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ほとばしるアート

 先月(8月)のことですが、塔本シスコ展『シスコ・パラダイス』を観に、滋賀県立美術館へ行ってきました。正直、少しビビり気味だったのは、”シスコ作品を約230点紹介する過去最大規模の回顧展” と謳われていたからです。あの強烈なシスコさんの作品ばかりを200点以上も観て大丈夫だろうか?という心配があったのです。

シスコは ”アール・ブリュット” ?

 私が別段芸術に造詣が深いわけでもなんでもないことは以前にも書きました。ただ原田マハさんの小説をいくつか読んだことで、いっちょ前に ”アート用のメモリ” が脳内に確保されたようです。しかし実は、マハ作品を読むもっと前に「アートの原体験」ともいうべき出来事があったことを告白します。(たいそうな…)

 私はかつてスイスで季節労働をしていたことがあり、よく仕事でローザンヌという街に行くことがありました。スイスとフランスにまたがるレマン湖という美しい湖(感覚的には琵琶湖と同じくらいの大きさです)の湖畔にある古い街です。IOC(国際オリンピック委員会)の本部があることでも有名です。街から出て車で少し走ると、レマン湖を見下ろす丘陵地帯に葡萄畑が広がっておりワイナリーが点在しています。スイスでどの地域が一番好きか?と問われたら、私は迷わず、フランス語圏でもある「レマン湖畔です」と答えるでしょう(アルプスちゃうんかい!)。
 ある時そのローザンヌで半日ほど自由時間ができ、「アール・ブリュット コレクション」という小さな美術館を訪ねてみることにしました。時間つぶしのための、まぁ本当に単なる気まぐれです。しかし、そこで観た絵や立体作品の数々に頭を殴られたような衝撃を受けました。なんと表現したらよいのか、作品からエネルギーがほとばしり、腕を掴まれ画面に引きずりこまれるような感覚を覚えました。

 ”アール・ブリュット” の定義など細かい事はここでは触れませんが、日本では似たような作品群を ”アウトサイダーアート” と言ったり ”天才アート” と言ったりしているようです。人間というものは分類したがる生き物なので、とにかく分類してみるものの、名称をつけるのに苦心の跡が見られます。
 記憶では、アール・ブリュット美術館で見た解説によると、精神疾患や知的障害を抱える人達のアートです。それが元で犯罪を犯した人の作品も数多くあり、驚くことに罪状まで記されていました。例えば「少年(あるいは少女)を誘拐した」などです。あと他にも驚いたことは、日本人の作品も数点あったことです。作者の名前のあとに「オウミホーム」などと書かれており、施設の名前だろうと思いました。
 冷静にアール・ブリュット作品を見た場合、その特徴はとにかく細かい!おびただしい数の小さな図柄の繰り返しがしばしば見られます。その迫力に脳みそがかき回される感覚がしました。もちろんそういう特徴が見られない作品もありましたが、それでもやはり作品からは物凄いエネルギーが発せられておりあっという間に時間は過ぎました。それが、私が初めて アートに精神を揺さぶられた体験でした。

フレ川綱引き

 シスコ作品を初めて観た時、ローザンヌでアール・ブリュットを観た時と同じような衝撃というか、”作品からの圧力” を感じました。つまり「ほとばしって」います。そして同じ図柄の繰り返しも随所に見られますし、どこかで絵を習ったようには見えません。例えば画面の中にはほぼ遠近感がありませんし、人物も描けていません(もちろんそこが良いのですが)。動物や昆虫の方が良く描けていると私には見えました。一つ、ローザンヌで観たアール・ブリュットの作品群と違う点を素人の私が挙げるとすれば「クスっとくる」ところです。シスコ作品には圧倒されるばかりではなく、頬が緩むことも多いのです。ニコッとして楽しくなってくる作品がたくさんありました。

なんかの包装紙に描いてる

 結論として、私にとって「ほとばしっている」作品はみなアール・ブリュットです。ですのでシスコ作品もアール・ブリュットの仲間だと思います。しかし本当は分類などどうでもいいのです。

