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手を切り足を切るーー各国のストリートチルドレンの話

 昔メキシコや東南アジアで何度か耳にした噂話が二つほどある。

 一つは「実は物乞いをしている人の中には一般庶民よりもお金持ちの人がいる」というもので、もう一つは「物乞いで稼ぐために子供の手足を切り落とす親がいる」というものだ。
あくまで噂話程度だが、当時十分に信じられる話として聞いていたように思う。
「お金持ち」については、貨幣価値の低い途上国で、なおかつ海外から観光客が集まる地域なら十分にあり得る話だろう。
「手足を切り落とす」という噂に関しても、驚くべきものではあるが、これもある程度信じられるもののように感じた。子供を私物化するというのは日本でもみられるごく一般的なことで、その行き過ぎた結果として理解できる。

いずれにしろ、そういった噂話を聞いた当初、日本で見ることのない「ストリートチルドレン」について、僕は彼らを自分たちとは違う、何か異様なものとして捉えていた。特殊な、自分と関係のないものとして。

 ストリートチルドレンの存在をはじめて意識したのはメキシコシティーでのことだった。それまでにもアメリカで多くの(大人の)ホームレスを見たが、アメリカでは子供の路上生活者を見た記憶はない。
 仮に子供が路上で働いているところを見たことがあったとしても、長期休みの際などにレモネードを売ったり車の窓拭きをしたりして小遣い稼ぎをしているといった程度ではないだろうか。
 一般的には、ストリートチルドレンとは、子供のみで路上生活をするもの、 親があり、家もあるが生活するために路上で商売をする子供、路上生活をする家族の子供、とされている。

 まず書いておきたいのは、途上国の多くにストリートチルドレンと呼ばれる子供達が存在するが、彼らは一様の存在ではないということだ。
 ある本によると、例えばアフリカ(アフリカのどの地域を指しているのか、或いは全体を指して言っているのかについては本文中に記述がないので不明)では「ストリートチルドレン」という言葉そのものが通じないことが多いという。それはストリートそのものが、皆が暮らす場所だと捉えられることが多いからだそうで、「ストリートチルドレン」は「パーキングボーイ」という呼び方をすると通じる場合が多いそうだ(『ストリートチルドレン―都市化が生んだ小さな犠牲者たち 』国際人道問題独立委員会報告/草土文化社 1988)。

 他に珍しい例として、ボゴタには「ガジャーダ」と呼ばれるストリートチルドレンの組織があるらしい。ガジャーダは最も強い年長者をリーダーとしており、リーダーは定期的に挑戦者と対決しなければならず、メンバーの生活を守る義務を負う。ガジャーダはとてもよく出来た組織で、メンバーの個性に合わせて、自転車泥棒やひったくり、物乞いに縄張りの防衛、商品の転売などの役割を分担しているという(同p43 )。ここまでくると、子供版のギャングそのままのようだ。

 今回は、僕が海外滞在中にメキシコ、タイ、カンボジアで見た様々なストリートチルドレンについて、見たことと感じたこと、そして考えたことを書きたい。
国や地域によって、それぞれ異なる秩序と文化、周囲の認識があり、それぞれ異なるストリートチルドレンがいるが、同時に、彼らのような存在を生む共通の土壌があるのではないだろうか。
 その点について考えたい。

【メキシコ、メキシコシティーの場合】

 約20年ほど前、僕はメキシコシティーのある宿に住んでいた。いつも通うボクシングジムまでは片道約1時間半の道のりで、うち1時間ほどはメトロの車内で過ごしていたように覚えている。

 ある時、メトロに三人の家族と思しき物売りが乗り込んできた。肌は皆一様に浅黒く、三人とも目立つ色合いの民族衣装を身に付けている。
まだ3、4歳と思しき幼児と、7、8歳くらいの少女に、50代くらいに見える、皺の多い、二人の母親としては随分と老けて思える女の組み合わせだ(或いは祖母だろうか?)。
 女は幼児の手を引いて「チクレーチクレー」とうるさくない程度に声を張る。
 チクレとはガムのことだ。
 ガム売りがこうしてメトロの車内に乗り込んで商売することは珍しくなかった。
 当時のメキシコシティーのメトロは、安い料金で各路線のどこにでも行けたし、時間制限もなかった。いつも少なくない人々が乗り合わせているし、かといって日本のような混雑もない。商売するには絶好の場所だ。

