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rintyuと申します。新潟県見附市在住。 年齢 59歳 職業 接骨院・カイロプラクテ…

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rintyuと申します。新潟県見附市在住。 年齢 59歳 職業 接骨院・カイロプラクティック整体院経営 柔道整復師・カイロプラクター 趣味 武術 武術歴39年

最近の記事

2002年からの武術エッセイ

市井に散らばる武林の人達よ。 理屈をならべることしか、にんげんのこころとからだの動きを説明できない世界からは、はなれていることにしませんか? もう、へりくつも、ことばの定義も物理の公式も、師から弟子に伝えられるこころとからだからゆたかにかもしだされる技に比べれば、いつもほんの一部分でしかないことをはっきりと言ってもいいころではないかとおもうんです。 うすっぺらな雑誌の記事を切り取ったような技、理屈、プライド、そんなものボロボロとはがれおちていく厚化粧のようなものです。

    • 2002年からの武術エッセイ

      技というものは道具だとおもうんです。 おもちゃやフィギアのように、ひととくらべたり自慢したるするもんじゃない。 かっこいいとかわるいとか、古いとか新しいとか、嫡流か傍流か、そんなことは二の次です。 ようは便利かどうか、使い勝手がいいかどうかの問題でしょ。 大工ならのこぎりでもかんなでも自分の手になじむうように工夫して使っているでしょ。 それとおんなじです。 いろんな道具を集めたって、自分がつかいこなせなきゃ意味がない。 それよりは、少ない道具で、こうも使えるし、ああも使え

      • 私の歴史~~武術に憑りつかれた男42

        それにしても困った。 太極拳と少林拳を自分の体の中で同居させなければならない。 片方は力を抜けと教えられ、片方は力いっぱいやれと教えられ、どうにも中途半端になりそうだ。 まあ、しかし、先生の言われる通り、套路を憶えることが最優先だと思い、細かいことは気にしないことにした。

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        • 2002年からの武術エッセイ

          こころをまんなかに置くってことはむずかしいことです。 相手の肩がぴくっと動いただけで、あるいはローキックのうごきをみせただけで、あるいはフェイントでステップインとかしただけで、目はそれをとらえ、こころは感じ、これからどううごくだろうと考え、右、左、上、下とちいさなところにくっついてしまいます。 このとき、こころはおおきなはたらきができません。 ちいさなはたらきしかできず、あいてもちいさなはたらきしかできなくなります。 それでは技がでてこない。 あいてにちいさなはたらきを

        2002年からの武術エッセイ

          私の歴史~~武術に憑りつかれた男41

          礼式が終わって次は套路の解説だ。 「はい、この金鷹拳はね、鷹の拳法だからね、空を飛んでいる鷹が獲物に襲い掛かるようなイメージで行う。」 「まず、受けね。受けはこんなふうにひねってグッと、そんでもって突きはこう。突くときは相手に当てる瞬間にグッといく。それまでは力みを捨ててリラックス。当てるときはグッと!ね。」 「それじゃあ、一通りやってみせようか。」

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          私の歴史~~武術に憑りつかれた男41

          2002年からの武術エッセイ

          武術をやりたいと思って、ずっとやりつづけてきました。 なぜかというと、べつに悟りたいとかじゃなく、サムライのようになりたいとかじゃなく、ひとをびっくりさせたかったからです。 なにをやってもうまくいかないじぶん。 なにをやっても不器用で、いつもひとに負けていたじぶん。 そんなじぶんがいやで、なさけなくてきらいでした。 でも、そんな自分じゃいやだったから、ずっとひとからばかにされているのがいやだったから、ひとがびっくりするくらい強くなりたい、ひとがまねできないほど、びっくりする

          2002年からの武術エッセイ

          「願立剣術物語」を読んでみました。

          原文 柳の風になびくに似たり。 その根っこあしありて能く土にからみ本動かず。 性備わって梢にまでひとしくもるる処なし。 人の中央は腹なり。 腹動かずこれ土なり。 腹腰は梢の風になびくことなし。 我知らず所作を継ぐことなし。 解釈 柳が風になびくことに例える。 その根はよく土にからみ動かない。 木の性質は備わっていて、例外の場所はない。 人の中心は腹である。 腹が動かないように土にはった根のようにする。 腹と腰は柳の枝のように風になびくことはない。 全ての動きは意識しなく

          「願立剣術物語」を読んでみました。

          「願立剣術物語」を読んでみました。

          原文 移り写すということ。 分かれるときは二つにして本はひとつなり。 敵の鏡移すと味方の鏡写すとの二つなり。 理をいうときはしかなり。 所作あらわして見るは知恵分別の曇り鏡に覆って忽ち土の鏡となり。 移れども見ず。 写せどもうつらず。 弁舌ばかりにて用にたたず。 理は無尽蔵なり。 理にかかわらず私の才覚を止め、ひたすらに稽古を専らに 行うこと肝要なり。 解釈 移り写すということ。 この二つは理屈では二つであるが、根本的には同じことだ。 自分の鏡に敵を移すということ、自分

