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高村智恵子〜Re.智恵子抄〜

この手帳に、これからわたしはわたしの頭が清澄な時に日記をつけていくことにします。
コタロウ※さんには内緒なのです。
見られたら、とてもとても恥ずかしいから。
※彫刻家、高村光太郎。智恵子の夫

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1936.3.1
わたしは自分で自分の頭や気持ちや精神が、いつからバラバラに解けてしまったか覚えていない。
気づいたら風に舞うたんぽぽの綿毛のように散っていた。
それをコタロウさんやお医者様は治そうとなさって、狂乱に喘いでいたかと思えば、土のように黙り込むわたしを哀れに眺めます。けれどわたしはわたしの現実を、それほど悲観してはいないのです。だからそんな目でわたしを眺る(ながむる)のはよしてください。


1936.3.16
わたしの脳内を襲う激しいプリズムは、万華鏡のように美しい。それを手帳に描き留めるのは、珍しい虫をピンで刺して収集するのに似ています。あとで眺めて、独り満足するのです。
お医者様はわたしの頭が狂ってしまったと仰るけれど、わたしは花や蝶や風に一時頭を貸して、そこは束の間の野原となり、代わりにわたしはその様をスケッチするのです。
精神病院に入れられて、どこにも行けないわたしだけれど、自由な野原はまさに、狂ったわたしの頭の中にこそあるのです。そこに吹く、優しい風と甲高い鳥の囀りをあぁ、コタロウさんにも聴かせてあげたい。
2人で野原に座り空を眺めたい。
そうすれば、わたしの言う"ほんとの空"がどんなものかわかってもらえるのに。


1936.4.2
今日、コタロウさんが病室に来て、色々とお話をしてくださった。コタロウさんによれば、わたしがおかしくなったのは、今から5年ほど前、45歳頃のことらしい。
最近では自分の年齢などすっかり数えなくなっていたから、自分が50年も生きているということが驚きです。
一体こんなに長生きするのは、くじらくらいじゃないかしら。くじらは海という無重力に浮かぶ飛行船ゆえ、長くたゆたえるのであって、重力を背負った陸上に生きる生き物は、本来も少し、早く死ぬるが普通のように思うのです。
だからわたしはこれから自分を重力を忘れた陸(おか)のくじらだと思うことにします。コタロウさんを背に乗せて、尾鰭で風を叩いて空へ昇り、反転して雲にダイブする。その時あがる、雲の飛沫をコタロウさんと眺めたい。
あぁわたしの清澄な脳のある一部分には金の縁取りがなされた小さな金庫があって、コタロウさんへの恋文がしまってあるのです。それは、わたしがおかしくなる前の恋文で、わたしは決してその金庫を開けないのです。
開けてしまったら、たちまち、今のわたしの言葉に金庫の言葉は侵されてしまうから。
わたしは今の自分を否定しないけど、コタロウさんに痛いほど抱きしめられていたいつかの自分を誇りに思うのです。その誇りが今のわたしを動かすのです。


1936.5.--
父が亡くなり、裕福と思っていた実家が破産し、帰る場所がなくなってしまったことがこの病を引き起こしたのだと、お医者様は言います。
女学生時代に受けた試験のように理由を述べよというならそうかもしれません。けれどそれはわたしの人生という大きな物語全体から見れば違うように思うのです。
天気が良いと病室から遠く、富士が見えます。
でも、富士はどこから富士なのでしょう。
金剛杖と錫をシャンシャン鳴らし、登り始める登山道の入り口からでしょうか。
遠く眺(ながむ)れば、ドレスのように広がった裾野のどこからが富士か、その全てが富士か、そもそも富士など存在せず、陸地の高低差の極端な例の一部に過ぎないのか、誰にもわからないのです。それと同じ、わたしの変化も何かに原因づけられることではないのです。
大いなる、わたしの人生の起伏の1つです。
だからわたしは時折り泣いたり、その斜面から転げ落ちて笑ったり、そうやってただ今という一瞬を生きるだけなのです。そこに意味などあるでしょうか。
若い頃は自分のやることに意味を求めていたけれど、蝶が飛ぶことに意味を求めぬよう、今のわたしにも意味は不要です。少女の頃、長い廊下で永遠に繰り返したでんぐり返し。わたしは今なお、寂しいでんぐり返しをやめられずにいます。