 少女は女と幼児のあとを面白くなさそうな顔でついていきながら、ガムをクッチャクッチャと音を出しながら噛んでいる。そして立ち止まって車内を見渡しかと思うと、次の瞬間にペッと強くガムを吐き出した。
 それを見て素早くティッシュを取り出したのが背の高いスーツ姿の白人の紳士だ。もう一人、浅黒く、背も高くなスーツ姿の仕事仲間らしき男とずっと話し合っていたのだが、少女の振る舞いを見て白人紳士は素早くしゃがみこんでガムを拾うと、よく出来た慈悲に溢れる笑顔で「こんなことしちゃダメだよ」とでも言うように少女に向かって人差し指を左右に振ってティッシュのガムを手渡した。

 驚いたのは、次の瞬間の彼女の振る舞いだ。少女は、どんな名優でも作れないというほどの激しく憎悪に満ちた表情を露わにし、ガムを床に叩きつけた。
 紳士は、それを再び拾うことはなく、立ち上がって再び仕事仲間と話し始めた。もしかしたら、彼もショックを誤魔化すためにそうしたのかもしれない。

 僕は呆然とその光景をみていた。
 そのような憎悪に満ちた顔を、それ以前もそれ以降も見た記憶がない。それがまだ小さな女の子から発せられたのだ。その時の僕は、傍目からみてショックを受けていたことが見て取れるほどだったろうと思う。
 あの時の少女の顔自体をイメージすることはできるが、恐らく、そのイメージは何度も思い出しているうちに実際の少女の顔とは随分と違ってしまっていることと思う。
 とはいえ、今後もあの時のショックを忘れることはないだろう。

 メキシコで長く暮らしていたある日本人がいうには、家族連れの物乞いの多くは本当の親子ではなく、そういった貧困ビジネスを仕切るギャングによって組み合わせをされ、現場に回されるのだという。
 映画の『スラムドッグミリオネア』のような世界だが、メキシコならば十分に信じられる。


 次もメキシコシティーでのことだ。
 僕は、当時仲良くしていたあるボクサー仲間の友人とその夫人が帰国する早朝に、彼が宿泊していた部屋に見送りに行った。まだ真っ暗で、あたりには人影もない。
 出発よりも早い時間に来たつもりでいたのだが、宿に着いたとき、二人はちょうど宿から出てくるところだった。
 そして「ちょうど良かった、これ持ってよ」と宿の玄関先に置いた段ボール箱を指差した。
 タクシーもまだ来ていないのにどこへ運ぶのかと思ったが、良いから良いから、と言う友人のあとを段ボール箱を持って、宿から細い通りを挟んですぐそばの教会まで着いていった。そして友人は教会の周囲で小さな山を作る何枚もの毛布に向かって「起きろ起きろ」と日本語で声を掛けた。するともぞもぞと毛布が動き出し、中から眠たげに目をこする子供達が現れ、友人とブエノスデイアス(おはよう)と挨拶をかわした。教会の周囲はストリートチルドレンのねぐらになっていて、子供達が身を寄せて毛布を被って寝ていたのだ。
 そして友人は簡単なスペイン語で子供達に帰国することを告げて段ボール箱を開けると、『好きなものを取れ』というように手で示した。
 中に何が入っていたかは殆ど覚えていないが、お菓子や防寒着などの衣類、生活用品が大半だったと思う。
 友人は「たまにお菓子あげたりして仲良くなったんだよ。荷物も、金持って貧乏旅行している宿の宿泊者にあげるより子供達にあげた方が良いからさ」と言った。
 二つほどの段ボール箱の中はあっという間に空になっていくが、夫人が入れていた下着をとるものはいない。当然だろう。子供達が男の子ばかりで、わざわざ女性用の下着をつけるものなど……、そう思った次の瞬間、その女性ものの下着に手を伸ばした子供がいた。
 男の子ばかりと思っていたが、手を伸ばした子供の顔をよくみると、つぶらな瞳にあどけない可愛らしい顔をしていた。髪を短く切り、顔をわざとススで汚し、フードで顔を隠してはいたが、一人だけ女の子がいたのだ。
 ストリートチルドレンがレイプの対象となることは少なくないようだ。それは女の子だけの問題ではないが、特に多くの被害が予想される女の子の場合は、男の子やグループに寄り添うことで身を守ろうとする。
 男の子に似せようとしたのもその一種だ。
 男の子に見せようとはしていても、下着だけは女の子らしいものにしたいと思ったのだろう。

