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最近はいろんな手段で音楽を気軽に楽しめるようになったものだ。
スマホがあれば、各種サブスクリプションサービスから、好きな曲を聴ける。レンタルショップに行ってCDを借りるということも、めっきり減ってしまった。

それでも、私はウォークマンが大好きだ。

ウォークマンを初めて持ったのは13歳の時。お祝いでもらったのが最初だった。当時は音楽を聴くという習慣のなかった私にとって、いつでもどこでも音楽を聴けるツールというのが新鮮で、好きな音楽をパソコン経由でウォークマンに入れて、暇さえあれば聴いていたものだ。

今も、相変わらず私はウォークマンを使っている。私にとっての初代ウォークマンはすでに壊れてしまっていて、何回か買い替えたり、修理に出したりして使っている。
今の伴侶はそんなに高級なモデルではないが、自分の好きな音楽を詰め込んで持ち運ぶには十分だ。

調査中の気晴らしに、ふとウォークマンにイヤホンを挿す。
最近は、割と新しめの音楽を聴いていることが多かったが、初代ウォークマンの頃から持っている曲を久しぶりに聴くのも良い。ずいぶん久しぶりに聴くはずなのに、歌詞がすらすら出てくるから驚きである。一体、自分の頭のどこにそんな容量があったのだろう。

当時から、歌詞もリズムも変わらない音楽。
良い音楽は何年経っても良いものだ、というのは私の母の受け売りだが、その通りだと思う。何度聴いても飽きない。卑屈な私は、この名曲はずっと変わらないのに、私はずいぶん変わってしまったものだと、ちょっとセンチメンタルになったりする。

そして何より、スマホのように、一度開くとついでに何かをしてしまう、LINEを開いたりメールをチェックしたりということが無いのが良い。

完全に、音楽を聴くことだけに特化されたもの。
インターネットからも隔絶された、私をその世界に没入させてくれる、幼き頃の思い出すら蘇らせてくれる、魔法のような道具。

思えば、インターネットというものに私は繋がれすぎていたかもしれない。何をするにもインターネットに接続することになるし、それを当然だと思ってしまっていて疑いもしなくなっている。スマホ一台で、連絡を取り合うことも、ニュースをみることも、音楽を聴くこともできてしまう。
一台にいろんな機能がついているのは、便利なことも多い。しかし、音楽のことについて考えてみるほど、スマホでは私の愛する音楽に真正面から向き合えない気がしてならない。音楽を聴いているつもりが、何かしらの通知に遮られたり、別のことにスマホを使ってしまう。

自分の好きだけを詰め込んだ、自分の好きなものと真っ向から向き合えるもの。何者の介在もなく、それと向き合えるもの。それが私にとってのウォークマン。
ネットに繋がれていないということは、幸せをもたらすこともある。思い返せば、私の初代ウォークマンと一緒にいた時はネットに繋がれていないのが当たり前だったのだ。
もしかすると、当時の方が、真摯に自分の好きと向き合っていたのかもしれない。


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