1936.5.ああああ!
あ!
あ!
あー。
ああ、全部ダメになってしまった。
本当にそう思う。
コタロウさんが、智恵子は可哀想だって言うから。
そんな言葉でわたしの髪を撫でないで。
お願いわたしはあなたの自尊心や優しさを証明するドールじゃない。あなたの妻なのよ。
抱きしめてもらうことに、一雫でも憐憫が混じっていたなら、抱きしめられる、その手から上がる業火にわたしの体は灰になるでしょう。
コタロウさん、だからあなたが小一時間ほど前、抱きしめていたのは、わたしの塵芥です。
病院に入れられて、普通の生活はしていけないと烙印を押されたわたしであるから、贅沢は言わないし、甘んじてその烙印を額に受けるつもりでいるけれど、あなたの妻であることのプライドまで捨てたつもりはないのです。だのに、こともあろうか、あなた自身がそのプライドを踏み潰そうとするとは。コタロウさん、見えませんか、わたしのあなたへの敬意と恋慕が。忘れてしまいましたか、わたしがこうなる前、贈った花を。
わたしとあなたは、お互いへの敬意で繋がっていると信じていたのはわたしの幻想ですか。


1936.7.6
暑い日が続きます。
ずっと団扇を仰いでいます。
これも生きてあることの辛苦でしょうか。
わたしはもういつだって死んで良いのだけれど、たった一つ何か、コタロウさんに恩返ししたいと思うのです。たくさん迷惑をかけてしまったから。
贈った忘れな草の代わりの、今度は枯れない何かを。


1936.7.12
コタロウさんと部屋で話す。
とても嬉しかった。
穏やかな時間で、コタロウさんとそういう風に話している時、わたしは自分が全く正常なんじゃないかと思う。
だから思わずコタロウさんが部屋を出る時、一緒についていきそうになり、その時のコタロウさんの困った顔で、現実に頬を横殴りにされる。
どんな楽しくお喋りしたって、わたしはこの部屋から出られない。コタロウさんが次来てくださるのはいつかしら。
コタロウさんが帰ってから、また扇子を仰いで過ごす。
何もない。
白く、眩しい夏だけ、わたしの前に横たわっている。
死神よ、その鎌を振りかざすなら今よ。
だって今ならこんなにも、輝く太陽のシーツに首を転がせる。


1936.8.3
最近、切り絵をしている。
コタロウさんが千代紙を持ってきてくれたから。
切り絵で色んなものを作るのは楽しい。

切り絵「青い魚と花」
切り絵「くだものかご」

色彩はわたしの救いだ。
かつて、コタロウさんの『緑の太陽』を読んで好きになった。色彩は自由だ。頭がおかしくなってもわたしの色彩はわたしの手のひらの中にある。その色をコタロウさんは愛で、褒めてくれる。わたしが猫なら、わたしの切り絵を持つその手の甲に、ぐりぐり額をこすりつけるのに。猫じゃないわたしはただもじもじと、手を擦り合わせるだけ。
あぁ、緊張じゃない、恥ずかしいからじゃない、あなたをお慕いしているからです。コタロウさんはとても頭が良いのに時々意地悪なほど、鈍感なのです。
コタロウさん、コタロウさんは以前より随分、優しくなられましたね。でも知っているんですよ。それはコタロウさんが、わたしの頭が常におかしくなっていると思っているからだと。だから刺激しないよう、笑って受け止めているのだと。
そんなことないのに。
わたしはそう思われていることが、何よりも口惜しいのです。
あなたを想う言葉を吐いたすぐ後で、家に伝わる短刀にて、この胸を突いたらば、誠が伝わりますか。


1936.8.21
ずっと病室の天井を見て過ごす。
草原に立ち込める霧の向こうにある記憶を思い出していました。
コタロウさんと初めて会った時のこと。
わたしは25歳で、油絵の画家を目指しながら、平塚らいてうさんの『青踏』の表紙なんかを描かせてもらっていました。

