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小説:土壇場の比類なき思考回路/全文【5973文字】

1 顔のつぶされた死体

 死体を見つけたのは釣り人だった。
 蒸し暑い土曜日の夜。人気の釣り場で、うつぶせに浮いている人に気付いた。周囲の釣り人たちは集まったが、フェンスがあり、状況の確認ができぬまま救急車を呼んだ。釣り人たちにとって、それは幸運だった。死体は、目も当てられぬほど凄惨なものだったから。

「こっちです」

 若い刑事がブルーシートの外側で手をあげている。近寄ってくるのは、いつもペアを組むベテラン刑事。

「状況は?」
「被害者は、男性で、四十代から五十代。死亡推定時刻は、死後、二十四時間から三十時間程度。顔がめったくそにつぶされて、指紋は焼かれています。所持品はなく身元がわかっていません」
「めったくそに、ねえ」

 ブルーシートに覆われた現場は、まだ遺体が運び出されておらず、鑑識や捜査員たちが煌々と照らされたライトの下で動き回っている。遺体の腐敗した臭いが漂っている。

「第一発見者は?」
「釣り人です。救急車を呼び、救急隊員が即座に死亡を確認、110番しています」
「そうか」

 刑事たちはブルーシートの中に入っていった。

「こりゃ、ひでえな」

 若い刑事はゆっくり口呼吸をする。臭いで吐きそうだ。

「殺しか?」

 鑑識の一人に声をかける。

「おそらく。顔だけ損傷するには激しすぎるし、指紋も焼かれている。死後、誰かに損壊されたことは確かだ」

 ベテラン刑事はじっくり遺体を眺める。遺体は、顔面が激しくつぶされ、骨の見えている部分もある。軽度の肥満。Tシャツにスウェット姿。
 刑事は熱心に遺体を観察した。

「顔をつぶして指紋を焼いたところで、DNA鑑定がある時代だ。そんな知識もない人間の仕業ということか?」

 刑事はぶつぶつ言いながらブルーシートの外へ出て行った。薄く白み始めた空に、夏の一日が始まろうとしていた。

 捜査本部が設置された。

「まずは死因から」

 鑑識の一人が立ち上がる。

「解剖の結果ですが……病死です」

 室内が一瞬、ざわついた。

「死因は脳梗塞です。顔面の損傷も指の火傷も、生体反応はありませんでした。死後に損壊されたものと思います」
「身元は?」
「身元につながる所持品はなく、DNAデータを過去の事件と照合しているところです」
「防犯カメラは」
「不審な人物は写っていません。釣り人ばかりです。釣り人同士は、お互い不審な行動はなかったと証言しています。フェンスを越えて遺体を捨てたら目立つので、別の場所から流れ着いたものと思われます」
「よし。まずは身元の洗い出し。それと、付近防犯カメラを調べろ。全力で捜査に当たってくれ」
「はい」

 捜査員たちは返事をするが、覇気がないのは仕方のないことだった。殺人と、死体損壊・遺棄では、罪の重さが全然違う。死因が「病死」と判明したのだから、捜査員は半数以下に削減されるだろう。

 刑事コンビは川沿いの防犯カメラを調べていた。そこへ若い刑事のスマートフォンが鳴る。

「──はい。え? わかりました」
「なんだ」
「身元がわかったようです」
「早いな、前科持ちか?」
「十年前の、未解決の強盗事件の犯人のDNAと、一致したそうです」
「なんだそれ」
「十年前にあったコンビニ強盗の犯人の遺留品に毛根の残った毛髪があり、そのDNAと一致したと」
「十年前の強盗犯が、今頃病死して、誰かに顔をつぶされて指紋焼かれて、海に捨てられた?」
「ということみたいです」

