私の価値は
人の価値は何によって計られるのだろうか。
もしくはあなた自身の価値はどのようなものだろうか。考えたことはあるだろうか。
東京にいた頃、私の周りでは人の価値はおよそ年収とか働いている企業の地位とか、経済的にその人物がどれだけ優位に立っているかが重視されていたような気がする。そういう場(商学部)に身を置いていたから、当然といえば当然かもしれない。
今だって大して変わらない。研究者の価値はどれだけ論文を書いて、どれだけ業績があって、どれだけ本が売れて=名前が知れていて、という成果主義の中にある。
はっきり言って、その人がいかに人間的にダメであろうと、学者としてはすごい人だと評される。いかに研究会でセクハラ発言をキメても、いかに学生に無賃労働を強いても、いかに倫理的にアウトな発言をして相手を傷つけても、アンガーコントロールができなくて学生に八つ当たりしても、業績と立場があれば一流の研究者だ。そしてそういう実態を知らない人々からすれば、その人の著作やら論文やらがいかに優れているかだけが情報として流布する。
かつて、私はとある有名な研究者に自己紹介しようとしたら「どうせ名前なんて覚えないから自己紹介なんかしなくていい」と言われてブチギレたことがあった。衝動的にキレてしまったと当時思ったが、今考え直してみてもブチギレ案件だった。
業績が少ないから、何かの賞をもらったことがないから、収入が少ないから、立場がないから、ということで他人から私に関する評価を受けることや、逆にそれらを持つ人から一方的にその立場を振われることにはもう飽き飽きした。私にできることは、私がそれをしないことだ。
より多くを持てる者がより優れているという考え方はある意味では重要である。能力を持っている人は存分に発揮すべきだし、それが誰かのためになることだって多々ある。
それでも忘れたくないのは、持たざる者を無価値だと評価しないことだ。たくさん持ってるというただその事実だけで偉いと思いこむなんて前時代的にも程があるし、それを押し付ける権利は誰にもない。
だから、私が私の価値は私が決める。私にできることは、他の人にはできないことだし、逆もまた然りだ。
これは理想かもしれないが、理想として心の中にとどめておきたい。
と、「ひろがるスカイ!プリキュア」43話をみて思いましたとさ。
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