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食べる、寝る、それができない。

みなさんはよく食べてよく眠れているだろうか。
わたしはここ10年以上できていない。

14歳の時に拒食症、18歳から不眠症らしきものと付き合ってきているので、いまさら何をどうすればいいのかわからない。

順番に整理してみよう。

食べる

診断こそされなかったが、今思い返しても拒食症だったと思う。
拒食については世の中に出回っている摂食障害の本などで紹介されている通りのことが起きてきた。食べることが悪いことだと思い込んで、常に頭の中は熱量という目に見えないエネルギーのことでいっぱい。何か口にすると太ることになる、と誰がどう見てもガリガリの体で考えていた。14歳の時の体重は30kgくらいだっただろうか。

紆余曲折あり拒食はいまは克服したが、相変わらずうまく食べることができない。これは糖質の塊でこれは脂質の塊で、これは添加物山盛りで…と、食べるものには何かと気を遣ってしまう。
なんとか自分の中でこれくらいの量なら体重は増えもしなければ減りもしない、というラインを手探りで見つけてきたが、それも微妙なバランスで成り立っている。たまに胃腸の調子が悪いとか、疲れてるとか、何かしらの原因でいつものラインを達成できないこともよくあるから、そういう時は体の中に燃やすものがなくてバッタリ倒れ込んでしまうし、その瞬間の眠気はどうにも抗いようがない。脳の後ろから重い石板が倒れ込んでくるような睡魔に襲われる。
だから、外食というのは苦手だ。(よほどの量でなければ)食べ切ることはできたとしても、その後にまたもや強烈な眠気にノックアウトされる。「ごはんを食べたら元気が出る」という感覚は、わんぱくな小学生だった頃以来経験していないので、もうどんなものなのか分からなくなってしまった。
だから家で自分で作ったものを食べるくらいがちょうどいいし、自分でわかっているラインまで食べて、必ずくる眠気に負けたらそのまま寝れるのが安心する。
逆にいうとその自分の食の都合があるだけだから、だれかと食べるのは嫌いじゃないから、自分の家で調理でもしながら出来上がった食べ物を一緒に食べるというのが一番やりやすい。

せっかく食事に誘ってくれたのに断ってしまうことも多いので、ほんとうに申し訳ない。あなたのことが嫌いなわけでは決してないんだ。


眠る

大学受験の頃から不眠を抱え始めた。不眠といってもいろいろあるが、私は中途覚醒といって寝付いたとしても途中で目が覚めるパターンの不眠だ。受験中も4時くらいに目覚めては新聞配達員さんのバイクの音と朝刊がうちのポストに入る音を聞いていた。勉強しなくてはいけないので少しでも寝なければ、と思いながら、夢とうつつの間にある意識からその音をきいていた。

以来、12年間くらいは3時か4時くらいにほぼ必ず目が覚めて、そのうえ腹立たしいことに目覚めが抜群にいい方なので、夜中に覚醒してもそのまま立ち上がることができるほどだ。そこまできたら、もう一度寝るのが難しい。
どうせこの時間にシャキッと目が覚めてしまうのならと、豆腐屋さんで早朝仕事のアルバイトをしていたこともあったが長くは続かなかった。

そんな状態で朝が爽やかなはずがない。今もいちおう目覚ましをかけているが、実質数時間しか寝ていないのでその時刻通りに起きれることの方が少ない。起きれても、どこかのタイミングで5分でも10分でも仮眠を取らないとほんとうに倒れてしまう。

徹夜をしたことがある人ならわかるかもしれないけれど、めちゃくちゃに眠いところにお腹が減るとハチャメチャに機嫌が悪くなるし、だからといって何か食べると例の「脳の後ろから重い石板が倒れ込んでくるような睡魔」に押し倒されて、爆睡してしまうんじゃあないだろうか。

何も手段を講じてないわけではない。不眠に効くとされていることは全部試したが、結果は変わらないので全部やらなくなった。ついに睡眠薬をもらいに行くようにもなり、色々試したが今ひとつなので、飲んでも飲まなくてもほとんど同じことだ。

基本的には私にとっては、それがほぼ毎日のことだ。
寝れない、眠い、食べたら眠くなる、食べなかったら体が動かない。そしてまた振り出しにもどる。
抜け出したくてもこの連鎖から抜け出す見込みは、10数年経った今でもみえてはいない。

違うけれど、おそろい


こういう話をすると、生活リズムが悪いだけだ、怠惰なだけだ、偏食なだけだ、運動不足だ、とだけ私に言葉を残すひとも多い。
そう言ってきた人達の顔は全員覚えているが、ごくごく稀に、「私もそうだ」と言ってくれるひとがいる。

先日、とある助成金をいただくことになり、その研究者の集まりで少しだけ話をする機会があった。テーマは「食文化」に関するものだった。

私はその日も眠い頭をもたげて会場に行き、自分の研究のことを話した。
他のひとたちがスラスラとそれぞれの計画について話す中、私は何を話せばいいのかさっぱり思いつかず、とにかく思いつくままに話をした。

「食文化にフォーカスして研究ができるということは、食べることについてずっと悩んできた私にとって、とても嬉しいことです。」

めちゃくちゃに眠かったのでよく覚えていないが、そんな話からスピーチをした。

あがり症なのでぜんぜんダメダメなスピーチだったと自負していたが、その後の懇親会で話しかけてくれたひとがいた。そのひとも、私とは違うけれども、おそろいといっていいような悩みを抱えているらしかった。

自分たちが悩んでいること、それは多くの人からは悩みとして処理されないことのはずだと思う。違うポイントで引っ掛かっているから、お互いの傷を舐め合うというような話ではないけど、思い切って自分が食に関して持っている悩みを話せてよかった。
食べられないわけではない、「うまく食べられない」という悩みを抱えるのが自分ひとりじゃないんだと、匿名の誰かではなく顔がわかるひとがそこにいるのだとわかっただけで嬉しかった。

不眠についても似たような悩みをもっているひとがいた。
私は中途覚醒という症状だが、そのひとの症状は少し違うものだった。不眠症というのも千差万別だ。
このひととはそこそこの付き合いだが、お互いに睡眠に問題を抱えていると知ったのはつい最近だ。そりゃそうだ、お互い眠れていることがおおかたの人びとの前提なのだから、あえて聞くようなことではない。
このひとは私によくカモミールティーをくれる。寝つきが良くなるように本人もよく飲んでいるらしい。私にくれるよりも自分で飲んだ方がいいのでは、という気持ちはどこかにありつつも、この落ち着く味のハーブティーは悩んでいるのがひとりじゃないと確信させてくれる、お互いに「最近よく眠れなくて…」というレベルではない状態で日々生きているとおもわせてくれる味をしている。

息をする

ぜんぶ書ききれなかった、というよりもほとんど書いていないというほど、食と睡眠についての私の話をしてきた。


これを書いたところで何が解決するわけでもなく、この文章でだれかに共感してほしいとも思わなければ同情してほしいわけでもない。自分の状態を整理するためにと思って筆をとり始めたこの小文だが、書き終わるにあたって気がついたことがある。
おそろいの悩みがあるというひとたちが近くにいるというのは、間接的に支えになっている。そういうひとたちとは、お互いの悩み以外のことで、仲良くなっていきたいと思い始めているということだ。

今、春がようやく重い腰を上げてやってきている。桜が咲き澄んだ空気が漂っていても私の寝床が爽やかになるわけでもないが、待ち侘びた春の空気を吸って、どうにかこうにか生きていこう。




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