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箱の端まで行かないと「自分が中にいる箱」の大きさはわからない

「若者はとにかくなんでも経験しろ」

僕はこの言葉を鵜呑みにして本当になんでもした。

しょっちゅう肩書きを変えてはそのときどきの興味に応じて短絡的に飛び込んでは続かずに辞めた。
「挑戦」と言ってしまえば聞こえもいいが、実情はそんなに褒められたものでもない。
すべてをやりきることができなかったとも言える。

その結果当然のごとく沢山のわけもわからない嫌な出来事に遭遇したわけだが、それと引き換えにいくつかの気づきを得ることができた。

今回はそんなこんなについて話していきたい。


・部活のときにカッコよかった奴

突然ですが、
部活上手い人ってめちゃくちゃカッコよくなかったですか?

僕はテニス部だったんですけどテニスが上手な人が本当に羨ましくて、
僕も上手くなりたいと毎日毎日練習してました。
結局たいしてうまくなりませんでしたが、笑

でも今テニス上手い人を見てどうかって言うと別に「ああ、すごいな」って思うだけなんですよね。

そして大学に入ってバンドやることになるんですがそのときはまあ楽器が上手いやつがカッコいいんです。
軽音サークルの中ではとにかく楽器上手いやつがすべてにおいて上だし実際にモテる。
羨ましくてまたもや練習をしまくりました。
結局たいしてくうあくなりません・・part2

でも今楽器上手い人を見ても「おお、すごいな」って思うだけなんです。

いや、それだけじゃない、もっといっぱいある!

・思っている以上にみんなその環境に属している

これ逆もあって、僕は中学・高校が進学校だったので半分くらいが東大・京大・医学部に行くんです。
だから僕が京都大学にはいったときって別に対して周りに自慢できることでもなくって、事実僕の仲良かったグループは僕以外全員東大か医学部なんです。
なので同級生で集まったら僕が一番バカなわけです。笑


当然自分の学歴なんか別に何もすごいとは思ってないし、他の人が「東大なんです」って言っていても「へぇ」って思うだけ。

でもいざ世に出てみるとみんなにすごい驚かれるんですよね。

最初は理解できなかった。
ですが、よくよく考えるとわかったんです。

「あ、そうか、あのテニス部のときの俺とおんなじなんだ」と。


・中にいると気づかない

テニス部の中にいたらテニスがつよい奴が一番だった。
バンドやってるときは楽器上手い奴が一番だった。

でもこれってそのときどきはそんな全然わかってないんですよ。
本気でそれが一番と思って生きてる。

逆に言えば気づきようがない。
だって、その中にいる人はみんな同じ様にその環境に属しているから。


・動くことでしが世界を広げることはできない

だから横の人に聞いてもきっと自分と同じ様な答えしか言わない。
凄く動いているつもりでも傍から見たらすごく小さな動きでしかないときもある。


僕は歌舞伎町でホストとしても働いていたことがあるんですがそのときにも痛感しました。
全く違う世界がそこにはあった。

それはすごくいい意味で刺激になりました。
ホストの経験が生かされたというわけじゃなくて、
全く違う世界がそこにあったということに気づけたことこそが最も有益な経験でした。

それは絶対にそこに行った人にしかわからないはずだからです。


・世界はいろんな切り口で分断されている

しかも、これ、別に職種に限ったことではありません。
さまざまな方向で普遍的に起こっていることだと思います。
それこそ、住む場所とか趣味とか年齢とか近くのコンビニとか、、

x軸だけじゃなくて、y軸にもz軸にもどんどんと動いていくことで初めて世界が広くなっていくはずです。

本当に意外なことがその環境に属しているものだったと気づくはずです。


・人は常に世界を小さく見積もっている

僕らはいつも大きな世界の中の一部の小さな世界で暮らしています。
世界の隅々までを知り尽くした人はいません。
ここでいう「世界」とはなにも地理的な意味だけではなくて、もっといろんな意味を含むからです。


つまりみんながみんな世界を本来の大きさよりも小さく見積もっている状態だと言えます。
「ああ、ここらでだいたい世界のことはわかりきったな」って言える人はこの世にいません。

・まとめ

だからこそ、
とにかく動こう。
それも大胆に。
近場でウロチョロしてるだけじゃ一生自分の世界の狭さには気づかない。

やがて端っこににたどり着くはず。
そして、その先にも新しい世界が広がっていることに気づくはず。

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