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2002年からの武術エッセイ

ちょっと考えたんですが、やはり心を意識しないためには、心が最初から流れていなければならないと思うんです。
相手と向かい合ってからでは遅すぎるんじゃないかと・・・・。
最初っから流れていればいいと思うんです。

河って飲み込んだり流したりするじゃないですか。
その飲み込むものを目の前にして初めて流れるわけじゃない。
流すものを目の前にして初めて流れるわけじゃない。
そうしょ?
飲み込むだの流すだのと言っても、最初っから流れているわけで、相手と向かい合ってからはじめて流れるわけではなくて、相手がそこにいれば、自動的に飲み込んだり流したりしてしまうわけで、意識で準備してそれから動くわけじゃない。
相手と向かい合う前に、すでに流れているから心なんて意識しなくてもいいんです。

ただ、河が流れつづけているためには、意識してその流れる条件を整えなければならない。
これが無意識に整うか、それとも意識的か、それによって居ついた技になるか、無心の技になるかが決まると思います。

2005年4月記す。

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