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2002年からの武術エッセイ

「一器多用」・・・・。

どんな屁理屈を並べても、正統ななんとかとか、正伝とか、秘伝とか言っても、結局はここに戻らざるをえないのです。

外国人の格闘家に「SAMURAIスピリット」などという称号を与え、「蒼い目のサムライ」などともてはやしますが、それは何を根拠にしているのでしょう?

K-1のアンディー・フグ、極真のフランシスコ・フィリオに「サムライ」を感じ、彼らこそが「サムライ」の遺伝子を継ぐものだなどと囃したてる。

その理由は何か?

私は彼らの得意技の見事さにあると思う。

たとえば、アンディ-の「踵落とし」、フィリオの必殺フック、一撃で相手をしとめる威力を持ち、いろいろな相手が来ても、それ一発で相手は戦意を喪失し、マットに沈むことになる。

日本人はこういった得意技を持つ人たちに対して、日本人の心、サムライの心を感じる。

なぜか?

それは、「一器多用」だから・・・。


それは日本人の文化には「一器多用」ということが、根底にあるからだ。
2004年10月記す。

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