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いとしの Henri

 拙文「美術のド素人が原田マハを読んだら #1 #2」に続き今回も原田マハ、「楽園のカンヴァス」を読んで感じたことを書いてみます。

燃えよキュレター

 ある人物が、過去の栄光やスキャンダラスな恋愛、そういったものに蓋をして、今は市井に紛れて静かに暮らしている。しかしひょんなことからその蓋が自分の意思とは関係なくこじ開けられ、その人物の正体を知って周りは驚き興奮する、そしてついには表舞台に引っ張り出され再び活躍の場を与えられる… これはもうドキドキせずにはいられない展開ですよね。私なんかも大好物のパターンです。この本はこのような事を予感させながら始まります。

 その人物とは早川織絵、43歳。現在は岡山県のとある美術館の「監視員」をしています。私は、美術館や博物館の展示室の片隅で椅子に腰かけ、蝋人形の様にじっとしている人が「学芸員」(キュレター)だとばかり思っていましたが、違いました。あの座っている人はただの監視員で美術に関しては素人である可能性もあるんですね。しかし一方、「ただの」と書きましたが重要な役目もあると知りました。貴重な美術品に誰かが悪戯をしたり、或いは鑑賞の作法を知らない輩がとんでもないことをしでかしたりしないか、見張っている、つまり美術品を守っているのでした。

 そんな地方美術館の「一介の監視員」である早川織絵には、真絵さなえという高校生の娘が一人います。織絵とは髪の色も目の色も違う、ハッとするような美しいその女子高生は自分の父を知りません。そんな真絵の母である早川織絵とは何者なのか、どのような恋愛の末にその娘が生まれたのか、ますます興味をそそられる展開です。

 ところが実際、早川織絵の過去は別に有名なスポーツ選手でも、俳優でも、ビジネスで大成功した人物でもありません。”美術史の研究者”だったのです。

 美術史といえば思い出すことがあります。私がスイスで季節労働をしていた三十代半ば、ジュネーヴである日本人女性に出会いました。彼女はジュネーヴの大学で美術史を勉強していると言いましたが、私はピンときませんでした。そんなんわざわざスイスに来ないと勉強できんことかなぁなんて思ってたのを思い出しました。しかし今ならその意味を理解できますよ。えぇできますとも。

 話が逸れました、世間では一見地味なこういう分野で活動する人たちを、ヒーローに仕立ててしまうのがマハさんの得意技です。早川織絵は高校生の時からパリに住み、ソルボンヌで美術史を修め、卒業後間もなく美術史研究において一世を風靡し、世界中から注目されていて、その研究対象は、フランスの画家 アンリ・ルソー Henri Rousseau でした。

 私などは「名前は聞いたことがあるなぁ」ぐらいで、もしも誰かに「有名な哲学者だよ」といわれれば「あぁ、そうか」と納得するでしょう。ですのでもちろんどんな作品があるのかも知りませんでした。しかし今はこの画家の実物の絵を観たい!と思っています。これもマハマジックでしょう。

 さてこの本の核心部分は、若き日の研究者早川織絵と、ニューヨーク近代美術館(MoMA)のアシスタントキュレター、ティム・ブラウンの、まるでアムロとララァの一騎打ちのような緊迫したせめぎ合いであり、その戦いを通していつの間にか(私の場合)もうアンリ・ルソーが愛おしくてたまらなくなってくる、という仕掛けになっているのです。

 それと同時に、私のような素人には美術の世界を知る教科書にもなりました。ある美術作品が世に出て評価を得るにはどのような要素が必要なのか、美術展というものが開催に至るまでには誰がどのように動くのか、その過程でキュレターと言われる人達は何をしているのか、等々です。

 そして名作の運命は「偶然」「慧眼」「財力」の三つに左右される、と説明されます。なるほど納得です。以前「美術のド素人が原田マハを読んだら #1」で書きましたが、美術好きな私の母(80歳)がいつも悔やんでいるのは、「偶然」に「良い」と思える作家や作品に出会っても、それを購入して作家を支える「財力」がないことです。

 さて話は17年前に遡ります。その「財力」を十分に持ち、美術を「見る目」も肥えたスイスのある老収集家が、「偶然」手に入れたアンリ・ルソーのいわくつきにして未発表の作品を調査するため、世界でも第一級のルソー研究者を二人、バーゼルの自宅に呼び寄せます。やって来たのがティム・ブラウンと早川織絵のというわけです。