 ベテランは眉間に皺をよせ、「なんか変な事件だな」とつぶやいた。

2 十年前の強盗事件


 十年前の夏。コンビニエンスストアに強盗が入った。マスクをして、ニット帽をかぶった客がレジに来て、包丁を突き出し「金を出せ」と言った。店員はレジ下にある緊急用ボタンを押した。客は細身であり、店員は柔道経験者であったため、驚きはしたが恐怖はなかった。店員は腕を伸ばして強盗の包丁を奪おうとした。よける強盗。店員はニット帽をつかんだ。強盗は驚き、何も盗らずに走って逃げた。店員の手には、強盗のニット帽がしっかりと握られていた。

 警察により、コンビニエンスストアの周囲は包囲された。近くのコインパーキングの防犯カメラに走って逃げる強盗犯が映っていた。しかし、その先の路上防犯カメラには映っていなかった。その間のどこかに隠れていると想定され、探した。深夜にも関わらずその間にある家まで訪ねた。老朽化してもうすぐ取り壊される予定のアパート一軒だけだった。

 その一軒に住む家族は留守で、玄関には鍵がかかっていた。ほかの空き部屋になった部屋も確認したが、どこも鍵がかかっており、窓が割られた形跡もなく、強盗の姿はなかった。
 コインパーキングの防犯カメラに映ったあと、どこのカメラにも映っていない強盗。強盗犯は、忽然と姿を消した。
 唯一の証拠品、ニット帽から本人のものと思われる毛髪が発見された。毛髪には毛根がついており、そこからDNAが抽出されたが前科者のDNAに該当せず、そのまま、十年が経過した。

3 現在


 死体となって発見された強盗犯のことを少しでも知るため、当時アパートに住んでいて、留守にしていた家族を刑事たちは訪れた。その家族は、夫婦と子供の三人家族。
 十年前は、翌日になってから警察が訪問した。

「その時間は家族ででかけていた。事件があったことも知らなかった」と妻は話した。

 強盗事件の直後、アパートは取り壊され、家族は空き家になっていた妻の実家に住んでいるようだ。

「ここですね」

 築年数は古そうだが、きれいな外観の家だった。庭の花々が色とりどりに咲いている。チャイムを鳴らすが反応がない。

「留守ですかね?」
「少し待ってみるか?」

 刑事たちは玄関の前で腕組みをし、傾き始めた西日に耐えていると、中年の女と若い男が歩いて来た。
 女は怪訝な表情で近寄ってくる。

「うちに何か御用ですか?」

 少しよれた灰色のTシャツ。脇に汗染みが浮いている。くたびれた印象だ。

「こういうものです」

 刑事が手帳を見せるやいなや、女は大きな声を出した。

「見つかったんですか! 主人は、どこにいるんですか!」

 明らかに興奮している。

「どういう意味ですか?」

 刑事が静かに聞いた。

「あ、違うんですか?」
「何のことでしょう?」
「実は今、主人の捜索願を出してきたところなんです」
「ええ!」

 刑事たちは顔を見合わせた。

4 男の失踪

 

 その家は、きれいに片付けてあり、清潔であった。居間に案内されソファに座ると、女は冷たい麦茶を運んできて、刑事たちの向かいに座った。

「昨日の夕方に出かけたきり、主人が帰って来なくて、電話をかけても繋がらないし、警察に相談に行ってきたところです」

 女は項垂うなだれながら話す。顔色が悪く、疲労の色が見えた。

「ご主人は、昨日どこに出かけたんですか?」
「ちょっとパチンコ屋、と言っていました。ときどき一人でパチンコ屋さんに行くことはありましたから」
「それで、帰って来なかった」
「はい。でも『まあまあ勝った』って連絡はあったんです」

