Rín Tsuchiya

文化人類学 Cultural Anthropology 草、空、ときどき、ひと …

Rín Tsuchiya

文化人類学 Cultural Anthropology 草、空、ときどき、ひと 個人Webサイト https://rinrintcy.wixsite.com/website バイブルは『方丈記』 果ては天狗か仙人かになりたい。

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    独りからはじまる文化研究

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ドン・キホーテにはなれない

世の中というのはじつにいろんなことが起きる場だな、と思う。 何でもないかと思っていたらのちの人生に大きな影響を与える出会いがあったり、逆に重大だと思っていたことが時間が経つにつれて小さい問題だと気がついたり。いろんなことが起こるから、暇をしていることがない。 自分というたったひとりのちっぽけな存在の周りであっても本当にたくさんのことが起きる。その中には、いいこともあれば、悪いこともある。そして、悪いことというのは、一度気がついてしまうとずっと気になってしまう。 「悪い」とい

    • 食べる、寝る、それができない。

      みなさんはよく食べてよく眠れているだろうか。 わたしはここ10年以上できていない。 14歳の時に拒食症、18歳から不眠症らしきものと付き合ってきているので、いまさら何をどうすればいいのかわからない。 順番に整理してみよう。 食べる 診断こそされなかったが、今思い返しても拒食症だったと思う。 拒食については世の中に出回っている摂食障害の本などで紹介されている通りのことが起きてきた。食べることが悪いことだと思い込んで、常に頭の中は熱量という目に見えないエネルギーのことでい

      • 円い家

        円い家。 今日、どんな文脈だったか、友達がその言葉を発した。 それまで完全に忘却の彼方に飛んでいた、ある記憶が蘇った。 それはあまりに遠くにありすぎて、一瞬、私の記憶だったのか、その場で思いついて生成された情景だったのかも分からなかった。 でも、じっくり脳の片隅の一縷の情景を探っていき、たどり着いた。それは紛れもなく私の記憶だった。 ゴツゴツした石造りの壁、しかし中は温もりのある木造りの内装、小さな幼稚園のような絵本と木のおもちゃが並ぶこども用のスペース。低めの天井

        • Winter towards myself

          あまりにも寒い。夏の暑さと冬の寒さで35度くらいの差が出るのは流石にこたえる。しかしまた灼熱の夏が来るのかと思うと、それよりはいいなと思う。 今年は湯たんぽくらいしか暖房を使っていない。別にケチりたいわけでもないのだが、節約するに越したことはないし、暖をとるのにエネルギーを使ってしまう自分がなんだか情けなく感じてしまう。適温を求めればキリがないし、その度に少しずつ地球を壊してしまうのかを思うと、少し寒いくらいなら厚着をしてダンスでも踊ったほうがよっぽど気分が楽になる。 し

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          温めること、そして世界

          こんにちは。久しぶりに筆を取ってみます。 すっかり寒くなりました。夏の間は、「冬は本当に訪れるのだろうか」と心配するほどでしたが、もうすでに冬が訪れていると言ってよいでしょう。 暖かい場所から寒い外に出て、鋭く角ばった空気を肺に入れる瞬間がたまらなく好きでした。 そう、好き「でした」。 去年の今頃はスペインにいました。スペインというと皆さんは太陽の国だと思う方が多いんじゃないでしょうか。 誰がその通り名をつくったのか知りませんが、きっとその人はスペインの冬を知らない。

          温めること、そして世界

          私の価値は

          人の価値は何によって計られるのだろうか。 もしくはあなた自身の価値はどのようなものだろうか。考えたことはあるだろうか。 東京にいた頃、私の周りでは人の価値はおよそ年収とか働いている企業の地位とか、経済的にその人物がどれだけ優位に立っているかが重視されていたような気がする。そういう場(商学部)に身を置いていたから、当然といえば当然かもしれない。 今だって大して変わらない。研究者の価値はどれだけ論文を書いて、どれだけ業績があって、どれだけ本が売れて=名前が知れていて、という成

          私の価値は

          秋の夜長は考えるのに適している

          2023年10月21日。 夏は昨日までです!今日から冬に向かって季節が切り替わりました! とでも言わんばかりに、ひんやりした1日だった。この前まであらゆる動作に滴る汗を伴っていたというのに、今日は上着を羽織らないと寒いくらいだ。気持ちばかり、耳の縁のあたりに刺すような冷たさを感じる。 ああ、また季節が巡ってきてくれたんだ、こんなに嬉しいことはない、ありがとう。 受け取る相手もいない礼を律儀にも言いながら、せっかちにやってくる夜の暗さを肌身に感じる。 何をするにも良い季節で

          秋の夜長は考えるのに適している

          我が心、いずこ?

          2023年6月23日 もうすぐ帰国する。最初は永遠に感じられるほど時の経過が遅かったが、過ぎて仕舞えば早いものである。 貴重な20代最後の年を、外国の田舎で、そして調査というなんだかよく分からないもののために費やすとは、我ながらクレイジーである。 クレイジーだが、多分普通の生活を日本でしていては、もしくはただ住んでいただけでは味わえないことをたくさん経験できたはずだ。 学問としての調査はどうなったのか分からないが、できることはやったし、だいぶ心身ガタがきているのでここいら

          我が心、いずこ?