 話が逸れるが、メキシコの麻薬戦争やホンジュラスのギャングを題材にしたルポを書いている工藤律子さんというジャーナリストがいる。この方は以前メキシコシティーのストリートチルドレンを訪ねて仲良くなって彼らを説得し、ストリートチルドレンの保護活動を行なう現地のボランティア施設に斡旋する活動をしていた。

 彼女の書き物によると、ストリートチルドレンが生まれるのは、再婚家庭の継父、継母からの暴力(含む精神的なもの)から逃げた例が多かったと記憶している。そして、彼らは空腹や寒さ(太陽の国と言われるが、メキシコシティーの冬は普通に寒い)を紛らわすために安価なドラッグ(シンナー)をやるらしい。

 書店でメキシコの麻薬戦争や中米のギャング関連の書籍を見かけ、そこに工藤律子氏の名前を見たときはただ単に「へー今こういうの書いてるんだ」と思っただけだったが、ストリートチルドレンが社会からつまはじきにされ、結果として、かつて空腹や寒さから忘れるためにシンナーに手を出したのと同じ理由で暴力や犯罪行為によって生きていこうとするのはよく理解できる(そして工藤氏がそういった彼らについて書こうとするのものよく分かる)。

 そして彼らが、非合法組織に加担するに至るには、貧富の差、もっと言えば白人支配の構造があったというのは間違いないように思う。
 僕がメキシコシティーで見たストリートチルドレンは、全てネイティブアメリカンの印象がある浅黒い肌をしていた。ホームレスや道端に敷物を広げて物売りをしている人々も全てそう見えた。
「メキシコの貧富の差は肌の色で分かる」とは何度も聞いたことがあったが、そのことをはっきりと見せれて驚いたことがあったので、そのときのことも紹介しておきたい。

 ある時期、友人とメキシコシティー各地のショッピングモールを渡り歩き、ウインドウショッピングに興じていたことがある。長期滞在者からの情報だったと思うのだが、ある時金持ちが多く住むという地区のショッピングモールを訪ねた。
その地区は、僕らがそれまで知っていたメキシコシティーの他の地域とはだいぶ違っているように見えた。
 通りにはゴミも落ちていないし、空気も幾らか澄んでいるように感じ、歩道もきちんと整備されていた。何より驚かされたのは、そこにいる人々が、僕らの知っている「メキシコ人」よりもずっと背が高くて体格がよく、そして完全なる白人に見えたことだ。
メキシコシティーの中心地にある繁華街だってこんなに白人ばかりということはない。そもそも旅行者には見えなかった。

 Wikipediaのメキシコページにある「格差社会」には「ラテンアメリカの中では比較的貧富の差が激しくない国」と書かれ、「教育による社会階層移動の可能性」の項には、貧困層出身者でも合格すれば奨学金などによって大学に通える旨が記載されており、メキシコの現状や今後について、やや好意的ともとれる記述に終始しているように(僕には)見える。
或いはその他の南アメリカ諸国が酷過ぎるという事だろうか? 

どちらかにしろ僕が知っているのは20年以上前のメキシコだ。
もしかしたらこういう状況はある程度好転しているのかも知れない。

【タイ、バンコクの場合】

ーーかつてのバンコク
 15〜17年前にバンコクに住んでいたとき、物乞いをしているストリートチルドレンを多く見た。
 バンコクの中心部を走る大通りを中心にしてBTSという高架鉄道が走っている。
はっきりと覚えているのは、この高架鉄道の歩道橋で物乞いをする子供たちだ。

 途上国の物乞いの多くは、経済格差のある海外からの観光客の財布をあてにしている。僕らのような貧乏旅行者(僕も旅行者のようなものだ)もその対象で、そのような貧乏旅行者の間で時折起こる議論に「彼らにお金を与えるべきか否か」というのがあった。
 僕は「与えるべきではない」と考える人間だ。売るものも見せる芸ももない物乞いにお金をあげるとクセになる。労働の代価としてお金が支払われるということを身に付けた方が良いという考えていたし、今もそう考えている。ただ、僕は年中金欠でヒーヒー言ってる人間でだいたいがセコイので、そういった人間性が考えの基礎になっているのかもしれない。
一方の、「与えるべき」という考えについては、感情的なものが多かったように思うが、これは単なる僕の印象だろう。