 この伝説の老コレクター、コンラート・バイラーは自身が300万ドルで購入したこのルソー作品の真贋を判定せよと二人に命じます。そして判定のための「講評」にバイラーが優劣をつけ、勝った方に作品の「取り扱い権利」を譲るというのです。

 しかしその調査方法は、通常の手法とは全く異なり、ある「物語」を読んで判定せよというのです。そして七章からなるこの物語こそが、マハさんが最も世間に訴えたかったことではないかと私は感じました。

洗濯女と貧乏画家

 アンリ・ルソーの名作である「夢」がこの本の表紙になっています。うっそうとしたジャングルの中、長椅子に裸婦が横たわり何かを指さしている絵です。どこかで見たような気はします。この絵はニューヨークのMoMAにあり、そこはティム・ブラウンの勤務先です。一方伝説のコレクター、バイラーがティムと織絵の二人に調査せよと命じたのは「夢をみた」という名の作品で、一ヶ所を除いて「夢」と瓜二つなのです。それが果たしてルソーの手によるものなのか、判定の材料は謎の古書にしたためられた「物語」のみです。私は、まるで自分がティムになったかのようにドキドキしながら、慎重にその物語を読み始めました。

 さて何が出てくるかと思いきや、そこにはルソー最晩年のパリでの暮らしが綴られていました。ただ誰が書いたのか、事実が書かれているのか、そこがわからないのです。もちろんこの「物語」は、史実を基に肉付けされたマハさんの創作に違いありませんが、私はこの「物語」に夢中になりました。

 61歳、二度の結婚を経た末に独身のルソーがそこにいました。そして目下近所の若い洗濯女ヤドヴィガに入れあげているルソー。彼女が亭主持ちであることは承知です。もちろんヤドヴィガはいつもつれないのですが。

 マハ作品を読んでいると、この頃のパリには「洗濯女」というものがいたことがわかります。洗濯女ってなんでしょう?おそらく他所んちの洗濯を請け負って駄賃を得ている女性でしょう。洗濯機のない時代ですから、相当な重労働でしかも底辺の職業であったはずです。

 そういえば思い出したのが、私が30代の頃、ある年配の男性から「なに、まだ結婚してないの?早くもらわないと、飯炊き女。」と言われたことです。あまり聞き慣れない「飯炊き女」という言葉でしたが、少しショックでした。この男性にとって結婚相手は「飯炊き女」だったのです。

 またも話が逸れました。商売道具である絵の具やカンヴァスを買ったらその日のパンにも困る生活をしていた61歳のルソーがそこにいました。描いた絵は世間の話題にはなるが何故か全く売れない。だから路上で飴売りをしたり、ヴァイオリンを教えたりしながら、それでも「自分は画家だ」と胸を張っていたルソー。いや、ヴァイオリンを弾けるというのは関西弁で言うと「ええしのぼんぼん」であったはずですが、いまや安アパートの家賃を滞納する生活をしているルソーが哀れで気の毒で私はしょんぼりしてしまいました。

 しかしこの「物語」を読み進めていく中、私がたびたび励まされたことがあります。それは、ピカソだけはルソーを最大限評価していたということです。ここで登場するピカソはまだ20代、パリで活動し始めてまだ間もない頃でしょうか。晩年は南仏に住みマティスと交流があったことは「ジヴェルニーの食卓」を読んで知っています。

 そしてもう一人、ルソーに心酔する人物が登場します。ここはこの物語で一番面白いマハさんの「創作部分」です。いや史実でしょうか?いやいや違うはずです。なんと洗濯女ヤドヴィガの夫ジョセフです。彼は今で言う運送屋の仕事をしていたのですが、世界中のどこよりも芸術が栄え始めたパリでは絵画を運搬する仕事が増え、それで次第に絵に興味を持ち始めたというのです。ちょっと出来過ぎで、やや滑稽ですらあるこのジョセフの「芸術への目覚め」ですが、実は重要な布石になっています。

 洗濯女と配達人夫、底辺の職業でどうにか生活している夫婦(主にジョセフ)が貧乏画家を何かと支えようとします。そしてピカソも。ある時ピカソが「夜会」を計画します。自分のアトリエに芸術家仲間を呼び集めて、ルソーを称えるための祝宴を開くというのです。

