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正負の法則~2024元旦に思う~

Giver、Matcher、Takerという言葉や概念を知ったのはこの本だった。なるほどなあと思った。疲弊するGiverになりがちな私は、この本を読んで、そうか、そういうことだったのかと、その時思った。

この本を読んで、この本の概念が心のどこかにいつもあって、何年か経過した今、2024年以降、これから自分が人生を心地よく全うするにあたって、再確認したいと思った。

Give&Take、という言葉から何となく、Giveは善で清らかで美しく、Takeは邪悪で腹黒いイメージに私は結びつけてしまう傾向があるが、このGive&Takeをプラスマイナス、正負の法則、と言い換えたら、より私の中で腹落ちした。

最近、この本を読んだこと、そして、今までの自分の人生経験と照らし合わせて、特に人間関係において、顕著に、なるほど、としっくり来た。今までずっと、さまよい続けてきた自分の心が、まっすぐどう進めばいいのかが、はっきり見えてきたと感じる。

「母親は無償で清らかで美しい」、その一方で、「毒親」という言葉も存在する。子供としては前者を全面的に肯定できる良き模範人でありたい。だけど、まるまるすべてをそう受け取れないジレンマの中で、「毒親」という言葉に振り切って、開き直るという選択肢もある。

実際自分が親になってみて、親の気持ちを痛いほど感じる。親は親になった瞬間に聖人君子になるんじゃなくて、親も親として人生の学びを重ねていく存在だったんだと。その中で、親が良かれと思ってしてくれたことが、子どもである私にとっては「毒親」とののしりたくなることだったかもしれないし、「無償の愛」と受け止められることだったかもしれない。

あの時は、あんなふうに受け止めていたけれど、親の気持ちとしてはこういうことだったんだろうなと、時がたって、時がたったからこそ、なんとなく、ぼんやりと、想像かも知れない、独りよがりかもしれないけど、感謝に変わるときもある。

私は、「無償の愛」と「毒親」、その振れ幅の中で、どちらも本当だと思う。何をどう受け止めるのか。ただ一つ確認しておきたいのは、自分の正直な気持ちかどうか、ってこと。道徳心、倫理観に縛られがんじがらめになってたり、世間で流行っている言葉に乗っかかって思考停止状態で、自分の憂さ晴らししているだけになったりしていないかってこと。

そして、親子以外の人間関係において、Give&Takeを正負の法則で捉える時、より、いろんな場合をスムーズに受け止められるようにもなった。

どんな人間関係にも出会いと別れがある。必ず出会いと別れがある。どんな形であれ、それが自分の意志であれ、相手の意志であれ、その他の要因であれ、別れがある。
その中で、特に、自分の意志ではなく、相手の意志であるように見える別れは、とてもつらく切なく思うものである。

だけど、この正負の法則で、互いの交流の経歴を思い起こすとき、そうなるべくしてそうなったのだと、納得できる。バランスが崩れていなかったか。どちらかが与えすぎたり、奪いすぎたりしていなかったか。この視点から関係性を振り返ってみると、こうなるのが自然だった。むしろこうならないと、いびつなエネルギーの増幅へと向かっていったとさえ思えることがある。

数学や数字がとってもとっても苦手な私だけど、この数学的な概念はとっても的を得ている。数学嫌い!と決めつけてしまわないで、数学や数字とも、これから仲良くなっていきたいと思った。シンプルで、すっきりしていて、とても美しい。

これから出会う様々な人、出来事、場所、何もかも、それをこれからどう受け止めていくのかの備忘録として、今日、投稿しておく。


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「毒親」とののしりたくなる気持ちも無数にあるけれど、本当の本当の本当は、やっぱり、母親が自分の世界のすべてだった時があった。少しでも、本来の自分を思い出せるように、だけど、自分に正直に、無理しないで、自己洗脳しないで、ありのままの自分を受け止めて、人生を全うしたい。
可愛いイラストをありがとうございます。どんなにあらがっても(そんなに抵抗しているつもりは今のところないつもりだけど:笑)、自分の原点は、私を生んでくれた母親であると自分に確認できます。
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