 冒頭で二つの噂話の話を書いた。
 そのうち「実はお金を持っている」というストリートチルドレンの噂ついて、ある程度信用出来るものだった、と思わされたのはあるフリーペーパーの記事を読んでのことだ。
 バンコクには在住日本人が多く、多くの日本語のフリーぺーパーが存在したが、その中で最も人気があったのが『DACO』だ。当時、多くの興味深い特集があったが、その中の一つに、物乞いの子供の家まで着いて行くというものがあった。
 現物は手元にないし概要だけしか覚えていないのだが、内容はだいたい

バンコクの中心部で物乞いをするある女の子は、仕事が終わると、綺麗な服に着替え、家族と住んでいるバンコク郊外にある二階建ての綺麗な家に帰って行った。

というものだったと記憶している。
 物乞いは人々の憐憫の情を引き出すことが重要となる。当然子供が稼ぎ頭になるということも少なくないようだ。記事の内容自体覚えてはないが、親も物乞いである可能性は高いと思う。 ストリートチルドレン同士が子供をつくることもあるし、一般的な教育からかけ離れた環境で育った人間が自分たちの子供に路上で物乞いをさせようと考えるのもありそうな話だ。

 ほかに当時のバンコクでは、中華街を抜けたあたりにある中央駅(フアランポーン駅)の近くで、口元にビニール袋をあてているストリートチルドレンの姿を見たことがある。これがメキシコだったのならまだ理解できるが、バンコクのストリートチルドレンにはそのような印象がなかったので、これも印象深かった。

ーー現在のバンコク
今年の2、3月には旅行で久しぶりにバンコクを訪れた。
合計で2週間ほど滞在して市内を歩き回ったが、特に中心部の大通りの発展ぶりは凄まじく、日本の殆どの都市よりも豊かに見える。しかし、大通りから一つ曲がると、そこには昔ながらのバンコク、電線が何本も絡み合い、薄汚れた古い建物が並び、昔ながらの商売をやっている、貧しいバンコクが顔を出した。
 滞在中、ストリートチルドレンを見たのはたったの二人だけだった。しかも昔のようにただ通りに座り込んでお金を恵んで貰うのではなく、サッカーボールでリフティングをしたりジャグリングをしたりしてお金を貰っており、彼らは殊更に貧しさをアピールしてはいなかった。ジャグリングをしている男の子などは、スピーカーで何か音楽を鳴らしながら芸を見せていた。

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【カンボジア、シェムリアップの場合】

 昨年の年末、カンボジアのシェムリアップの遺跡周辺で物売りをする子供が話題になった。その子は15ヶ国語を操るそうで、彼は、彼を紹介するYouTubeの動画で有名になり、その後の援助のお陰で学校に通えるようになったそうだ。

 そのニュースが紹介されたあるワイドショーで、あるコメンテーターが「確かに凄いし、彼が学校に通えるようになったのは素晴らしいけど、一方でなぜ子供達がこういうところで働かなければならないのか、そういうことを考えなければいけない」と言っていた。

 その意見自体は誠に正論だと思う。しかしアンコールワット周辺の遺跡には職員が沢山いてそれなりの秩序が保たれている。例えば、カンボジア人は遺跡内に無料で入れるが、物売りの子供達は入ることができない。ただでさえ観光客が多いのだから、おそらく無駄な混雑を避けるためだろう。

 17年前にはじめてシェムリアップに行った時、遺跡の周辺にある食堂で知り合った6、7歳くらいのある物売りの女の子はすごく流暢に英語を話した。そしてその日彼女とは三回も会うことになった。
 最初に会った時、そして二回目も僕は何も買わなかったのだが、三回目にアンコールワットで会ったときに「あれ? 学校行くんじゃなかったの?」と訊ねると、彼女は「あなたが何も買ってくれないから行けなかったんじゃないのー!」と怒ってしまった。
 そして僕は本当につまらない日本語の小冊子を買う羽目になった。

