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星屑214 においのはなし

2020年10月19日 2023年2月9日加筆修正
 金木犀のにおいがわからない子供でした。いや、金木犀のにおいが「これ」だということを理解しないまま過ごし、大学院の時に金木犀の匂いを理解しました。ずいぶんと大人になってから把握しました。
 この匂いが金木犀であるとわかるようになったきっかけは、草花に詳しい青年に出会ったことが大きい気がします。生垣のオレンジの小さい花を見ながら「金木犀、いい匂いだね」と言ったのを見て、やっとこれが金木犀なのだと分かった瞬間、香りが鼻腔をかすめました。その時まで金木犀の花の姿すらおぼつかず、毎回なんとなくネットで調べて満足して終わる植物の位置付けだったものが、急に色と匂いを持って迫ってくる。把握した途端、視界の端々に金木犀が映るようになったのも印象的でした。それからというものの、紫陽花に次いで好きな花は金木犀になっています。
 通勤路の途中、会社に着く直前の坂道に立派な金木犀が植えていて、遠くからでもいい匂いを放っています。ああ秋が来たのだと、人通りが少ないことを言い訳にマスクをずらして香りを楽しんだりしています。でも先日、台風がかすめた長雨で花がほとんど落ちてしまい、もう香りを楽しめなくなってしまいました。唐突な秋の終わり。
 日頃マスクをして過ごすようになってからというものの、マスクの素材の匂いに影響されて外の匂いがわかりづらくなりました。朝ごはんのにおい、ごみ収集のにおい、小学校の土埃感、住宅街のだしとしょうゆとお風呂のにおい。ぜんぶマスクの不織布の独特なにおいにかき消されてしまう。満員電車(もうほとんど遭遇しなくなったけど)での隣の人の体臭をあまり気にしないでよくなったのは大きいけれど、なんとなく失ったものは多いような気がします。
 私の通勤スタイルはイヤホンとマスクが必須です。不思議なことに、耳と鼻と口をふさぐと、視界が狭くなるような、焦点が合わないような感覚に陥ります。私だけでしょうか。お店でなにかを選ぶときは、イヤホンを外した状態でないと上手な選択ができなくなる気がします。あの焦点が定まらずにぼーっとしてしまう感じはいったいなんなのだろう。たぶんこれでメガネをし始めたら、完璧に世界が遮断されてしまう。どんどんせまくなる世界。
 意識して広げないと、面白みのない中年に突入しそうで少し怖くなります。少しずつ、外に出るリハビリをはじめなければ。

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