 そう言って女は自分のスマートフォンの画面を見せてきた。確かにメッセージが届いていて、日にちも時間も、女の話す通りだ。

「すぐ帰ってくると思っていました。でも、帰ってこなくて。朝一番で警察に相談に行きました。でも、大人の失踪は、家出のことが多いと言われてしまいました」

 確かに大人の失踪は、事件性が明確でない限り捜査しないことが多い。

「家出をする心当たりはありますか?」
「いいえ、まったく」

 女の横に座って、母親を支えるようにしていた息子にも聞いてみたが「思い当りません」と静かな返事が返ってきた。

「ところで、主人のことではないなら、何のご用ですか?」

 女はゆっくりと顔をあげた。

「十年前にあったコンビニ強盗事件のことを調べ直しています。当時、ご近所にお住まいでしたよね?」

 女は少しの間、上を向いて考えた。

「十年前ですか? ああ、警察の人が来ました」
「当時のことで、何か新しく思い出すことはありませんか?」
「新しくと言われても……その時、私たちは家にいなかったんです。主人がドライブに行こうなんて言いだして、車でぶらぶらしていました。オービスでしたっけ? あれで確認していただけたはずですけど」
「はい。当時、近所のカメラで確認されています」
「強盗があったことも知らなかったくらいなので……あの、そろそろいいですか? 疲れているので」

 女は確かに顔色が悪かった。夫の帰りを寝ずに待っていたのかもしれない。

「すみません。ご協力ありがとうございます。ご主人、帰ってくるといいですね」

 刑事は腰をあげながら言った。

「ありがとうございます」

 女は小さな声で返事をした。

 携帯電話会社に問い合わせると、行方不明になった男のスマートフォンは、家族の証言通り、家族へ送信されたメッセージが最後の使用であった。

 男は近所の定食屋の厨房で働いていた。定食屋は平日のためか空いており、刑事たちは昼食をとることにした。

「ここで働いている人のことを知りたいんですが」

 行方不明になった男の名前を出すと、店主が出てきた。

「ご友人ですか?」
「警察のものです」

 そう言って刑事は警察手帳を見せた。店主は、ふんと鼻を鳴らす。

「どんな方ですか?」
「どんなって言われても、仕事は丁寧だし、穏やかだし、良い奴さ。少し内気な性格だけど、料理の腕は良い。今は夏休みだから暇じゃが、ここらの大学が始まると店はてんてこ舞いじゃ。それでも、黙々と調理に集中してくれて、とても助かっておる」

 店主はふんっと鼻を鳴らしながら話す。

 強盗犯の死体損壊と、当時近所に住んでいた男の失踪、関係があるのだろうか。偶然にしては気になる。珍しい偶然というのは、もはや偶然ではない。それ以上の何かがあるはずだ。

「彼に何か特徴はありますか?」
「特徴ねえ。ちょっと小太りの、普通のおじさんじゃ」
「小太り、ですか」
「そうじゃ。デブとまではいかないが、痩せてはいないな」
「あら、彼はおデブさんのうちに入るんじゃないかしら」

 そう言って店主の妻がふふふと笑う。小太りか。刑事は何か引っ掛かりを覚えた。男は、頼られている職場があり、心配してくれる家族がいる。どうして失踪などしたのか。やはり強盗犯の死体損壊が関係してくると思えて仕方なかった。

 署に戻ると、ほかの捜査員が聞き込みから帰ってきた所だった。

「アパートの家族のことを覚えている近隣住人がいました。その男はかなり横柄で、トラブルメーカーとして有名だったようです」
「トラブルメーカー?」
「はい。ポイ捨てをしたり、子供がうるさいとクレームを言ったり、地域の厄介者という感じです。家では家族に暴力をふるっていたという噂もあります」
「今の様子とまるで違うな」

 現在の男は、穏やかで内気と言われていた。

「息子が当時八歳ですが、ときどき体にアザを作っていた、という話でした」

 刑事は今日会ってきた、十八歳になった息子を思い出した。優しそうな青年で、父親を心配しているように見えた。子供の頃、父親から暴力を受けていた息子か。イメージがうまく一致しない。

 そのとき、一人の捜査員が大きな声を出して部屋に入ってきた。

「強盗犯の身元、わかりました!」

 部屋にいた全員が振り返った。

「強盗犯の名前は藤田。コンビニ強盗事件直後に近所で行方不明になった人物がいると聞いて行ったら、藤田という男でした。身内はなく、アパートの私物を捨てられず、大家が保管していたので助かりました。藤田の私物から採取されたDNAと、強盗犯および海で見つかった遺体のDNAと一致しました」