 最初の来訪も合わせてバンコク在住中に5回ほどシェムリアップを訪れたが、なんとそのうち三回その少女と会うことになった。

 最後に会った(というか目線を交わした)のは、彼女が白人の老夫婦と一緒にプノンバケンという丘の上にある遺跡にいたときのことだった。
 物売りの子供達は普通遺跡の中には一緒には入れないようになっているので、彼女は恐らくガイドになっていたのだろう。服装も現地の人がよく着ている安価な民族衣装の類ではなく、白い綺麗なブラウスにスカート姿だった。勿論、何か売りつけようとしている素振りはないし、そういったお土産物を入れた籠も持っていなかった。

 コメンテーターのいうことは正論だ。シェムリアップの状況を知らないのなら、彼らのおかれた状況を見てそのように意見するのは一応正しいと思う。しかし貧しい国においてどうしてもストリートチルドレンという存在が出てしまう状況にあるのなら、身を危険に晒して路上で物乞いしたり物売りしたり、あるいは春を売るよりも、きちんと管理されていてキャリアアップもできる環境の方が良いに決まっている。

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 これは長いことプノンペンに住んでいる友人から聞いた話だが、プノンペンには、少女を買いに来ている日本人が集まって情報交換をする日本食レストランがある(或いはあった)そうだ。
 15、6年前当時日本語教師として働いていた友人は「子供たちを連れて行きたいけど、あいつらがおるから連れていけん。ある時はそいつらの中の一人が突然『少女はものじゃない!』とか叫び出して『なら買うなよ』と思ったわ」と苦々しく言い捨てた。

 アンコールワット(とその周辺遺跡群)の物売りの子供たちが置かれている状況はそれなりに理にかなっていると思う。それに、15〜17年前と比較すると、物売りの子供たちは随分と減った。特に、昔のような小さな子供は全く見当たらず、日本ならば、小学校高学年から中学生といった感じの子供達ばかりだった。

ストリートチルドレンについて

 はじめに「ストリートチルドレンという存在は一様ではない」と書いた。
 僕より海外経験の長い人など多くいるし、ストリートチルドレンを各国でつぶさに観察してきたというわけではないが、それでも各国の事情が違うことは当たり前に観察できた。
 前掲の工藤律子氏の『ストリートチルドレン』とは異なるもう一冊の『ストリートチルドレン―都市化が生んだ小さな犠牲者たち 』(国際人道問題独立委員会報告/草土文化社 1988)によると、西暦1212年の少年十字軍が失敗した後に欧州各地で子供達がさまよい歩く姿が見られたそうで、彼らの多くが奴隷として売られたそうだ。また、ロシア革命初期にも子供達が街に浮浪児が見られたという(p51)。

 現在の日本ではストリートチルドレンを見ることはない。とはいえ、日本でも戦後には戦災孤児が溢れたという話は聞く。

 ストリートチルドレンはなぜ生まれるのか?
 基本的には貧困が根っこにある場合が殆どなのだろう。しかし貧しいからと言って必ずしもその家庭からストリートチルドレンが生まれるわけではない筈だ。何度も書いているように、ストリートチルドレンは一様の存在ではない。

 まず、路上で暮らすストリートチルドレンに絞って考えてみると、子供達はまず、家庭の破綻をきっかけにして生まれる。
 その理由は様々だ。
 まずは個別の問題として、家庭内暴力、ネグレト、貧困(による人身売買など)、加えて戦争などの社会的混乱による家庭の崩壊があると考えられる。
 そして社会全体の問題としては、孤児や浮浪児を受け入れる社会的な制度がない、もしくは不足している場合に、子供が路上に放り出されたり、逃げ出すことになる。そうして路上に出た子供達は、似たような身の上の子供同士で助け合う特殊な環境に身を置くことになる。そこを選ぶこと自体は彼らにとって合理的な選択と言えるだろう。

タイのフリーペーパー『DACO』の記事のような、純粋に金を稼ぐための手段として親に物乞いをさせられ、さらに一般の同国人よりもお金を稼いでいたていた場合、問題はやや複雑になるだろうか。
 他者の介入が難しくなり、しかもそれがある程度収入を得ているとなると嫉妬され周囲との関係性を保つのも難しくなるかもしれない。
 気になるのは、少女のその後だ。
 彼女のような暮らしをしていてまともに学校に行けるはずはない。
 大人になると、売春をして暮らすようになるのだろうか?