平塚らいてうは智恵子の女学校時代の同級生

コタロウさんは3つ歳上で、西洋帰りで、背が高くて、眼鏡がお茶目で、物静かで、隣りにいるとそのまま眠くなるような安心感がありました。

智恵子と光太郎

この人のそばで、この人の芸術を支えながら、わたしも一緒に昇って行きたい。2匹の絡み合う龍のように。
そう願った冬の日。
お金がなくて生活は大変だったし、すぐに籍も入れられなかったけれど、コタロウさんと共に過ごせるだけでわたしの心臓は赤く光っていました。
お野菜が安いお店を探し、お味噌汁を作った。だし巻き卵はコタロウさんの好みで砂糖を入れるのをやめて、甘くないやつにした。油絵を描く時間は減ったけど、大丈夫だと思った。コタロウさんといれば大丈夫。
そう信じたことを、今も正しいと思っています。
そう信じた自分を、今も誇りに思っています。
わたしを愚かだったと言う人よ、ならば連れてきて欲しい。コタロウさんよりわたしの心臓を赤く鳴らせる誰かを。


1936.10.17
切り絵がだいぶ溜まってきた。
コタロウさんが、今度、智恵子の切り絵の展覧会をやろうと言ってくださる。
嬉しい、嬉しい。ただただ、嬉しい。
最近は、頭がちゃんとしている時間が減ってきてしまって、あなたが誰かも分からず、あなたを困らせ、失望させてしまっているけれど、わたしは世界の誰よりあなたに認められ、褒められることが嬉しいのです。
どうかそれだけは、知っておいてください。


1936.10.28
談話室でコタロウさんとウトウトした。
話していたら、寝てしまって、気づいたら、コタロウさんも横で寝ていた。その微かな寝息に耳を澄ませる瞬間、わたし達は、真空に浮かぶ2匹のくじらだ。
それで、寝る前、何を話していたかというと、上高地まで、わたしがコタロウさんを追いかけていった時のこと。出会って1年くらいだったと思う。取材旅行に出てしまったコタロウさんを追いかけて、わたしは上高地へ向かったのだ。そうしないと、もう2度と会えない気がしたから。
若気の至りだったとは思うけれど、上高地へ向かう汽車の中で、わたしはコタロウさんと共に生きていく決意をした。
化粧もせで、アトリエに現れたわたしを見て、コタロウさんは驚いた顔をしたけれど、よく来たねと両手を広げてくれた。その時の両手の温かさと深さに今もわたしは包まれている。


1937.1.3
お正月。
お母様の雑煮を思い出す。
門松の切り絵でも作ろうかしらとら思ったけれど、1日、体、怠く動かず。
お医者様より、無理はしないように言われる。
午後からコタロウさんが来たけれど、無性に悲しくて、わんわん泣いてしまう。こんな犬のように物の通じぬ女、コタロウさんも嫌だろう。わたしだって嫌だ。でもどうしようもないのです。涙は今のわたしの精一杯の言葉なのです。


1937.2.19
コタロウさんと喧嘩す。
コタロウさんが帰った後、激しく後悔。
消えてなくなりたい。
けれど、前に服薬自殺を図った際、2度とするなと怒られたので、消えることもできない。
喧嘩の理由は切り絵だ。
コタロウさんが勧めてくれた切り絵。そのことで喧嘩するなんて。それがまた悔しく、悲しい。
わたしは最近、頭がぼーっとしていて、作品が作れないのです。鋏を握ると自分の指を切ってしまいそうで。
だから切り絵はお休みしているのだけれど、コタロウさんは、それでも少しはやってみたらどうだと言う。
あまり何もしないのも、体に毒だと言う。
わたしは疲れていて、切り絵は今はできないのだと、必死に伝えたけれど、病院にいるだけなのに、何を疲れるのだと。それを聞いて、悲しくて泣いてしまった。
なぜ、そのようなことを言うのか。
真実、この人は、わたしがお慕いした人と同じ人だろうか。
油絵の代わりに、今度は切り絵を頑張ればいいと言う。
それは、励ましたつもりか。
あなたが芸術家なら、わたしも芸術家だ。
あなたと共になる時交わした、たった1つの誓いすら忘れたか。
わたしの油絵が、スランプになっていたのは確かだけれど、あなたにわたしの画家としての命を区切られる覚えはない。仮に、あなたが今のわたしの切り絵を、油絵の代わりと思っているなら、全て窓から捨ててやる。