塔本シスコの「シスコ」はやっぱりアレだった

 シスコさんは熊本で生まれ、生後すぐに養子に出され、そこで名付けられます。養父がいつか行きたいと夢に見ていたアメリカ、サンフランシスコからシスコと名付けられたのです。ならば、私には一つどうしても言いたいことがあります。今回の展覧会の名称は冒頭にもあるように「塔本シスコ展 シスコ・パラダイス」ですが、その英語名が「Tomoto Shisuko's Paradise」となっています。San Francisco からとった名前ならば Shisuko はおかしい。養父の想いもちゃんと汲むなら、シスコのアルファベット表記は Cisco でなければなりません。これは絶対譲れないところですよ。(なぜか必死)
 まそれはさておき、二十歳で塔本末蔵という青年と見合い結婚して塔本シスコになります。一男一女を得た後、シスコ46歳の時に末蔵が事故死します。失意で心身ともに不調の中、画家を目指していた息子が一人立ちして大阪へ移り住みます。残されたシスコが、息子の残した画材で絵を描き始めたのがなんと53歳の時です。お盆の帰省で熊本に帰ってきた息子はシスコの絵を見て仰天。母の創作をサポートしようと決めたそうです。そしてシスコも大阪・枚方に引っ越し息子夫婦と団地で同居しながら四畳半の部屋で創作活動を始めます。

ハゲイトウとカマキリ

シスコさんのエネルギーは"陽"

 先程、アール・ブリュットもシスコさんもエネルギーが「ほとばしっている」と書きました。ローザンヌであの日私が圧倒されたアール・ブリュットはどちらかといえば"陰のエネルギー"を爆発させたような作品が目立っていた気がします。一方シスコさんは見るものをクスッとさせたりニッコリさせたりする"陽のエネルギー"が溢れ出ていると言えるかも知れません。
 それはおそらくシスコさんの創作が「楽しかった記憶」に根ざしているからでしょう。だから、と言えるかどうかわかりませんが、娘さんの死など悲しいことがあると描けなくなってしまいます。でもそんな時には息子さんがシスコさんを自然の中へ連れ出し絵を描くことを思い出させ、描く事でまたシスコさんも救われていったようです。

娘さんを亡くしてから、最初の作品。自身の顔にも陰りを感じます
唯一、遠近感のある作品。逆に目を引きました。ただ「遠近」を意識して描いたのかどうかは不明

シスコ作品のモチーフ

 多くの作品には、人、水、植物、動物、魚や昆虫が描かれ、命の輝きに溢れています。不知火海、桜島といった九州の自然と戯れて過ごしたシスコさんの記憶は鮮明で、大阪・枚方市に来てからも九州の自然を描いています。ちなみに枚方市というのは大阪や京都のベッドタウンとして開発された街という印象ですが、そんな場所でもシスコさんは山田池やコスモス畑など自然を見つけては命を描いています。

段ボールに描かれています

 シスコさんは描き始めて間もなく、様々な賞をとり始めます。年代でいうと今回出品された作品で最も古いものが1967年の作です。マハ小説で得た知識を動員すると、その頃ならもう日本でも、印象派やゴッホ、ピカソといった美術史を変えた画家達の作風も広く浸透していたことでしょう。ですから作画の基本や常識に束縛されないシスコさんの自由な絵も受け入れられる土壌が既に日本でもあったのだろうなと想像しました。
 それに芸術家なら誰でも通るであろう「自分だけの表現」を模索して苦しむ時期というのは、今回の展覧会の説明パネルには見当たりませんでした。それもそのはず、"表現"に悩む必要はなかったのです。なにしろ「私にはこがん見えるったい」なのですから。見えるまま、カンヴァスやベニヤ板、段ボールや包装紙、素麺の木箱やウィスキーの瓶にまで、一心不乱に絵の具をもりもりと盛り付けていったのがシスコさんの作品なのです。

カンヴァス不要。なんにでも描いちゃう人です
頻出のモチーフ、猫のミーちゃん

 今回は「過去最大の回顧展」ということで、このような強烈な作品が展示場の壁にずらーっと並んでおり、見て回ると予想通りくたびれました。しかも全作品「撮影可」でしたので”映え”など余計なことも考えてしまい大変でした。ですので最後に、常設展に「小倉遊亀」さんが何点かあったので、それらを観ることで目が休まりました。

 ちなみに私、この塔本シスコ展を観に行った二日後になんとコロナを発症してしまい、十日間の自宅療養に入りました。そんなことでも記憶に残る美術展でした。

 最後まで読んでいただきありがとうございました。
 


 
 

 

 



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