 数年前からカンボジアで活動するあるボランティア団体に毎月の寄付をしている。彼らは少し前にカンボジアでの「人身売買をなくすという目標を達成した」という理由で、活動の主軸をインドに移したようだ。彼らが目標を達成するに至った活動としては、産業を起こしてお金を稼ぐ手段を作ること、そして警察に指導して人身売買と思しき大人と子供の組み合わせを見かけたら職務質問を徹底することだったという。
 彼らの活動とその目標達成については、恐らくカンボジアの経済成長とセットで考えるべきだろう。15〜17年前のシェムリアップから比べると、今年2月に訪れた同地は目覚ましい発展振りだったし、今回初めての訪問だったプノンペンは、(治安はやや悪そうだが)首都らしくとても大きく、活気のある街並みだった。
  富は貧困を駆逐し、貧困に関連する様々な問題を解決する。あるいはその為の手段を用いることを可能にする。

 とはいえ、メキシコやタイ、カンボジアに比較した場合、経済的に豊かと考えられる日本でも、同様の問題がないわけではない。
 日本にストリートチルドレンがいない、あるいはいないように見えるのは、社会的な問題として、警察、児相、児童養護施設がある程度機能しているという点に負うところが大きいのだろう。そして、子供達を受け入れる路上の文化が存在しないのは重要な点だ。

 では、日本で虐待を受けている子供達はどうなるのだろうか?
 運が良ければ親類縁者や児童相談所や養護施設に保護されるなどして、悪ければ虐待を受け続け、場合によっては死に至る。他には、反発して家庭内暴力に走ったり(こういったことが殺人に至ることもある)、引きこもりになったり、戸塚ヨットスクールのような施設に放り込まれることもあるだろうか。


 親による虐待死の報道を見聞きしたときに「日本にも子供達を受け入れるストリートの文化があったらどうだっただろう」と考えることがある。
 その時彼らは、例えば、物乞いをしたり、ちょっとした盗みをやって暮らすようになるかも知れない。寒さや空腹を紛らわすためにシンナーなどの安価なドラッグをやるかもしれない。
 それでも死ぬよりはずっと良いはずだ(念のために書いておくが、僕は日本の虐待を受けている子供達が家庭を捨ててストリートチルドレンになることを望んでいるのではない)。

  今年のアンコールワット見学の現地ツアーで一緒になったある日本人のある大学生は、アンコールワット周辺の売り子たちが「ウザい」と言った。僕が「随分と人数が減ったよ」というと、彼は釈然としないという感じで「そうなんですか」と言った。

  考えてみて欲しい。
  例えば、遺跡の周辺で物売りをする子供達の居場所が奪われて、彼らが物乞いや盗みをするようになったらどうだろうか。例えば、男の子は強盗や盗みなど、女の子は売春をするようになったらどう思うだろう?

  日本に置き換えるとどうだろうか。
「ストリートチルドレンになれなかった子供達」はその後どうなるのだろうか?
 どうか考えてみてほしい。

  最初に、ストリートチルドレンについての噂話を二つあげた。
  一つは「物乞いの中にはお金持ちもいる」というもので、もう一つは「物乞いのために子供の手足を切り落とす親がいる」というものだ。
  前者についてはすでに実際例を紹介したが、後者についても、十分にあり得る話だと思う。
  親が子供を私物化してしまうというのはごく一般的に見られる傾向だろう。「私物化」というのは要するに、子供の自由を奪うことだ。それが過大になると虐待や育児放棄につながる。
 そして残念ながら「子供の私物化」が無くなることは(減ることはあっても)ない。だからこそ、社会的な枠組みによる子供の救済と、社会全体の理解が必要になる。

 思えば、親による子供の私物化の最たるものが「手を切り足を切る」行為なのではないだろうか。その意味で、それは(事実かどうかは別として)とても象徴的な話だと思う。

  シェムリアップに通うようになった当初、見渡す限りの野っ原を突き進むバイクタクシーの後ろに座る僕に、向かい合う高床式の家の庭で遊ぶ10人程度の裸ん坊の子供達が一斉に「バイバーイ」と手を振ってくれたことがある。
 あの光景が忘れられない。
 彼らが、いつまでも彼らの自由の中で生きられるように願っている。

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Wikipedia「ストリートチルドレン」より引用。米国ニューヨーク州 Mulberry Street(ジェイコブ・リース,1890年)

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