努力ができるということ。(必ずいつもできるというわけではないけれど。)
「どんなニーズがあるんだろう?」
好奇心を持つことができる。
理解につながる。
行動が理解できなくても、その奥のニーズという世界で人が出会えた時に、相手がやっていることが気に食わなくなったとして、そのニーズを人間は繋がりうことできる。
そして、私たちは許す力を持っている。
その可能性を持っているのがNVC。
平和に近づける可能性。
人間のネガティブな感情が怖くなくなる。
怒鳴られても、当たられても、責められても、
「なんでそんな風に怒るの!?」
から、
「何がニーズなんだろう?」って思え、行動を責めなくなる。
上の世代の人たちの感情の扱い方は全然なっていないので(笑)、怒られたりとか親が喧嘩していたりとか、私たちは怖い思いをしてきている。
それらを見て、感情は人を傷つけたりしてしまうんだ、そんなの持ってちゃいけないんだ、って思ってしまう。
自分が自分の内側をわかってあげていないから、外側にぶつけてわからせようとする現象。だから、ぶつけられるのも、ぶつかり合ってるのを見るのも怖かったりもする。
まずは自分とつながるのが大前提。
相手のため、と自分のニーズにまだつながれていないのに、相手のニーズにつながると、どんどん苦しくなる。
「なんでわたしがあなたのニーズを推測しなきゃいけないのよ。」
「なんでわたしばっかり!」
そんな風に否定したくなる。
でも、否定からは繋がれない。
今、自分の意識が内側に向かうような「問い」がない。
「空に意識を向けてー」「喉を意識向けてーと」言われたら、自在にできる。外には向けることができる。その矢印を内側に向ける。
内側になにがあるかを自覚できたまま、外側にも意識を向けられるようになってくる。
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わたしもNVCに触れ初めて、
「今、みゆきちゃんの中でなにが起こってる?」
「今、どんなところにいる?」
「今、身体の感覚は?」
と聞かれた時、え…なんだろ…と戸惑った。
「どう思う?」とか頭で考えることはよく聞かれたけど、そんな風に自分の内側がどう感じているかは聞かれたことってなかったから、スッと答えられなかったし、自分の内側に意識を向けても、なにがわたしの中で起こっているのか始めはわからなかった。
今は、マシかな。笑笑
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(つづき)
「じゃあ、ニーズさえわかれば、なんでも解決できるやん!」
ではない。
NVCを課題解決のために使ってしまうと、思考の餌になってしまう。
ニーズを使ってどうしたらいいのかって持っていきたがるんだけど、早く楽になろうとしないこと。味わい尽くせるものを味わい尽くす、そこに留まること。
命を味わう。
体験ひとつひとつを丁寧にしてあげる。
それが命が体験したいことなんだねって一緒にいてあげること。不快な時ほど味わえるだけ味わって、そこに居続けて欲しい。
「感じ切る前に逃げちゃう。
感じ切る器はどうするの?」
ありのままであっていいという信頼感。
それを操作したいと思わないこと。
怒っているなら何日でも怒っていればいい(笑)
なんとかしたい!なんとかしよう。
という欲求、コントロールをやめちゃう。
コントロールしたいのは【恐れ】から来る。
何を体験してもいいよって、
それは命としてホールドしてるよって。
あるがままを受け入れてるよ。
見てるよ、
何ヶ月でも付き合いますよ。
信頼に尽きる。
苦しくて無理って思うから、苦しくて無理っていう体験にしている。体感していることあるということだけ。
体験を描写しない。
感じてることがあるなんだけです。これが自然じゃね?
たんぽぽは雨が降った時に、なんでこんなに冷たいんですか?なんて言わないよね。人間だけが体験をコントロールしたい。そうして進化してきた。りんごを一年中食べたいんだー!ってね。不自然だよ。笑
そうして抵抗することで進化してきた人間は、あるがままに受け入れることで、感じ取ったことで、行動することへ切り替わっていく。
それを助けることができるのが【NVC】なんじゃないかって。
感じているところから願いに気づいて、そこから人間が生きると、世界は変わっていく。初めて人間は分かち合える。
いきなり社会変革!よりも、まずは自分が自然な状態で生きる。すると、自分と関わる人もそう生きていく。半径3Mが一番大事。
NVCがいいのは、果てしなく続きます。
終わりなき旅。
でもすごく自分の命と仲良くなれます。
NVCが素晴らしいのは、マーシャルがシンプルでものすごく美しい原理だけを残し、自由度がある。宗教のこれが正しいというのではない。自分のものにして咀嚼して好きに表現できる。
これがNVCっていうのはないので、いろんな人から学んでくださいね!
NVCはまだまだ余地がある!
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いやぁー、三回に(なると思っていなかったけど!笑)渡ってお届けした、由佐さんのNVC初心者のセッションだったんだけど、、、
おもしろーーーーーーいっ♡♡♡
最後に由佐さんもおっしゃっていたけれど、やっぱりNVCって本当100人いたら100通り、いや300通りくらいあって、誰から学んでも、毎回毎回学びや気づきがもうあります。
「終わりのなき旅」
本当にそう♡
だからやめられない。
みなさんも自分に好奇心を持って、自分のことをもっと知るNVCジャーニーはじめてませんか?
ではでは、今日は山に来たのでココで!!
明日は短い山の日記になるかな?
また明日ココで♡
循環が循環を生むのがすきです。サポートしたいただいた循環を、文字で循環していきます♡