 なんでピカソがこんなことをしたのか謎ですが、私は嬉しかったです。この夜会に招かれたルソーはヤドヴィガをエスコートしようと誘い、あろうことか夫ジョセフは喜んで妻を送り出します。(夫に勧められ)新調したワンピースを着たヤドヴィガとつぎはぎの燕尾服を着込んだルソーが馬車に乗ってモンマルトルへ向かいます。貧乏画家の洗濯女への淡い恋心がほのぼのと結実するお伽話の様なこのシーンに、私は思わず涙してしまいました。(最近とみに涙もろい)

 そんな応援にもかかわらずしかし事態は一向に好転しません。それでも描き続けるルソーに、とうとう死神が扉をノックします。脚の怪我が原因で瀕死の状態に追い込まれていくのです。

 ところでピカソはなかなか非情な漢です。亡くなった仲間の葬儀に出ないことは「ジヴェルニー」で知りました。マティス逝去の知らせをうけても、葬儀にも出なければお悔やみの一言もありません。「だってそいつはもういないのだから」という理由です。そりゃそうですが… 

 そのピカソが病身のルソーにしたことは、おそらくその命と引き換えになるであろう大作を描かせることでした。つまり、もはやカンヴァスはおろか満足な食糧を買う金もないルソーにピカソがプレゼントしたのは、パンでも薬でもなく、なんと自分の作品でした。自分の絵の上に描けというのです。情熱の全てをこの上にぶちまけろと。ピカソは人間の命より、その人間が生み出す芸術を取る人間だったのです。というより、ルソーを芸術家として完全燃焼させようとしたのでしょう、死を厭わずに。

 一方そのことを嗅ぎつけたある画商が、そのピカソの絵を売ってくれと訪ねてきて、手土産に真っ新のカンヴァスを置いていきます。しかしルソーは絵を売りませんでした。

 もう一つピカソがルソーにしたことがありました。ヤドヴィガです。ピカソはルソーの聖女マドンナである洗濯女に、ルソーの絵の中で「永遠を生きろ」とまるで啓示の様に伝え、そしてヤドヴィガはついにルソーの目の前で着ているものを全て脱ぎ棄て、あの長椅子に横たわったのです。ルソーのモデルになる一大決心を伝えた時も、やっぱり夫ジョセフは喜んで送り出しています。そして果たしてルソーが最後に描いたのは、ピカソの上なのか、白いカンヴァスの上なのか、描いたのは「夢」なのか、それとも「夢をみた」なのか、或いはまさかの両方なのか?

 描き終えて間もなく、ルソーは天国に召されます。案の定ピカソは葬儀には参列しませんでした。ルソーを見送ったその日にヤドヴィガの夫ジョセフは「ルソーの絵の蒐集家になろう」と決心し、そこで「物語」は終わりました。

 さてティムと織絵の勝負はどうなったのでしょう。ルソーの研究者であるこの二人と、ルソー作品の収集家であるバイラー、三人の「ルソー愛」が最後は「アッ」という驚きと共に昇華されていくところが見事!でした。

 これは織絵が二十代、飛ぶ鳥落とす勢いで論文を発表し、史上最年少で博士号を取り、美術史研究の世界でブイブイいわしていた頃の「ある夏の出来事」です。この時既に真絵を身ごもっていた織絵は、間もなくアカデミズムの世界から姿を消し岡山に帰っていたのでした。

 そうしてアカデミアでの華々しい業績も、ヨーロッパでの恋愛も、全て忘れて岡山でひっそりと「監視員」をしていた織絵を、17年の時を経て再び表舞台に引きずり出したのは、「あの夏」バーゼルで、初対面ながらルソーをめぐって濃密な7日間を戦った相手、ティム・ブラウンだったのです。

 キュレターとは、美術展とは、ピカソとは、そして何よりも「ルソーとは」を私の胸に刻み込んでくれたこの「楽園のカンヴァス」。ひたすら描き続けるも世間の評価に恵まれず、ついには清貧のうちに没してしまう老画家を愛おしく愛おしく惜しみながら私は最後のページを閉じました。

 さてこれから巻末の「解説」を読むのが楽しみです。前回「ジヴェルニー」の時もそうでしたが、感想文を書き終えるまで解説は読みません。余計な先入観を避けるためです。今回は大原美術館の館長という人が書いています。そう、早川織絵が監視員をしていた美術館です。

 

 

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