          友愛という言葉の意味を少しわかった話

          友達と3年越しの約束を果たしてきた。ロンドンで会おう、という約束だ。 私も友達も、3年前はお互いに今のように、スペインとイギリスに住んでいた。お互い近くにいるうちに会おう、という話をしていた。 3年前というとピンとくるかもしれない。 その約束はパンデミックという、私にはどうしようもない、あまりに大きすぎる出来事によって脆くも崩れ去った。 そして、今。 偶然にも、私たちはまた、二人ともがイギリスとスペインにいる。 大学院で知り合った彼女とは、頻繁に連絡をするわけでもない

          友愛という言葉の意味を少しわかった話

          私はコウノトリ

          寒く、風も冷たい早朝のこと。太陽の国なんて誰が名付けたのかと問いただしたくなるほどに、冬はしっかり寒い。上着を貫いて、冷気が肌を刺す。 寒くなると、スペインのこの地域にはコウノトリが飛来する。鉄塔や教会の塔に巣を作って、嘴をカタカタと鳴らしてパートナーを呼ぶ。この日も高圧線の鉄塔の上に、コウノトリのシルエットが見えた。 コウノトリは人知れず家庭を育んでいるのだろうと思って歩いていると、村の老人に「¡Jefe!(ボス!)」と呼び止められた。彼とは初対面なので、もちろん上司で

          私はコウノトリ

          disconnected

          最近はいろんな手段で音楽を気軽に楽しめるようになったものだ。 スマホがあれば、各種サブスクリプションサービスから、好きな曲を聴ける。レンタルショップに行ってCDを借りるということも、めっきり減ってしまった。 それでも、私はウォークマンが大好きだ。 ウォークマンを初めて持ったのは13歳の時。お祝いでもらったのが最初だった。当時は音楽を聴くという習慣のなかった私にとって、いつでもどこでも音楽を聴けるツールというのが新鮮で、好きな音楽をパソコン経由でウォークマンに入れて、暇さえ

          月明かりの下、私と私の弁証法

          なんだか温かい国というイメージがあるスペインも、冬はしっかり寒い。片田舎だからか、相当な数の家に暖炉があるとみえて、外を歩くと煙の匂いがたちこめている。村の外に出ると、どこか遠くで、チェーンソーで丸太を切って薪にしている音が聞こえる。私にとっては慣れない冬の風物詩といったところだ。 私の家は100年くらい前に作られた家の、元々は家畜の食べる干草を入れておくためのスペースだったそうだ。今はなぜか日本からやってきたアラサーが住んで寒い冬をやり過ごしているのだから、巡り合わせという

          月明かりの下、私と私の弁証法

          a fractal

          クリスマスイブ。スペインのイブの挨拶はFeliz Noche(フェリス・ノーチェ、幸せな夜を)だ。 今年は土曜日が24日なので、金曜日、23日には土日にはもう会うことがないだろうという人にはフェリス・ノーチェと言い合う。ちょうど、年末に「良いお年を」と言い合うようなものかな、と感じる。テレビからはクリスマスの宝くじの当選の様子が延々と繰り返される。 スペインの片田舎では、これでもかというくらい飾り付けをしている家と、全然飾り付けをしていない家、心ばかりに飾っている家、いろん

          生きやす(にく)さ

          スペインに来て、5ヶ月が経過した。昔に滞在した時間を含めると、もう累計1年以上になる。こんなに海外に住んでみることになるとは、5年前には全く思っていなかった。そしてパンデミックが始まった2年前には、またスペインに戻れるとは思っていなかった。 以前も秋から冬、春にかけて滞在した。その季節をなぞるように、ああ、この地の秋は、冬は、クリスマスはこんなものだった、そうそう、これだこれだ、と思いながら過ごしている。あたかもパンデミックなど全くなかったかのように、皆がかつてと変わらぬ暮

          生きやす(にく)さ

          窓一枚分の世界

          日本を離れ、早くも5ヶ月が経過する。日本のような年の瀬の慌ただしさはここにはなく、クリスマスに向けてほどほどにボルテージを高めて、ほどほどに楽しみにしているような気がするのはここが小さな村だからなのかもしれない。それでも遠くの家族が帰ってくるからとクリスマスのディナーのことばかり考えている人も少なくない。 * ここにきて、大きく体調を壊した。胃が固形物を受け付けず、水も飲める気がしないので口を湿らせる程度にチビチビやった。10年ものの梅酒でもここまで慈しんで嘗められること

          窓一枚分の世界

          港と祖母と天草と

          三年ぶりに地元で正月を過ごす。 昨年は帰省を控え、一昨年はスペインで年越しをした。 3年ぶりだと、正月ももはやフィールドワークである。 今年で86歳になるおばあさんは、昔のことをよく覚えている。 きょうは、おばあさんが小さかった頃、テングサをとっていたころのはなしを聞いた。 もう80年近く前のことだろう。おばあさんは小さな港町に生まれたので、海とも親しんで暮らしていた。 おばあさんの母、私の曽祖母はテングサとりの名手だったという。 テングサというのは、要は観点の原料と

          港と祖母と天草と