円い家
円い家。
今日、どんな文脈だったか、友達がその言葉を発した。
それまで完全に忘却の彼方に飛んでいた、ある記憶が蘇った。
それはあまりに遠くにありすぎて、一瞬、私の記憶だったのか、その場で思いついて生成された情景だったのかも分からなかった。
でも、じっくり脳の片隅の一縷の情景を探っていき、たどり着いた。それは紛れもなく私の記憶だった。
ゴツゴツした石造りの壁、しかし中は温もりのある木造りの内装、小さな幼稚園のような絵本と木のおもちゃが並ぶこども用のスペース。低めの天井だが閉塞感がない、広々としたゆとりのある空間。分厚めの木の戸棚には、私にとっては馴染み深そうで馴染みのない、真鍮のブッダらしき像があった。
外から見ると、確かに円形劇場のようにまんまるい。
丁寧に芝が刈られていて、ピザやパンなんかを焼くための窯もあった。そして、一体なんのために使うのかよく分からない、錆びた鉄製の道具たち。
ポルトガルとの国境にある、スペインのとある小さな村で、なんの前触れもなく訪れた私を迎え入れてくれた人が案内してくれた家だった。
それこそ絵本のような情景だった。
こんな世界の果てにも温かい暮らしがあるのだなと感動したことも思い出した。ちょうど今くらいの、寒い時期だった。寒くはあったが村はぼんやり温かく、ミモザの老木が渋く甘い香りを垂れ流していた。
私たちはすべてのことを覚えてはいられない。あんなに感動した光景でも、数年も経てば忘却の彼方。それを自分で拾ってくるのはとても難しい。
それでも、思い出すことができるのは自分以外のひとがそばにいるからだ。きっかけはどこからともなく、まさになんの前触れもなく降ってくる。
フィールドノートにも書き留めていない、断片にも満たない記憶。しかし紛れもなくそれは私の記憶だった。
感動した、その一瞬を忘れていなかった。それがとてもうれしかった。
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