智恵子の油絵「ヒヤシンス」

何故わたしがこんなに怒るのか。
わたしは妻として、それ以上に芸術家として、対等にあなたの隣りにいたいのです。
わたしはあなたがわたしを1人の芸術家として尊重してくれるなら、血を吐こうが、切り絵をしてみせるでしょう。そのまま死ねと言われたら、喜んで鋏を握りしめて死にましょう。その覚悟はいつだってわたしの中にあるのに。わたしのあなたへの誠実を侮らないでください。
だからこそ、怒り、失望するのです。
そんなつもりではなかったと、あなたは謝り、しょぼんとして帰ってしまった。その後ろ姿を見送った後の猛烈なる自己嫌悪。世間の何の役にも立たない人間が、偉そうに、1番そばで支えてくれる人に何を言う。
今宵わたしが死ねば、コタロウさんは楽になるかしら。
そのことばかり考える。


1937.4--
桜が窓から見える。
コタロウさんが桜の花びらを持ってきてくれた。
それをスケッチする。
光の当たり方で微妙に色を変える花びらは、描いてて飽きない。
視線を感じて振り向くと、コタロウさんがわたしを眺めてデッサンしていた。
スケッチブックを覗くと、痩せて左肩の下がった女の後ろ姿があった。
もっと綺麗に描いてよとふざけて言ったら、僕は芸術の神に誠実なんだと言われ、やはりこの人が好きだと思う。
その気持ちをどう伝えたらいいかわからず、そのあと、うまくお喋りできなかった。あぁあ、残念。
コタロウさんが帰ってしまってからは体、動かず、寝て過ごす。


1937.7.5
コタロウさん、いつまでわたしをここに置いておく気ですか。
死ぬまでですか。
わたしは、あなたのそばにいたいです。
いつも、今も。
そう願うことは、傲慢ですか。
もしそうなら、今すぐわたしを殺してください。
わたしを、あなたが好きになったわたしのままで、死なせてください。
完全に正気を失った、わたしの抜け殻を虚ろな目で愛でるあなたを、わたしは許せないのです。1ミリの嘘なく、あなたを慕い続けた、わたし自身の誇りにおいて。


1937.7.7
結核が死因の第一位らしい。
わたしも小さな頃、結核をしているので、それで死ぬのではないかと思う。


1937.9.2
支那で起きた戦争が長引いているらしい。
コタロウさんは、それについて盛んに何か話していた。
難しくてよくわからない。
わたしは、せっかくコタロウさんといられる時間を、こんな話で潰したくない。
智恵子は病院にいるから、世の中のことがわからないのだと言う。そうかもしれません。でもこれだけはわかります。戦争の話をする時のコタロウさんを、わたしはあまり好きじゃありません。
そう言ったら、コタロウさんは一瞬驚いた顔して、困ったように笑った。その顔が、いつものコタロウさんで安心した。
領土が欲しいならあげればいいじゃない。
お願いだからわたしの好きなコタロウさんを奪わないで。


1937.11.28
気分の良い時に、集中して、紅葉の切り絵を沢山作っている。何にもならないけれど、わたしがコタロウさんに遺せるもの。
時間が惜しい。足りない。もっとあなたと居たいし、もっと作りたい。わたしが見ている色をあなたに知って欲しい。
いつも大切なことに気づくのは、大切なことを大切にするには余りにも時間がなくなってから。
マッコウクジラは眠る時、海の中で垂直になって回転するらしい。あぁわたしも、コタロウさんと並んで海の中に立ったまま眠りたい。


1938.2--
最近は怠くて咳も止まらない。
小さい時罹った結核がぶり返しているらしい。
コタロウさんにも会えない。
悲しい、寂しい。
人はなぜ、愛しい人と出会うのだろう。
こうして苦しむためなら、最初から出会わなければ良かった。


1938.6--
半年ぶりくらいにコタロウさんに会えた。
ホッとして、泣いてしまった。
最近、涙脆くてダメだ。
夜、嘔吐。幻覚やまず。コタロウさんが心配して来てくれようとするが、断る。


1938.8.24
切り絵を整理して缶にまとめた。
もう、作れないと思うから、鋏も返した。
1人で旅立つ準備をしている。
今まで、コタロウさんに沢山助けてもらって、コタロウさんの後ろをついていけば安心だったけど、今回だけは、ちゃんと1人で行くから安心して。
泣かないで欲しいなぁ。
だってわたし、本当に幸せだったから。

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1938年、10月。
肺結核のため、高村智恵子死去。
享年、52歳。
亡くなる直前の数年で、千数百もの切り絵を残した。
智恵子の死後、夫、高村光太郎は『智恵子抄』を発表。その死を悼んだ(終)

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