 室内がどよめいた。ようやく遺体の身元が判明したのだ。



5 女の独白

 

 家に帰ると、藤田がリビングで倒れていた。慌てて駆け寄ると、もう冷たくなっていた。女は、何をするのが一番良いか考えた。

「大丈夫。私は土壇場に強い。十年前もそうだったじゃない」

 そう言い聞かせ、考えた。

 救急車を呼んだり、警察に連絡したりするわけにはいかない。藤田の現在の顔が世の中に公表されるわけにもいかない。何もかも隠し通すには、藤田の身元を隠し、死体を捨て、夫の捜索願を出すことがベストだ。土壇場の思考回路は早かった。息子のいない時間で良かった。

 まず、顔をつぶして指紋を焼いた。この家には、藤田の指紋がたくさん残っている。いくらきれいに掃除したとしても、十年間住んだ家だ。どこに指紋が残っているか、わからない。そして川に捨てた。どこかに流れつくか、沈むか。賭けだった。

 十年前まで、女は地獄にいた。夫の暴力のせいだ。働かない夫に殴られ蹴られ、地獄のような日々。近隣にも迷惑をかけるし、いっそ息子と二人で……などと思い詰めていた。

 あれは本当に偶然だった。いつものように、夫から暴力を受けていた夜。息子はトイレに隠していた。そのとき、突然玄関が開いて男が入ってきた。「強盗に失敗した、かくまってくれ!」と大きな声を出して。それが藤田だった。
 妻を殴っている所を見られカッとなった夫が、家に入ってきた男に殴りかかり、もみ合っているうちに、夫の胸に包丁が刺ささった。

 驚いたのは、男も女も一緒だった。冷静だったのは、女のほうだった。男は、人を刺したことがショックだったのか、風呂場で吐いていた。トイレは息子が隠れていると女が言ったからだ。

 そのとき、トイレからまだ八歳だった息子が出てきた。

「お母さん大丈夫?」

 物音や怒声を聞いていたのだろう。

「大丈夫よ。もう少しトイレにいてね」

 トイレに戻ろうとしたとき、息子は倒れている自分の父親を見た。胸に包丁の刺さった父親を。その時、夫が、うぅと小さく唸った。死んでいないのか! 女が思った瞬間、息子が父親に駆け寄り、胸に刺さった包丁を一度抜き、再び、振り下ろして刺した。

 女は、返り血で真っ赤に染まった息子を見て、卒倒しそうになった。何が起こったのだ。息子が、父親にとどめを刺した……。

 あの男に、強盗犯に見られてはいけない。あくまでも、殺したのはあの強盗犯だ。そう思わせておかないといけない。女は、呆然としている息子を台所のシンクに座らせ、全身を洗い流した。食事もままならぬ生活をしていたため、痩せた息子はシンクにすっぽりおさまった。男が戻ってくる前に、女は急いで息子に服を着せ、何食わぬ顔で、トイレに戻した。

 女は、「ありがとうございます。あなたは夫を殺してくれた神様です」そう言って、男に、夫との成り代わりを提案をした。土壇場の思考回路は、やはり早かった。

「私の夫としてこれから生きていけばいいんですよ」

 これで、お互いウィンウィンの関係になれると判断した。青い顔をして風呂場で吐いていた男に夫の服を貸し、着替えるように言った。

 息子は、幼さゆえか、精神的ショックからか、当日のことを覚えていない。十年前に車で運び庭に埋めた夫は、今頃骨になっているだろう。今後、万が一死体が掘り起こされることがあったとしても、強盗犯の藤田の犯行だと言えばいい。藤田はもう死んだのだから。

 やはり私は土壇場に強い。


《おわり》



最後までお読みいただきありがとうございました。

公募のために、過去作を削って書いた作品です。もともと23000字くらいあった作品を削ったので、かなり唐突な終わり方になりました。この話の元になった小説はこちらです。もし、もっと細かいところまで気になる方がいらしたら、こちらをお読みいただけると幸いです(終わり方が若干違います)
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