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勝手に書評|寺尾紗穂|日本人が移民だったころ

寺尾紗穂(2023)『日本人が移民だったころ』河出書房新社


とある図書館で目に止まった本だ。著者の寺尾紗穂さんは、シンガーソングライターとしても活躍しており、インターネットで偶々知って以来、よく聞いていたしCDも持っている。本を出していることは知っていたのだが、あまり見かける機会がなく、今回初めて図書館で出会った。その時は他に目当ての本があり、貸出期限の2週間ではこの本に辿り着けそうもなかったので、その本を返す時に借りようと決め、数日前にようやくこの本を読み始めた。それにしても、あの図書館の選書は中々いい。

内容は、(日本人で)移民を経験したことのある人たちへのインタビューが中心となっている。日本で移民といえば、満州や樺太、南米など様々である。最近、長野県阿智村にある満蒙開拓平和記念館に行ってきたこともあり、移民というトピックは自分の中ではかなりタイムリーなものだった。この本では主にパラオへの移民及び日本への引揚げと、最後の方では、そこから更に南米パラグアイへと移った人たちのことも取り上げている。ちなみに著者は2017年にもパラオ移民について調べた本『あのころのパラオをさがして:日本統治下の南洋を生きた人々』を出している。


本書に通底してあるのは、「移民を経験した一人一人の個人史から歴史を紐解く」ということである。まえがきには次のように書かれている。


戦前と戦後は言うまでもなく繋がっている。けれど、そのことは一人一人の人間を主軸に見ていかなければ気付きにくいことでもある。私たちが過去を知ろうとして、テレビ番組や本などの情報から学ぶとき、それがわかりやすいものであるほど、まるで戦前と戦後は180度違う時代のように描かれ、教科書的な表層の理解にとどまってしまう。あるいは情報の多くが戦前は戦前のこと、戦後は戦後のこと、と最初から区切られている。けれど、個人の人生は厳然と連続しており、その中に戦前と戦後をつなぐ経験が凝縮され、一人一人の感情がその上に形作られている。

同書、p.10

この言葉の通り、移民経験者へのインタビュー+著者による文献調査で構成される本書は、人々の感情を決して隠そうとせず、むしろどんどんと明るみに出していく。著者は、その感情がたとえネガティブなものであっても、それを悪いこととはせず率直に描き、そしてその背後にある時代や社会的背景へと踏み込んでいく。そうすることで、移民経験者の体験談がより一層具体的になって真実味を帯びるとともに、彼らが歴史の一部になり、歴史が彼らの一部へとなっていくような感じを味わえる。

例えば日本で生まれ、15歳でパラグアイへと移住した田岡さん(この本で唯一パラオ引揚者ではない方だが)のインタビューでは、炭鉱従事者たちは農業にはあまり向かなかったという言葉が出てくる。著者がさらに調べてみると、移民が行われていた1960年頃には「タンコタレ」という言葉があったらしい。「タンコタレ」というのは、ばかったれ、あまったれ、はなったれのように、炭鉱従事者をある意味蔑む言葉だったのだろう。既に移民として来ていた農家からすると、農業に馴染めない炭鉱従事者という印象は田岡さん以外にもよくあったようだ。一方で炭鉱従事者からすると、先に来ていた人たちは後から自分たちに手を差し伸べることなく、自分たちも苦労したから(あなたたちも自分で頑張りなさい)という態度を示されたといい、それは色々な場所を渡り歩きその都度見知らぬ人と
協力して働く炭鉱従事者からすると冷たい態度だともとれる。教科書的には、〇〇への移民◯◯万人という説明になるのだろうが、実際の歴史は、一人一人が様々な思いを持って移民となり、またそうした移民同士の間でも色々な感情があったということが分かる。

こうした一人一人の感情が見えなくなるというのは、歴史に限ったことではない。記憶に新しいコロナ禍のニュースでも様々な事柄が全て数字で示された。感染者数、ワクチン接種回数、感染症レベル、など。しかし、実際に事態を動かしていたのは一人一人の感情だったと思う。コロナやワクチンに対する捉え方、不安や不満、戸惑いなど、そういった一人一人の感情や判断が集まって、一つの出来事として現れていたように思う。歴史も殿様や総理大臣が決めるのではなく、あくまでそれは一つの分岐点や判断材料に過ぎず、結局は人間が集まって出来ているのではないかと思わずにはいられない。


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