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【連載小説】小五郎は逃げない 第6話

【15秒でストーリー解説】

明治維新を成し遂げた幕末の英雄・桂小五郎は、剣豪でもあった。「逃げの小五郎」と称された彼は、本当に逃げ続けた人生を送った人物だったのか。

後世に知れ渡る新選組の池田屋襲撃。そこに居合わせた桂は、命からがら脱出に成功したが、彼を匿った芸者・幾松を拉致され桂にも絶体絶命の危機に迫る。そこに意外な人物が現れ彼を助けた。桂はその人物と一匹の犬とともに、京の街を舞台に新選組50人と幾松奪還の戦いに挑む。

果たして彼を助け、共に戦った仲間とは誰なのか。そして剣豪・桂小五郎は最狂最悪の殺人集団・新選組から幾松を奪還することができるのか。

愛する女性のために・・・、桂小五郎は決して逃げない。

逃げの小五郎 6/6

「やつはどうする気だ。息が上がる前に、斬り合いを仕掛けてくると思ったが・・・。斬り合いになれば、多勢に無勢、息が上がってしまっていては、やつに勝ち目はない。それとも戦わずして、大人しく捕まるつもりなのか」
 永倉は心の中でつぶやきながら、桂の動向を伺っていた。その時だった。桂は急に足を止めて振り返った。抜刀はしていない。ただ走り寄って来る永倉たちを見ている。新選組隊士たちは、走りながら抜刀し臨戦態勢に入った。桂の姿が目前に迫っくると、永倉以下八名の隊士たちは桂を取り囲むべく散開を始めた。桂との距離はあと五メートル足らずに迫った。しかし、桂はそっと刀の柄に手をかけたかと思うと、鞘ごと腰から抜き取り、それをすぐ近くにある長屋の屋根の上に放り投げた。一つ大きな呼吸をすると、永倉の予想に反して、すぐ近くにあった路地へと走り込んだ。呆気にとられたのは、新選組隊士たちであった。

「刀を投げ捨てて逃げるとは、それでも武士かぁ」
隊士の一人が叫んだ。武士が武士の魂とも言われる刀を無碍に放り投げるなど、彼らには信じられない光景であった。それにも増して、このような恥ずべき行為を、堂々と見せつけるその男に対して、軽蔑と怒りの念が沸き上がってきた。
 桂が立ち止まったのは休息のためであった。例えば現代アスリートが、長時間の競技をやり続け体力が枯渇したとしても、ほんの一瞬、時間にして一秒足らずの休息を取るだけで、ある程度の体力を回復させることができる。桂はそれほどまでに高い身体能力を身に着けていた。

 隊士たちは路地に逃げ込んだ桂をさらに追走した。路地は狭く、隊士たちは一列横隊の状態になって追った。永倉は最後尾を行く。先頭の隊士は腕を伸ばせば桂の背中に手が届きそうだった。最初の角を曲がる。桂は難なく曲がっていくが、隊士たちは腰に差している刀が長屋の壁に当たって桂のように俊敏に角を曲がれない。桂は路地を抜けて通りに出たかと思うと、また違う路地に走り込む。角を曲がるたびに桂との距離が開いていった。
「刀を抜いて、手に持って走れ」
 永倉は後方から隊士たちに大声で指示を出した。しかし、その指示も少し遅かった。路地の角を曲がっていたはずであろう桂の姿が、先頭の隊士の視界から消えていた。

「このまま逃げ切ることができる」
 桂が心の中でそう念じた、その時であった。路地を抜けて通りに出たところに、鬼の形相の斎藤が立ちはだかっていた。桂を見るや否や、桂の胴に向けて一刀を放った。丸腰の桂は後方にのけぞって何とかそれをかわした。
 振りぬいた斎藤の刀の切っ先が、わずかに上を向いていることを桂は見逃さなかった。次に相手は上段から振り降ろしてくると桂は読んだ。斎藤はその通りの太刀筋で迫って来る。斎藤の斬撃が予想以上に早い。しかし、これも何とかかわした。次の斎藤の太刀筋が読めない。斎藤は刀の重さを利用して、前に踏み出すスピードを増してくる。後ずさりする桂には分が悪い。次の一刀は間違いなくかわせない。そう悟った桂は右足を大きく後ろに踏み出し、後方に下がるのではなく、斎藤の懐に猛然と飛び込んだ。斎藤の斬撃か早いか、桂の反射神経が早いか、一瞬の賭けだった。桂は間一髪のところで斎藤の刀の軌道内に飛び込み、桂が斎藤に覆いかぶさるようにして、二人は地面に倒れこんだ。斎藤は嫌というほど地面に後頭部を叩きつけられ、脳震盪を起こして目の前が真っ暗になった。

