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いったいどんな魔法使いなのか(自己紹介)

今まで書いた記事を勢いにまかせて全て消してしまったので、仕切り直しの自己紹介から。

あっ、えーっと、こんにちは。ポストモダンの魔法使いです。

現代の魔法使い(という名前がもう10年近く前のものであることに愕然としつつ)にあやかり、ゼロ年代=ポストモダニズムがまだギリギリ有効だった時代に自分の使命が終わっているはずの魔法使い、という意味を込めて、このハンドルネームをつけました。実物は40歳を過ぎた、ただの会社員のおっさんです。

ポストモダンの魔法使いは社会人大学院生

さて、ぼくは2024年4月に東京都のはずれにある大学院修士課程に進学し、社会人として働きながら学生生活を始めました。専攻は社会人の間で流行っているMBAやデータサイエンスなどのリスキリングではなく、人文学です。

2000年前後のセカイ系アニメを、当時急速に進んだ社会のデジタル化を踏まえて論じ、もってゼロ年代批評の再起動を図る。そんなざっくりとした希望というか妄想を抱いて進学を検討していたところ、ご縁があって、いまいる大学院に入学できた次第です。

とはいえ、ゼロ年代批評の再起動は、北出栞「「世界の終わり」を紡ぐうあなたへ デジタルテクノロジーと「切なさ」の編集術」によって果たされたのは、記憶に新しいところです。

ただし、ぼくはポストモダンよりさらに古い、構造主義の考え方を援用するということを指導教授と合意しているため、全く違う方向、全く違う角度から〈ゼロ年代〉を論じるつもりでいます。それじゃあ「構造主義の魔法使い」じゃないか、というツッコミもあるでしょうけど。

ポストモダン魔法使いは個人的な作品も作る?

かつ、個人的なゲームもしくは個人的なアニメを作る計画も練っています。「個人的なゲーム」「個人的なアニメ」という言い方は聞き慣れないかもしれませんが、「インディーゲーム」とか「自主制作アニメ」とかいうことばを使わないのは、「時代や世代を代表するのではなく、ましてやマネタイズを狙うのでもなく、本心から自分の作りたいゲームを作る」という意図を含ませるためです。この意味での「個人的な」ということばは、土井伸彰「個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論」の初めの方で定義されているものを、ぼくなりに解釈したものです。

個人的な作品は、「青春」とか「夏空」とか「切なさ」を詰め込んだものにしよう、できれば研究との両輪で制作を進めたい、などとも考えています。まだぼんやりとしか構想できていないので、詳細は書くことができません。

まとめ

ポストモダンの魔法使いの自己紹介はここまで。この記事を書いているいまは、2024年のゴールデンウィークが始まったばかり。ゴールデンウィーク中はゼミ発表の原稿準備の追い込みをする予定で、親しい人との遠出もアニメやゲーム三昧の生活もできないのが、残念といえば残念です。まぁ、今後もゆるゆると記事を書いていきますのでお楽しみに。ではまた。

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