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実家の家事分担と新しいカタチ

平日だって休日だってお構いなしにやってくる「家事」実家を出てから、日常の家事がしめる割合に圧倒されています。

※今回も珈琲次郎さんの企画(テーマ:家事)に参加しま〜す!

私の生まれ育った家庭はいわゆる亭主関白で、父は朝から晩まで外で働き、母は朝から晩まで家事をしていました。二人ともその役割分担にはしっくりきているようで、互いに文句を言い合う姿は見たことがありません。

父が唯一やっていた家のことと言えば、玄関に置いてあるゴミを共有スペースに持っていくことぐらい。食べ終わった食器をテーブルの上に置きっぱなしなことも、脱ぎ捨てた洋服が洗面所の床に散らばっていることも、日常茶飯事でした。

綺麗好きな母は、散らかった父の痕跡をあっという間に片し、何事もなかったように穏やかな時間がまた流れていくのも、我が家の日常です。

時代が進み、仕事や家事に性別の隔たりが薄れていることはわかっています。私だって、性別関係なく家のことを一緒にやれるパートナーが欲しいと心から思っていました。

しかし、亭主関白の家庭に20年以上にいたため、男性は家事をやらないものだという潜在的な刷り込みがなくなることはなかったようです。

一見すると、頭が固い刷り込みで苦労しそうだと感じますが、この前提のおかげで、私はナマズ(=旦那)に溢れるばかりの感謝が生まれることになります。

結婚当初、驚きました。

燃えるゴミの日に、ナマズが洗面所のゴミとキッチンのゴミを自ら集めて捨てに行ってくれたことを。

食べ終わった食器は自分でシンクに下げ、さらには私のお皿とまとめて洗ってくれることを。

洗濯機がピーピーとなった後、洗濯物を干す作業を一緒にやってくれることを。

「だって、ふたりともフルタイムで働いているし、そうじゃなくても家事は一緒にやりたいなと思っているよ」

これまでの家事と男性の概念がボロボロボロッ!と崩れ去りました。ナマズ…あなたって人は…涙

確かに、母は専業主婦であるという違いはあります。しかし、その点を除いても元々”旦那”への期待値が低すぎたため、ナマズの少しの行動で私の心に大きな感謝が溢れました。それは、1年経っても2年経っても変わりません。

もちろん、実家に帰れば見慣れた男性の姿はあるわけで。それはそれで特に何も抵抗なく見つめることができます。実家はこれで成り立っているんだな、と思えるからです。

何が自分の”普通”であるかによって、他人と暮らした時に抱く感情は違うのだと実感しました。期待値が高ければ、その分求めるものも多くなるし、期待を抱いていない状態だと、相手の協力が輝いて見えるし。

でも、この”普通”は自分で気づいてコントロールもできると思っています。私は、ナマズが自分の思っている通りに動いてくれない時「あぁ、今私はこうするのが普通だって、相手に期待しすぎた」と一呼吸おくことを心掛けています。

自分の”普通”のカタチが見えると、その範囲を広げたり枠に収まらない考え方を認識できたり、そうやって見る世界が変わっていく気がしました。

今日もまた、ナマズがクイックルワイパーをかけてくれています。ありがとう、愛しのナマズくん。




前回の夫婦エッセイはこちらです。


旦那のあだ名がなぜナマズなの?と思った方へ



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