「実にまずい。追いつかれたか」
 路地から抜け出してきて、桂に向かって疾走してくる追手が目前に迫っていた。桂が走り出そうと立ち上がったが、足が前に出ない。なんと意識朦朧のはずの斎藤が、右腕で桂の袴の裾をしっかりと握っている。桂は右足で斎藤の右腕を蹴り飛ばして走り出したが、追手の一人が桂に向かって飛びかかり、桂の腰にしがみついた。桂は右腕の肘で後ろ手に追手のこめかみを殴打し、後方に跳ね飛ばした。しかし、追手は一列横隊で次々に迫って来る。こうなれば遮二無二に走るしかない。形振り構わず桂は走り出した。しかし、無数の足音と怒号が桂の背中のすぐ後方から聞こえてくる。
「もはやここまでか」
 桂は全力で走りながらも、その心は諦めの境地に至ろうとしていた。

「こんなところで、死ぬわけにはいかん。生き延びて、成すべきことが山ほどある」
 桂は言う事を聞かなくなってきた体を鼓舞して走った。しかし、追手たちは手を伸ばせば届きそうなところに迫っている。桂はふとお足元を見ると、大きな川を渡る橋の上を走っていることに気付いた。鴨川であった。鴨川の水深は人の膝から腰くらいまでしかないのだが、この二日間降り続いた大雨の影響で増水していた。桂は全力で走りながら、頭から欄干を飛び変えて、濁流と化した鴨川へ飛び込んだ。新選組の追手たちは、さすがに濁流の中に刀を付けたまま飛び込むことを躊躇し、だれも飛び込もうとしなかった。

「川沿いに追え」
永倉は隊士たちに鴨川の両岸に分かれ桂を追うように指示したが、濁流に紛れて姿がわかり辛い。隊士たちは闇雲に走ったがやがて桂の姿を見失った。
 濁流に飲み込まれた桂は、ただ息継ぎをするためだけに黄土色に汚れた水の中でもがき続けた。桂が飛び込んだ橋は三条大橋だった。三条大橋から飛び込んだ位置が川幅の中央辺りだったため、泳いで岸に辿り着くことなどとてもできなかった。このことが幸いして追手が桂を見失ってしまったのだが、このまま溺死してしまっては何の意味もない。とにもかくにも、いつ終わるともわからず桂はもがき続けた。沈みかけては両腕両足をばたつかせて一瞬だけ鼻と口を水面上に突き出し、息を吸ったと思えば、また水の中に引きずり込まれた。この動作を繰り返して呼吸を確保したが、次第に体力を奪われていった。走り続けて疲労した足は、次第に言う事を聞かなくなってきた。一回でも息継ぎをし損ねてしまうと、意識を失ってしまうような苦しみが襲ってくる。それが何度も続くと、死の恐怖がさらに手足を硬直させる。息継ぎをする間隔が次第に長くなってきているが、視界には岸など全く入って来ない。
「ここまでか、私はまだ志を何も成し遂げていない。ただ逃げ続けた挙句に、この末路なのか。松陰先生・・・」
 桂は力尽きようとしていた。もう身体に力が入らない。最後に一度だけ手足をばたつかせ、身体が水面に押し上げた。これがこの世での最後の呼吸になるかもしれない。すっと息を吸った時、空の上から桂の目の前に垂れ下がる一本の縄が見えた。桂は夢中でその縄にしがみついた。

<続く……>

<前回のお話はこちら>


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