          「願立剣術物語」を読んでみました。

          2002年からの武術エッセイ

          伝統武術を学んで、キックボクサーやグレイシーになっちゃう人、型だけいっぱい集めて歴史研究家になっちゃう人、あるいは、技をいっぱい知ってるからといって、それで本当に闘えると考えてオタクになっちゃう人、だいたいこんなとこにわかれちゃうんですよね。 それはそれでいいとは思うんですが、そこから先の世界があるってこと、なんでわかんないのでしょうか。 なんでそこで満足しちゃって、そこから先に進もうとしないの? 不思議でしょうがないんですよ。 武術を使うってことは、そんなステップやリズ

          2002年からの武術エッセイ

          「願立剣術物語」を読んでみました。

          原文 我に我を滅ぼす悪あり。 善あり。 悪は善に負けやすし。 この負けやすき悪をたのみ我が大将とするゆえに 我が善我が悪を亡ぼすなり。 敵の善に亡ぼされるる物ならばその隠れ家もあらん。 善悪我にあるゆえに山の奥水のそこまでも悪を亡ぼす 敵の来ずという事なし。 恐るべし恐るべし。 解釈  自分の中には自分を亡ぼす悪もあれば善もある。 悪は善に負けやすい。 この負けやすい悪をたのみにして物事を行うがゆえに 自分の善が悪にブレーキをかけるのである。 敵の善が我が悪を亡ぼそうと

          「願立剣術物語」を読んでみました。

          2002年からの武術エッセイ

          水は人の体を浮かべ、からだが動くのを助ける。 足腰に障害があっても、水のなかでは体が浮こうとするので動きやすい。 水はことのほか柔らかく、体の動きをゆるやかに軽やかにする。 力を抜いて浮力に逆らわなければ、水は動きを受け入れ、人の動きをたすける。 しかし、強い力で動こうとするならば、その力は水に抵抗感を与える。 力んで動けば動こうとするほど、速く動こうとからだに力をこめればこめるほど、水はその動きに負荷を与える。 まして、水のなかに飛び込もうとするならば、水は体に衝撃すら

          2002年からの武術エッセイ

          2002年からの武術エッセイ

          限りもなく果てしも無い世界なんです。 武術の目指すところは・・・。 どんなに頑張ったって無理なんです。 たどりつくことは・・・・。 承知しても、あきらめずに追いかけてしまいます。 だって、面白いじゃないですか。 力の弱い人間が力が弱いまま力の強い人間に勝てるなんて・・・。 根性!根性!ド根性!で若いころから鍛えられてきた人は、弱いから強い奴に負けたんだって思うでしょ?だから、強い人より強くなって勝つんだ!と、さらに根性出して鍛えるわけじゃないですか。 その結論は、やはり

          2002年からの武術エッセイ

          「願立剣術物語」を読んでみました。

          原文 敵と味方の間大河にたとえり。 この河を越す事舟なくてはかなわず。 舟はこの兵法の道なり。 舟の自由は櫂の左右へ動くゆえぞ。 教えの道一つ二三四五つと行くは櫂の動くごとし。 向こうへ行かんためなり。 少しも滞ることなく浪の動きに連れて舟の随うに似たり。 水をはなれては自由ならず。 水は心なり。 舟は體なり。 櫂は手足なり。 解釈 敵と我の間を大河にたとえよう。 この河を渡るには船が必要だ。 舟は、武術の技だ。 舟が自在に動くのは櫂が左右に動くからだ。 習った技が次か

          「願立剣術物語」を読んでみました。

          2002年からの武術エッセイ

          ちょっと考えたんですが、やはり心を意識しないためには、心が最初から流れていなければならないと思うんです。 相手と向かい合ってからでは遅すぎるんじゃないかと・・・・。 最初っから流れていればいいと思うんです。 河って飲み込んだり流したりするじゃないですか。 その飲み込むものを目の前にして初めて流れるわけじゃない。 流すものを目の前にして初めて流れるわけじゃない。 そうしょ? 飲み込むだの流すだのと言っても、最初っから流れているわけで、相手と向かい合ってからはじめて流れるわけで

          2002年からの武術エッセイ

          「願立剣術物語」を読んで見ました。

          原文 小利大損という事あり。 敵ひらりと上を打たんと見せればその小利の一方へつき九方闇と成り、 しかもその一方の上も中り下も中るなり。 利も損もなく小利の一方へ着かずは十方明らかなり。 ただ時々刻々に我独り立ち上がって見よ。 今の今を行くより外なし。 解釈 小さな利益を追って大きな損を得るということがある。 敵がひらりと上を打とうと見せると、その動きに心が執着し、その他の所は目が行かなくなる。 しかも、その上につられて下に隙ができれば、そこを打たれ、そこに気が行けば、さ

          「願立剣術物語」を読んで見ました。

          私の歴史~~武術に憑りつかれた男40

          将棋の番組が終わったらしく、先生が戻ってこられた。 「おい、ど~だね。礼式おぼえたかね~?」 「はい、なんとか憶えました。」 「この少林拳の礼式ってさ、ちゃんと意味があってね。左で拳を握るだろ、これ漢字の『日』ね。そしてこの右手の手刀、これ『月』ね。合わせて『明』だ。」

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          私の歴史~~武術に憑りつかれた男40