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⑤思い出の地からの出航

「みなさん、こんばんは! 人生という大海原で迷子になったあなたを導く光でともすラジオ”ライトハウス”へようこそ! メインパーソナリティのカノンです」

 ボクはいつもの自己紹介を終えると、ラジオブースの外に目を向けた。
 プロデューサー席でホクトさんが若い女性ADさんを呼びつけて何か話している。珍しく仕事の話をしているのかなと思ったら、ホクトさんは女性ADさんに何か茶色っぽいものを見せていた。
 何かのパンかな? ホクトさんは甘党で特に菓子パンが好きだ。
 多分、女性ADさんにお気に入りの菓子パンを熱く解説しているのかもしれない。
 仕事中に関係ない話に巻き込まれて女性ADさんは苦笑いを浮かべていた。
 大好きな菓子パンを凜々しい笑みで熱弁する船長(プロデューサー)を見ながら、ボクはラジオを進行する。

「このラジオでは大海原で迷子になった船を導く灯台がテーマです。
なので、リスナーさんのことを船長さんと呼ばせてもらいます。
メールを投稿するときは○○船長と書いてください。あと、メールはリスナーさんの進路に対する内容などを取り上げさせて頂きます。そのため、メールをこのラジオでは海図と設定します」

 ボクはライトハウスでの基本ルールを説明し終えると、早速リスナーさんからのメール紹介のコーナーに入ることにした。

「では、今日の船長さんから届いた海図を紹介します。みなさん、たくさんの海図をありがとうございます。
では、早速読ませて頂きます。
カノンさん、こんばんわ! こんばんわ! 思い出の海に浸りたい船長です。わぁ! 思い出の海に浸りたい船長、お久しぶりですね。
以前、大好きな思い出の地についての熱弁海図を送ってくれましたよね。今日はどんなお話をしてくれるのでしょうか。私は……」

***

「え? 閉店するんですか!?」

「あぁ」

 店長は重苦しい顔をして私にお店の閉店宣言を告げた。
 どうして? 店長教えてよ!
 私は駅ナカデパートにあるパン屋”こねこねパン”の常連です。
 このパン屋さんは子供の頃に遊んだ動物のドールハウスを連想させるような可愛らしい店内に、動物の顔を形作った可愛いパンが売りのお店です。
 私は子供の頃から”こねこねパン”が大好きで社会人になってからも毎日のように通っている。特にお気に入りのパンは店名にもなっている”こねこねパン”という子猫の顔を形作ったクリームパンです。
 可愛いパンの形に包まれた甘いクリームが口全体に広がると、私はいつも幸せな気分になれる。

 そんな思い出のパン屋さんが突然の閉店宣言。原因は駅の改装工事らしい。今まで電車しか通っていなかった駅に新幹線を開通させる
その工事で駅と隣接しているデパートを取り壊す。

 私の思い出は誰かの私利私欲によって殺されます。
 ”こねこねパン”の閉店を知ってから、私は何もやる気が起きなくて仕事でもミスが増えています。

***

「……このままではいけないと思いますが、どうしたら良いか分かりません。カノンさん、また私にアドバイスをください。よろしくお願い致します。
思い出の海に浸りたい船長、ありがとうございました」

 思い出の場所がなくなる。これは辛い。ボクは子供の頃、お気に入りのおもちゃ屋さんが突然閉店してしまったことを思い出して涙が零れてしまった。いけない、いけない。今はラジオの放送中だ!
 ボクが泣いたら、リスナーさんが不安になってしまう。
 
 ボクはリスナーさんのお悩みに答えるため深呼吸をする。

「思い出の海に浸りたい船長。思い出の場所がなくなることは、とても辛いです。でも、お店が完全になくなるわけじゃありません。なぜなら、お店はあなたの心の中で生き続けているからです。本当に無くなってしまうというのは”人に忘れられてしまう”時です。あなたがお店を覚えている限りにお店はなくなることはありません。もちろん、あなたにとって”こねこねパン”は凄い大事な場所です。その代わりを見つけるのは大変だと思います。
もし良かったら、この”ライトハウス”を新しい思い出の場所にしてもらえませんか?
あなたの思い出の場所をなくさないようにボクを含めたクルー全員頑張ります。一緒にこの”ライトハウス”という船で航海してくれませんか?」

***

「カノン、お疲れ!」

 ラジオ放送終えて、控え室のソファに腰を下ろしているボクにホクトさんが声をかけてくれた。

「ホクトさん、お疲れ様です」

「今回の悩み、辛いな」

「えぇ」

 リスナーさんが大切な場所を失ってしまう。
ボクは思い出して、また涙が浮かんでしまった。

「ほら、食え」

「え?」

 ホクトさんはボクに紙袋に入った何かを差し入れしてくれた。
 その袋には”こねこねパン”というロゴが書かれていた。
 紙袋を開けると、中には子猫の顔を形作った”こねこねパン”が入っていた。

「ホクトさん……」

「アタシも常連なんだよ……だから、つらい」

 ここに思い出の場所をなくして辛い人がもう一人いた。
 ホクトさんは貴重な”こねこねパン”をボクに分けてくれた。

「150円」

「え!?」

「うそだよ。食え。アタシのおごりだ。リスナーのためにもラジオ続けるぞ!」

「はい」

 ボクはホクトさんからもらった”こねこねパン”を一口食べた。
 甘いクリームが口全体に広がって幸せな気分になった。
 だけど、どうしてだろう。だんだん甘塩っぱくなっている。
 あれ? ボク、また泣いている。ボクの涙が可愛い子猫のパンにかかってしまって味を甘塩っぱくしてしまったみたいだ。

 この思い出は甘塩っぱい。ボクとホクトさんにとって忘れられない思い出になった。

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