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2002年からの武術エッセイ

武術の身体というものは、動き出したら止まらない。
何か、身体の一部のバランスがちょっと崩れただけで、全身が動き出す。
いや、動き出すというよりは転がり出すと言ったほうがいいだろう。

武術の身体が立っているということは、からだの各部分がお互いに反対方向に崩れようとすることによって均等なバランスを保っているということだ。
したがって、そこに外的な圧力が加われば、一瞬にしてそのバランスは崩れ、その崩れる勢いのなかで、さらにバランスを保とうとすると、まるでボールが転がるように身体が動きながら、いろいろな作用を生み出していく。

これは技を使っているのではなく、技が発露しているのである。

武術において、止まっていると言うことは、動きがお互いの動きを消している結果として止まっているのだ。
「静の中に動あり」とはこのことを言う。

ボールが転がり続けていくためには、中心が動き続けなければならない。
どっしりと腹を据えることなど、武術においては「居着く」ことにしかならない。
人体の中心が腹であるならば、腹がまず動くこと。
手足が先に動くと言うことは、ボールの中心を置き去りにして、その外郭が動くことに等しい。外郭が中心を置き去りにして動くならば、ボールはつぶれるだけである。

そして、腹は一定の位置で安定して移動することが大切だ。
ボールの中心が不安定なら、これは、きちんとした球体でないと言える。
正確な球体ならば、ころころところがっていくが、ぶかっこうな球体ならば、地面との摩擦が生じ、スムーズに転がっていかない。
これをむりやり転がそうとするならば、筋力とスタミナが必要だ。
弱い力と少ない労力しかなくても、正確な球体をしたボールならば、楽に長く転がしつづけることができる。

中心が一定の位置を保ち続けながら動く。
これを「動の中に静あり」と言う。

恐れず、ためらわず、相手の力を受けて無心に、あるいは無邪気に転がっていく。
そんなボールのような身体を作っていくのが武術です。

しかし、ボールのように肥れといっているわけではないので、くれぐれもご注意ください。

2005年3月記す。

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